鉄の掟
愛美は鶴峯に一からメイドとしての心得を叩き込まれ、虎太郎は白鷺によって植栽の刈り入れの手ほどきを受け、そして1週間ほどが過ぎた頃。
愛美のふんわりとした手肌はみるみるうちに荒れ、窓ガラスを拭く雑巾に血が滲む。
ふと窓の外を見ると虎太郎が植栽の刈り込みに精を出していた。
視線が合う。反射的に軽く手を上げた瞬間⸺愛美の腕が捻りあげられ、体が床に叩きつけられる。
「⸺ッ!」
恐る恐る見上げた先には鶴峯が無表情で立ち尽くしていた。
「勤務中に余計なことを考えないように。我々は雲雀お嬢様の家具です。労働中の余計な思考はミスに繋がります。」
淡々と冷酷に告げられた言葉に愛美は俯くが⸺鶴峯を見返すと深々と頭を下げ一言。
「申し訳ありませんでした。以後気をつけます。」
「愛美…ッ!」
窓からいきなり姿を消した愛美を見て虎太郎は思わず声を上げる。と、同時にバケツの中の冷水がぶちまけられる。
白鷺が眉一つ動かさず、淡々と虎太郎を見て一言。
「勤務中だ。余計なことは考えないように。あの紙にサインをした時点でお前は剣菱家の家具だ。自覚を持て。」
それでも不安げに窓を見つめる虎太郎に白鷺は近づくと、剪定鋏で虎太郎の手を叩く。
「⸺ッ!」
顔をしかめる虎太郎に白鷺は極めて冷静に告げる。
「痛みを伴わないとわからないか?」
その声に思わず虎太郎は白鷺を睨みつけたが⸺深々と頭を下げて一言。
「申し訳…ありませんでした…仕事に戻ります…」
すぐ近くに⸺手を伸ばせば届く距離にいるのに。
触れ合うことも、視線を交わすこともできない。
今更になって二人の胸に契約の重みがのしかかる。
それでも、近くにいられるだけ幸せなのだと思うしかなかった。
ある日のことだった。
愛美と虎太郎は雲雀に呼び出され、居室に通された。
香だろうか⸺くらくらするほどの甘い香りが漂っている。居室にはすでに白鷺も鶴峯もいた。
雲雀は二人を確認すると、一言。
「楽にしていいよ。さて…2週間あまりか。どうだ?家具の気持ちは…?側にいながら睦み合うこともできずに視線すら交わせない気持ちはどうだ?」
明らかな愉悦の表情。
愛美は唇を噛み、虎太郎は拳を握りしめそれに耐えている。
そんな二人を見て雲雀はフン、と鼻を鳴らすと手にした扇子でベッドを指しこう言った。
「楽しませなさい。今からここで二人で思う存分愛し合うがいい。ただし⸺私が見ている。白鷺も鶴峯も見ている。さぁ、どうする…?」
愛美は震えながら返事をする。
「そんな…できません…人前でなんて…。」
それを聞いた雲雀はツカツカと愛美の元に歩み寄ると手にした扇子で頬を叩く。
そしてその小さな顎を持ち上げるとこう言った。
「できるできないじゃない。やれと言っている。ここの長は私だよ…?」
愛美はカタカタと震えながら涙を滲ませている。
虎太郎はそんな愛美を雲雀からやや強引に引き離すと一言。
「わかりました。やります。それで気が済むのなら。」
広いベッドに乗り、虎太郎が服を脱ぐ。
そして愛美に深く⸺今までの分を取り返すような口づけを落とす。
「待っ…だめ…こんなの間違って…んん…ッ!」
愛美の小さな抵抗も虚しく口づけはどんどんと深く⸺荒くなってゆく。
雲雀も白鷺も鶴峯も、ただただそれを眺めている。
最も雲雀だけは愉悦の表情に赤みが増し、サディスティックなまでの視線を送りながらふるふると肩を震わせている。
やがて愛美の服が脱がされ⸺下着だけになったときに不意に虎太郎が動いた。
ベッドから降り、ツカツカとサイドテーブルに歩み寄るとそこにあったペーパーナイフで手首を思い切り搔き切った。
ぽたぽたと絨毯に血液が流れてゆく。
「コタちゃん!!!あなたなんてこと…」
愛美は慌ててベッドから飛び降り、脱がされたメイド服をその傷にあてがう。
虎太郎がゆっくりと口を開いた。
「辱めは俺一人が受けます。殴られても蹴られても、罵倒されても構いません。でも俺も一人の男です。愛しい女の肌をこれ以上…誰にも晒したくありません…」
しばしの静寂。
最初に口を開いたのは雲雀だった。
「興が削がれた。白鷺、アレを持ってきなさい。」
白鷺が部屋を出て数分。
手には2枚の契約書。
雲雀はその二枚の契約書を遠い目で眺めてから⸺
「ああ。いけない。手が滑った。」
ビリビリと紙が引き裂かれる音がする。
1枚が2枚に、4枚に、そして8枚に。
雲雀はそれを虚空にぱっと投げるとこう言った。
「おやおや、契約書がなくなってしまったね…?つまりお前たちは部外者だ。どこへなりとも行くといい。」
唖然とする二人に鶴峯が何かを差し出す。
それはここに来たときに来ていた服⸺それはクリーニングにかけられてすっかりと清められていた。
「あの…」
やっとのことで話し始めた愛美を雲雀は睨みつける。
「部外者に割く時間はない。とっとと出ていかないと不法侵入で警察を呼ぶよ!」
その声に二人は弾かれたように走り出した。
白鷺が口を開く。
「あれで良かったので…?」
雲雀はまたフン、と鼻を鳴らすとこう答えた。
「あのまま獣のように睦み合っていたら酷く打ってやろうと思ってたのにさ…とんだ見当違いだ。つまらん玩具はいらん。」
7月のカラリとした空を二人は駆けてゆく。それを雲雀は窓からいつまでも眺めていた。




