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「……よし。あとは包帯代わりにこの清潔な布を巻いて、と」
私が手際よくルミナの足に薬草をあてがうと、彼女は小さく身を震わせた。
近くで見て、ようやく合点がいった。
ルミナの足の傷は、思っていたよりもずっと深刻だったのだ。
いくつかの打撲と、何か鋭利な刃物で深く切り裂かれたような、痛々しい切り傷。
同時に、私は彼女の体に「ある特徴」があることに気がついた。
指と指の間にうっすらと広がる半透明の『水かき』。
外気に触れる首筋や手首のあたりには、光を浴びてキラキラと輝く美しい『鱗』が小さく浮き出ている。
彼女が着ている服は人間の街で見かけるようなものだけれど、サイズが合っていなくてどこか不自然だ。
(あ……。お母さんからお話で聞いたことがある。この子、人間じゃない――『魚人』だ……!)
この世界には、人間とは異なる独自の生態を持つ『亜人』や『獣人』が存在しているが、その中に人間の瞳を遥かに凌駕する奇跡の輝きを持つ種族がいるという。それが魚人だ。
魚人を見るのは人生で初めてだった。
彼らは人里離れた場所でひっそりと暮らしていると聞いていたけれど、まさかこんなところで出会うなんて。
薬草を馴染ませる私の指先に、ルミナはまだ緊張を隠せない様子で、じっと私の顔を見つめていた。
その七色の瞳には、好奇心と、それ以上の深い警戒が渦巻いている。
「ねえ、あなた、魚人の子よね? ……これ、人間の武器でつけられた傷でしょう。どうしてこんなところに一人っきりで……?」
私が静かに問いかけると、ルミナは悔しそうにギュッと唇を噛み締め、ぽつり、ぽつりと掠れた声で話し始めた。
「……欲しいものがあったの……。人間の街で今すごく流行ってる『可愛い星型の焼き菓子』。友達に買ってきて欲しいって頼まれて。この服で人間に気付かれないように、なんとかお菓子は買えたんだけど……」
ルミナは顔を覆った腕をさらに強く縮こまらせた。
「帰る途中でフードが脱げて、顔を見られちゃったの。そしたら、人間の男たちがニヤニヤしながらしつこく絡んできて……。ナイフまで見せつけて脅してくるから、怖くなって、抵抗して必死に逃げたんだけど。その時、足に刃物が当たっちゃって……。夢中で走って、なんとかこの森まで逃げ込んできたの。……結局、あなたに見つかっちゃったけど……」
彼女の七色の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「魚人の瞳を不正に入手して売り飛ばそうとする悪い人間がいるって、お兄ちゃんから聞いてたから……。だから、あなたも、怪我をして動けない私の目を奪うために近づいてきたんだって、そう思ったの……!」
だから、彼女は人間をこれほどまでに拒絶し、恐れていたのだ。
すべてが繋がって、私は胸の奥がぎゅっと痛むのを感じた。
「ひどい奴らだね! ナンパを断られたくらいで刃物を振り回すなんて、ただの卑怯者じゃない。……でも、安心して。私はそんなこと絶対にしない。瞳を奪うなんてこともあり得ないわ!」
「本当……?」
「本当。こう見えてウチはお金には困ってないんだから!それに『魔女の目』を持つ私がそばにいる限り、安心よ」
私がわざとおどけて話すと、ルミナは呆気に取られたように目を丸くした。
それから、少しだけはにかむように視線を落とす。
「……あなたの目、『魔女の目』って……。不気味だって、みんなに避けられてるって」
「そうそう。光を全部吸い込んじゃうからね。でも、良いこともあったわ。――今、あなたのその、とっても綺麗な七色の瞳が、私の黒い目に一番きれいに映ってるわ」
光を反射しない私の真っ黒な瞳。
けれど、だからこそ、その中心には彼女の持つ虹色の輝きが、まるで夜空に浮かぶ星空のように、美しく浮かび上がっていた。
自分の国では「不気味だ」と蔑まれていたその瞳が、ここでは役立ったようだ。
ルミナは息を呑み、私の瞳に映る自分自身の輝きを、吸い込まれるように見つめていた。
「……変な、人間」
「よく言われるよ! さ、手当ては終わり。まだ歩くと傷に響くから、今日はもう無理しちゃダメだよ。……あ、これ、お腹空いてない?」
私はカゴから、お弁当の残りのトーストと、包みに入った甘い干し果物を取り出した。
ルミナは戸惑いながらも、トーストを一口かじると、「……おいしい」と顔を綻ばせた。
「でしょう! 私、料理には自信があるんだ。毎朝、家族の分も作ってるんだよ。うちにはね、気のいい木こりのお父さんと、おっとりしたお母さん、それから10歳の弟のアルベールと、6歳の妹のリンがいるの。二人は私のこの黒い目を、ちっとも怖がらないで毎日甘えてくるんだ。あなたにも、おうちで待ってる家族はいるの?」
「……うん。お兄ちゃんが、待ってる。私が戻らないと、怒ってすっごく怖い顔で探しにきちゃうから……。人間の街に来たこと、お兄ちゃんには内緒にしてるの。知られたら……大変だわ」
「あはは、お兄さん、あなたのことが大好きなんだね!」
ご飯を食べ、お互いの家族の話をしているうちに、ルミナの表情からはすっかりトゲが消え、普通の女の子らしい柔らかい笑顔が増えていった。
傷ついていた彼女の心が、少しずつ解きほぐれていくのが分かった。
「……アスタ。私、もう行かなきゃ。お兄ちゃんが心配してる」
「そっか。帰り道は大丈夫? この森の地理には詳しい方なの。送っていくわ」
「でも、そこまで迷惑をかけるわけには……」
「いいのいいの! 私は長女だから、放っておけない性質なの!」
私はルミナの肩をそっと支え、彼女の歩調に合わせてゆっくりと森の中を進んだ。
数刻で私たちは潮の香りが満ちる美しい海岸へと辿り着いた。
夕日に照らされ、オレンジ色にきらめく海。
ルミナはその波打ち際に立つと、名残惜しそうに私を振り返った。
「……アスタ、私はルミナ。あなたのご飯、とっても美味しかった。……手当ても、送ってくれたのも、ありがとう。……アスタのこと、絶対忘れない」
その言葉に、私は胸がいっぱいになって、思わず彼女の手をぎゅっと握りしめていた。ルミナが驚いたように目を丸くする。
「私ね、この目のせいで街の子たちからはずっと避けられてきたから……ルミナが初めてなんだ。同じくらいの歳の女の子と、こんなにたくさんお喋りできたの。……私、すっごく嬉しかった!」
ずっと胸の奥に仕舞っていた本音を伝えると、ルミナの七色の瞳が、じわりと温かい光を帯びた。
「私、この東の森にはハーブを採りに一人で頻繁に来るから。もし、足の傷が綺麗に治ったら……その時はまた、ぜひここに遊びに来てほしいな。今度はもっとたくさん、美味しいご飯作ってくるから!」
「……アスタ……」
「これ、余った干し果物とお母さんの薬草。お兄ちゃんと一緒に食べて、傷が痛んだら薬を使ってね」
無理やりルミナの手に包みを握らせると、彼女は戸惑いながらも、それを愛おしそうに胸に抱きしめた。
「……うん。約束する。傷が治ったら、またアスタに会いにくる。バイバイ、アスタ。また、きっと会おうね」
ルミナは今日一番の、本当に綺麗な笑顔を私に向けると、浅瀬へと足を踏み入れた。
水中に入った彼女の身体は、人間の国にいた時よりもずっと自由で、しなやかに波間を滑っていく。
魚人は泳ぎが得意で、人間よりはるかに長い時間、水中に潜れるため、移動手段に海を使うことが多いのだそうだ。ルミナの肌の鱗が、水面の下でキラキラと優しく明滅した。
「バイバイ、ルミナ! またいつでも遊びにおいでよーーー!」
水平線の向こうへと泳ぎ去っていく彼女の姿が見えなくなるまで、私は何度も、大きく手を振り続けた。
波の音だけが響く海岸で、私は自分の胸に手を当てた。
人間から『魔女』と蔑まれる私の目を怖がらない女の子に出会えた。しかも超絶美人!
それだけでも、今日ここに来た意味はあった。
「よし! ハーブもたくさん採れたし、みんなが待つ家に帰ろう!」
私はカゴをしっかりと背負い直し、夕暮れに染まり始めた森を、愛する家族の待つ家に向かって元気よく走り出した。
魚人の服の仕様はファンタジー仕様です。
悪しからず。




