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お父さんとお母さんの親バカ大暴走から始まった、あの賑やかな家庭訪問から数日後。
私はルミナが気に入ってくれたクッキーと、お弁当箱を詰め込んで、いつもの海岸へと向かっていた。
けれど、白い砂浜にぽつんと立っていたのは、いつもの愛らしい妹の姿ではなく、涼やかな銀色の髪を潮風に揺らす、背の高い人影だけだった。
「ネヴィスさん? 一人? ルミナは……」
「……アスタか」
ネヴィスさんは腕を組んだまま、いつも以上に硬い表情で私を見下ろした。
その藍色の瞳には、隠しきれない焦燥と微かな疲労が滲んでいる。
「ルミナは今日、来られない。……熱を出した」
「えっ、ルミナちゃんが!? 大丈夫なの!?」
「ただの知恵熱のようなものだ。数日休めば治る。お前に会えなくなったと泣いて喚くのでな……伝言だけ伝えに来た。私はすぐに戻る」
踵を返しようとするネヴィスさんの手首を、私は咄嗟に掴んでいた。
びくっと驚いたように見開かれる藍色の瞳。
「待って! だったらこれ持ってって!」
私は急いでリュックをひっくり返し、水筒と念のため、と持ってきていた容器を取り出した。
「これ、今朝お母さんが淹れてくれたハーブティーと茶葉! 疲労回復全般に効果があるから、熱を下げる効果もあるはず。持ってる分全部あげるから、ルミナちゃんに飲ませてあげて!」
「しかし、これはお前の家族分も――」
「家族のことは気にしないで! 家にはたくさんあるし。ルミナちゃんが心配だから渡すの! 早く帰ってそばに居てあげて、ネヴィスさん!」
押し付けるように水筒と茶葉の入った容器を握らせると、ネヴィスさんは呆然としたように手にした物と私を交互に見つめ、それから小さく「……すまない」と呟いた。
その時だった。
ドォン、と鼓膜を震わせるような重い音が、遥か上空から響いた。
「ひゃっ!?」
見上げると、さっきまで青空が広がっていたはずの空が、信じられない速度で真っ黒な雨雲に覆われていく。
海風が急激に冷たくなり、ゴロゴロと不気味な雷鳴が鳴り響いた。
山のゲリラ豪雨ならぬ、海のゲリラ嵐だ。
ポツ、ポツ、と大粒の雨が降り始めたかと思うと、一瞬で視界が白くなるほどの爆音の大雨へと変わった。
「くっ……! 想像以上に足が早いな!」
「ネヴィスさん、戻れる!?」
「無理だ! この激しい落雷の最中、視界の悪い海を移動するのは魚人でも危険すぎる!」
「じゃあ私の家……いや、この雨じゃ街外れの家まで戻る前に冷えちゃう! こっち、崖の横に小さな岩穴があるの! 避難しよう!」
私はネヴィスさんの手を引き、雨を遮るようにせり出した、大人が二、三人入れるほどの小さな岩の隙間へと滑り込んだ。
ザァァァァッ! と、目の前でカーテンのように降り注ぐ激しい雨。
かろうじて濡れずに済む小さな空間の中で、私とネヴィスさんは肩が触れ合うほどの距離で身を寄せ合う形になった。
「はぁ、びっくりした……。スコールみたいな感じかな。すぐにあがるといいけど。」
「……」
前髪から雫を滴らせながら、私はふうと息を吐く。
隣のネヴィスさんを見ると、彼は相変わらず氷の仮面を貼り付けたような無表情で、じっと外の激しい雨を見つめていた。
相変わらず冷たい態度だなぁ……なんて思った、その直後。
ふわり、と私の肩に、ずっしりとした温かさと、潮の香りが微かに混ざる心地よい匂いがまとわりついた。
「え……?」
驚いて隣を見ると、ネヴィスさんは自分が羽織っていた上質なローブを脱ぎ、私の肩にかけてくれた。
自分だって少し濡れているのに、彼はシャツ一枚の姿になっている。
「着ていろ。人間の体は、我らよりも脆く、冷えやすいのだろう」
「あ、ありがとう……。でも、ネヴィスさんは寒くないの?」
「問題ない。我らは元々、寒い気候には耐えうる頑健な種族だ。この程度の雨や寒さ、どうということはない」
彼はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言い放つ。
その横顔を見ていて、私はふと思った。
この人、初めて会った時は「人間にルミナを近づけたくない」ってあんなに鋭いナイフみたいなオーラを出していた。
今だって、口調は端的だし、愛想が良いとはお世辞にも言えない。
でも――。
ルミナちゃんが悲しむからって、忙しい中わざわざ伝言のためだけに陸に来て。
私が渡した人間の薬草茶を、妹のために素直に受け取って。
今だって、口では冷たく突き放すようなことを言いながら、当然のように自分の防寒着を人間に差し出している。
(この人……冷たい態度をとってるっていう自覚、本人は全く無いんじゃないのかな)
ただ、言葉が端的で、不器用なだけ。
その根底にあるのは、呆れるくらいに真っ直ぐで、優しい、一人の「お兄ちゃん」の心なのだ。
「ふふっ」
「……何がおかしい」
思わず口元から溢れた笑い声に、ネヴィスさんが不機嫌そうに端整な眉をひそめる。
「ううん。ネヴィスさんって、やっぱりルミナちゃんのお兄ちゃんだなぁって思って。言葉は足りない気もするけど、すっごく優しいね」
「なっ……、 貴様、何を根拠にそのような……」
完璧だった氷の仮面が、ほんの少しだけひび割れて、彼の綺麗な藍色の瞳が動揺に揺れた。
外の雨は、まだまだ止みそうにない。
狭い岩穴の中、二人だけの空間で、私たちはしばし嵐が過ぎ去るのを待つことになった。




