鳴けぬ雲雀の鬱屈
「お前。鵺とか言ったね。そこに四つん這いになって。」
雲雀が扇子で指した先にはトラ皮のラグ。おそらくはプリントなどではない本物のアンティーク。
鵺は黙ってそこに四つん這いになる。
剣菱雲雀。39歳。年よりもずっと若く見えるその肌は高級な化粧品でも贅沢に使っているのだろうか。
雲雀はそのままツカツカと歩み寄ると鵺の背に腰掛ける。まるで⸺彼が家具であるかのように。
そして履いていたストッキングを脱ぐと足を差し出し、夜鷹に向かって一言。
「清めなさい。指の一本一本まで丹念に。お前のその舌を使って。」
夜鷹は跪き、壊れ物に触れるかのように雲雀の足を支えるとその舌で親指からゆっくりと舐め、清めていく。
雲雀は恍惚とした表情で一言。
「上手…夜鷹、お前…烏よりも上手かもね?」
と、その時だった。
恥辱に耐えていた鵺が、ほんの僅か背中の筋肉をピクリ、と動かした瞬間⸺雲雀は手にしていた扇子でピシャッと鵺の尻を叩く。
「ねえ…誰が動いていいと言ったの…?」
苦悶の表情を浮かべる鵺をよそに、夜鷹が頭を下げる。
「申し訳ありません…!!こいつはその…ここでの勝手は初めてなものですから…。」
その言葉に雲雀はフン、と鼻を鳴らすと一言。
「まあいい…夜鷹、そこのテーブルの小瓶を取ってくれる?」
夜鷹は言われるがままにオーク製だろうか⸺アンティークの小さなテーブルから小瓶を取るり雲雀にそれを手渡す。
「勝手に動いた罰…」
そう言いながら雲雀は瓶の中身を鵺の頭に思い切りよくかける。
忽ちに漂う麝香の香り。少量つければ蠱惑的な香りであろうそれは鵺の鼻孔と喉を直撃するが、鵺は必死に耐えている。
それを見た雲雀は満足そうに笑うと、夜鷹にこう告げた。
「続けなさい。いいと言うまで。」
薄暗い豪邸の一室に夜鷹が雲雀の足を舐める水音だけが響く。雲雀は手にした扇子を扇ぎながらただただ愉悦の表情を浮かべている。
「ねえ、どんな気持ち…?私はね、別に絶頂は求めてないの…。ただこうしてお前たちをいたぶるだけ…それが楽しくて仕方ないの…。」
「それがお嬢様の望みなら…喜んで…」
夜鷹が答える。
「ふぅん…?お前は?ねぇ、鵺…?」
鵺は夜鷹と同じように答えようとしたが、口を開いたその瞬間、強烈な麝香の香りにむせてしまった。
忽ちに扇子が鵺の顔めがけて振り下ろされる。
「この…!!家具風情が…!!また勝手に動いた…!!」
雲雀は息を荒くしながら鵺の顔だけでは飽き足らず、至るところに扇子を打ち下ろす。
鵺はそれを防ごうともせず、ただただ苦痛に耐えるほかなかった。
どのくらいそうしていただろうか。
雲雀が口を開いた。
「興が醒めた。もう今日はお帰り。」
その目はまるでモノを見るかのようにどこまでも冷徹であった。
痛みを抱えながら鵺と夜鷹が部屋を出ると、先程この部屋まで導いた老紳士が立っていた。
「お手当です。」
そう言われて差し出されたトレーには2つの茶封筒。その重厚な膨らみはおそらく100万は下らないだろう。
夜鷹は
「どうも」
と一言言って受け取ると屋敷をあとにする。
鵺が受け取るのを躊躇っていると、老紳士は鵺の傷だらけの顔を見て、
「こちらへ」
と促す。
長い長い廊下を歩いてゆくと、そこには小さな小部屋があった。そこに通された鵺は老紳士に手当を受けながらポツリポツリと語る言葉に聞き入る。
「申し遅れました。私は雲雀お嬢様の執事をしております。白鷺と申します。お嬢様様は少し…複雑な生い立ちでして…。お父様…つまり先代の当主との愛人の間にできた方でして…本妻の奥様は子供を宿すことなくこの世を去りました。そして…」
白鷺はそこまで言うと目を伏せながら続ける。
「お嬢様は将来を嘱望されたオペラ歌手でした…。幼い頃から英才教育を受け、音大を主席で卒業、というときに…喉にポリープを患いまして…思うように歌えなくなってしまったのです…。その時の絶望は計り知れず…自害なさろうとまで…。しかしお嬢様は生きることを選択された。先代から株を学び、この屋敷の富を倍以上に膨らませ…そして…有り余る富から少々人格が歪んでしまわれた…。酷い目に遭われた事でしょう…ですがどうか…哀れと思って下さいませんか…」
白鷺の言葉を聞いた鵺もまた目を伏せる。希望と絶望は常に背中合わせなのだ。
手当を受け屋敷をあとにした鵺は夜空を見上げる。
ざわざわと吹く風に木立が揺れ⸺雲がせわしなく月を隠してゆく。
「愛美…。」
雲に隠された月に鵺は手を伸ばしたが⸺風が運んできた分厚い雲にそれは完全に覆われてしまった。
まるで愛美の屈託のない笑顔を隠すようなその空を、鵺はいつまでも眺めていた。




