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「アスタ!! お兄ちゃんが、お兄ちゃんがぁっ……!!」



夕暮れ時、我が家の扉を叩き割るような勢いで飛び込んできたのは、涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしたルミナだった。



嗚咽交じりで激しく泣きじゃくる彼女を反射的に強く抱きとめ、背中を優しくさすりながら事情を聞く。



……人間の人買いに同族が襲われ、ルミナが囮になり、それを助けにいったネヴィスさんが代わりに捕まったのだという。



(ネヴィスさん……! あんなに強い魔力を持っている人が、捕まるなんて……!)



あの雨宿りの岩穴で、不器用ながらも真っ直ぐに私を褒めてくれた彼の藍色の瞳が脳裏をよぎる。



胸の奥底から、二人を酷い目に遭わせた人間たちへの激しい怒りがふつふつと湧き上がってきた。



でも、ここで私が取り乱したらルミナがもっと不安になる。

私は深く一呼吸置き、彼女の目線に合わせて頭を優しく撫でた。



「大丈夫よ、ルミナ。ネヴィスさんが命がけであなたを逃がしてくれたんだもの。……絶対に、私が助け出すから!」



とはいえ、私はただのしがない一般人だ。

相手はプロの人買い。まともに正面から突入したら、ネヴィスさんを人質に取られて詰む。



どうにかして裏口からこっそり潜入できないかと、必死に頭のなかの引き出しをひっくり返して考えていた、その時だった。



リビングで一緒に話を聞いていたお母様が、上品に微笑みながら口を開いた。



「あらあら、それは大変ねぇ。ねえアスタ、もしよかったら、お父さんとお母さんにも手伝わせてくれないかしら? ちょうど町へお買い物に行こうと思っていたのよ」


「えっ!? 二人をそんな危険な目に遭わせるわけにはいかないわ!こっそり潜入して……」


「大丈夫だよアスタ。父さん、足だけは速いからね。それに、アスタの大事なお友達のピンチだ。じっとしていられないさ」



お父さんもお母さんも、いつもと変わらない優しい笑顔を浮かべている。

……だけど、何だろう。二人の口元が心なしかピキピキとヒクついている気がする。

怒っている、のだろうか。それが当たり前の状況ではあるのだけれど、今まで生きてきて一度も二人からは感じたことがない、背筋が凍るような威圧感がリビングに満ち満ちていた。



お母さんは静かに目を閉じ、 すう、と小さく息を吸い込んだ。

何かを呟いたかと思うと、すぐにパチリと綺麗な目を弾けさせる。



「ネヴィス君は、今、ガレノス商会の、町で一番大きな倉庫の地下牢にいるわね」


「ガレノス商会か……裏で闇取引をしてるっていう噂もある商会だな。破落戸どもと繋がりがあったのか」


「えっ!? なんでわかるのお母さん!?」


「ウフフ、女の勘よ。それよりアスタ、ちょっとした作戦があるのだけれど、聞いてくれる?」



お母さんが提案してくれた作戦。



それは、お母さんとお父さんが表立って派手に陽動を行い、敵の注意を引きつけて拠点を手薄にさせる。

その隙に、私が地下水路からルミナと一緒に潜入してネヴィスさんを助け出す、というものだった。



危険と直接対峙することになる両親が心配で、私が「でも……!」と言い淀むと、お母さんはクスリと悪戯っぽく笑った。



「心配いらないわ。お母さん、こう見えて昔はとってもモテたのよ。私がただ街を歩くだけで、男の人の注意が逸れて、足が止まっちゃうんだから」


「レティ、その過去の発言については、後ほどしっかり話し合おうな? ……それはともかくとして、母さんにはこの父さんがついているから安心しなさい」



お父さんが頼もしく胸を叩く。



二人の決意は固そうだ。何より、私一人ではネヴィスさんの元に辿り着くことすら難しい。ここは二人の厚意に甘え、遠慮なく力を借りることにした。



「二人とも、本当にありがとう。……絶対に無理はしないでね! 危険だと思ったら、すぐ逃げて欲しい。でも、ネヴィスさんを助けたいの!!」



私は両親の身を案じながらも、ルミナの手をしっかりと引き、ガレノス商会の地下牢へと繋がる地下水路へと急いで向かった。




**




――町外れ、ガレノス商会が所有する商人倉庫の屋根上。



「……おいおい、嘘だろ。何の冗談だ、これ……」



ガレノス商会に高額な報酬で雇われた手練れの魔術師は、冷や汗を全身から流しながら、ガタガタと膝を震わせて眼下の光景を見下ろしていた。



事の始まりは、一人の「か弱そうな女」が倉庫の前にぽつんと現れたことだった。



その女がフッと息を吐き、上品に指先をパチンと鳴らした瞬間――世界が一変した。



倉庫の周囲一帯を埋め尽くすように、完全武装した王国近衛騎士団――の、完璧なる幻影が数百規模で忽然と出現したのだ。



ただの幻ではない。



空間そのものが歪み、肌を刺すような高位の魔力圧まで完全に再現された、超高位幻影魔術。



『近衛騎士団だ! どうして急にこの場所がバレた!?』


『さすがにこの人数にはかなわねぇ、逃げよう!』



外に集まっていた警備の男たちが泡を食って、一斉に武器や杖を手に外へと飛び出していく。



だが、悪夢はそれだけでは終わらなかった。



スカスカに手薄になった正面玄関。そこへ、今度は使い古した服を着た「冴えない男」が、のっしのっしと気の抜けた足取りで歩み出たのだ。



男は息を吐きながら、腰に差したなまくら刀を軽く一振りした。

本当に、ただ手首を払っただけのような、そんな軽い一振り。



その瞬間――。



ズガァァァァァン!!! と、大気を一撃で引き裂く凄まじい衝撃波が炸裂した。



倉庫の頑丈な鉄製の重厚な扉が、まるでお菓子のウェハースみたいに木端微塵に粉砕される。



それどころか、正面ロビーで身構えていた見張りの男たち数十人が、斬撃の風圧だけで遙か後方の壁まで吹き飛び、一瞬で意識を失った。



「神速の剣閃……空間すら掌握する最高位の幻影……。おいおい、まさか、な……嘘だろ……」



雇われ魔術師の脳裏に、かつて裏社会をも震撼させ、今や都市伝説と化している「ある物語」が鮮烈に過った。


とある国の最高峰と謳われた、魔術名門貴族の令嬢。

そして、その彼女に生涯の忠誠を誓い、彼女を抹殺せんとしたすべての暗殺者を、ただ一人で返り討ちにしたという国宝級の凄腕護衛剣士。



身分違いの激しい恋の果てに、二人は迫り来る追っ手を完膚なきまでに叩きのめし、跡形もなく歴史の表舞台から姿を消したという、あの伝説の奇天烈カップル――。



「あの生ける伝説が……なんでこんな辺境の田舎で、普通の夫婦面してカチコミに来てんだよ……!?」



眼下では、男が「おや、もう誰もいないのかい? よし、拠点を空にできたぞ!レティにもアスタにも褒められてしまうな!」と爽やかに笑っている。



世界の均衡を軽々と崩しかねない規格外の力を使って、「ちょっとそこまで買い物に」みたいな軽いノリで無双しているのだ。



狂っている。



「付き合ってられるか。俺も降りるぞ」



雇われ魔術師は、檻の中に入っている魚人の目玉よりも、自分の命の方が何億倍も大切だと瞬時に判断した。



彼は呪文を唱えることも、荷物をまとめることも綺麗さっぱり忘れ、屋根の裏からすたこらさっさと戦場から退散していった。




**




一方、そんな地上での『世界の終わり』のような大惨事など露知らず。



私はルミナの必死の案内のもと、ドロドロで狭い地下水路を這い進み、予定通り倉庫の地下牢へと静かに侵入を果たしていた。



「――っ、本当に誰もいないわね!」



驚いたことに、見張りがほとんどいない。



それどころか、上の方からたまに「地鳴り」のような凄い音が響いてくるだけで、地下は不気味なほど静まり返っている。



「お父さんとお母さん、すごいわ! きっとお母さんが必死に大声をあげて、お父さんが一生懸命足止めしてくれてるんだわ……! 二人とも、どうか無事で!一刻も早くネヴィスさんを助けないと!」



私は、両親の健気な頑張りと決死の足止め(超大誤解)に深く胸を熱くしながら、ネヴィスさんが囚われているであろう地下牢の奥へと、力強く一歩を踏み出すのだった。




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