回想
「コタちゃんをいじめるのはわたしが許さないんだから!!」
揺れる2つのピンクのボンボンからさらりとなびくお下げ髪。
園児服を着た小さな手足が精一杯大の字を作って自分の前に立ちはだかっている。
「つーちゃん…」
声を出そうとしても喉からはヒューヒューと掠れた音が出るだけ。
小児喘息。
幼い身体に限界量のステロイド。
副作用の不眠と浮腫を抱えながらもなお通った幼稚園。
幼児であってもヒエラルキーは存在する。
人と少し違う⸺それだけで嘲笑の的になるのだ。
鵺⸺否、椎名虎太朗はその夢を見て飛び起きた。
横には安らかに眠る愛美。
「⸺またか…。」
小児喘息は治ったというのに何度も見る悪夢。自身の眠れない経験からインソムニアに入ったはいいが、心の傷はそうは癒えない。
鵺はすうすうと寝息を立てて眠る愛美の髪に触れると、その一房に軽く口づけた。
「つーちゃん…いつになったら思い出すのかな…君の中ではまだ俺は…守られてるか弱い存在なのか…?」
と、その時だった。契約の3時間を知らせるアラームが鳴り響く。
鵺は予めテーブルの上に用意された封筒を懐にしまうと、施錠のため愛美を起こそうとした、その瞬間だった。
「鵺…?」
愛美がもそもそと身体を起こす。
鵺は慌てていつもの表情を取り繕うと愛美に向かって一言。
「よく寝てたよ…。それじゃあ俺はこれで。」
そう言って鵺がドアを開けようとしたその時だった。
愛美が背後から鵺を抱きしめる。
背中に当たる柔らかな感触。
そして紡がれた言葉に鵺は思わず目を見開いた。
「懐かしい…とても懐かしい夢を見ていたの…
幼稚園の頃にね…仲の良かった男の子がいて…とてもいい子なのに喘息持ちで…私、精一杯その子のこと庇って…でもね、内心すごくドキドキしていたの…。いじめっ子たちは体が大きいし…。どうしてるのかな…コタちゃん…」
鵺の鼓動が早くなる。振り向いて抱きしめ、思い切り口づけたい衝動に駆られたが⸺それを堪えて鵺は言葉を返す。
「そう…なんだね…。その子…元気だといいね…。それじゃおやすみ、愛美。」
パタン、と軽い音を立ててドアが閉まる。
愛美はしばしそれを眺めていたが⸺やがてベッドに戻ると再びすうすうと寝息を立てて眠り始めた。
鵺は愛美のアパートを後にすると、街灯下の自販機に目をやる。
そこにあった乳酸菌飲料を見て思わず吸い寄せられるように小銭を入れると、キンキンに冷えたそれが出てくる。
「今も昔も変わらないな…お前は…」
それは鵺⸺虎太朗が薬をうまく飲めたときにご褒美に母親から買ってもらったパック入りの飲み物。
ストローを刺すと一気にそれを吸い上げていく。
懐かしい味が口内に広がるとともに、鵺はその場にしゃがみこんだ。
「つーちゃん…俺のこと覚えてた…でも…おれは君を幸せにするどころか…夜の女にさせてしまった…」
意図せず鼻がツンとなり、涙が溢れそうになるが、鵺は自販機脇のゴミ箱に空になったパックを勢い良く捨てると重たい足取りでその場を去っていった。
高く高く登った月に⸺幼い頃の愛美の笑顔が見えて、鵺は思わず顔を反らす。
そこにいたのは添い寝代行の鵺ではなく、椎名虎太朗という一人の弱い男だった。




