第9話:裏切りと真の雇い主
**第9話:裏切りと真の雇い主**
「全軍、突撃ぃッ! 傭兵どもを前衛に立て、公国軍の陣形を押し潰せ!」
神聖帝国軍の総指揮官、シュタイン公爵の怒号が、雷鳴のように響き渡った。
ここはアルデンヌ平原。帝国軍二万と、隣接するマルセル公国軍一万八千が激突する、歴史的な大会戦の只中である。
中央では、双方の歩兵陣形が激しくぶつかり合っていた。硝煙と血煙が立ち込め、土煙の向こうで、数千の命が刻一刻と削られていく。
黒狼旅団一千五百は、帝国軍の最前線中央、最も凄惨な「肉の壁」の位置に配置されていた。
「アラン! 敵の重装歩兵が押し寄せてくるぞ! このままじゃ圧殺される!」
大斧を振るい、迫る敵の盾の波を受け止めながら、マルクが叫ぶ。
「慌てるな、マルク。陣形を維持しろ」
アランは馬上で手綱を握り、冷徹な目で戦況と、後方に控えるシュタイン公爵の本陣を見据えていた。
(公国軍の防衛線は硬い。正面から突っ込ませ、黒狼旅団を公国軍と共倒れにさせる気だな、シュタイン公爵)
公爵は、アランたちがグラーフ伯爵から金貨一千枚の手形を脅し取った事実を、密かに察知していた。それゆえ、旅団の武力を利用しつつ、この大戦の最前線で「都合よく使い潰す」腹づもりだったのだ。
「……計算通りだな」
アランは薄く微笑み、胸元から、厳重に封をした一通の羊皮紙を取り出した。
*
昨夜、合戦前夜。
アランの天幕を、敵対するマルセル公国軍の密使が、人目を忍んで訪れていた。携えていたのは、公国軍の総大将、カルロ大公直筆の書状である。
『帝国軍は、貴殿らを使い捨てにするつもりだ。我が公国に加担せよ。報奨金として金貨二千枚。さらに戦後、国境沿いの「バルク領」を、自治権ごと黒狼旅団へ永久に譲渡する』
アランは条件を精査したうえで、その場でカルロ大公の署名と血判を取り付け、「裏の契約書」を交わしていたのだ。
*
「今だ。合図を揚げろ」
アランの静かな命令で、黒狼旅団の中央に、巨大な黒い狼の旗が翻った。
だがその振り方は、通常の攻撃の合図ではない。「陣営反転」の符丁だった。
「全軍、反転! 帝国軍、シュタイン公爵の本陣へ向けて突撃!」
「な……なにィッ!?」
隣で戦っていた帝国軍の正規大隊長が、目を剥いて叫ぶ。
「アラン! 貴様、狂ったか! 陣営を返す気か!? 契約違反だぞ!」
「契約違反? 滅相もない」
アランは馬上から冷ややかに見下ろした。
「シュタイン公爵は、我が旅団への補給物資の半分をわざと遅らせ、前線に孤立させた。契約書の『補給義務の怠慢』条項に基づき、帝国との契約は先ほど失効している。……現在の我が雇い主は、マルセル公国だ!」
「ひ、卑怯者め! 金で転ぶ、節操なしの野良犬が!」
「何とでも言え。戦場で生き残り、最大の利益を出す。それがプロの仕事だ」
アランの号令一下、黒狼旅団一千五百の長槍兵と火砲兵が、一斉に百八十度向きを変えた。
最前線で死闘を演じていたはずの最強の傭兵団が、突如、背後の帝国軍本陣へ牙を剥いたのだ。
ドォォォォンッ!!
ハンドカンノンの砲炎と鉛弾の雨が、完全に油断していた帝国軍の中央第二陣を直撃した。
「うわあぁぁっ!? 傭兵どもが裏切ったぞーッ!」
「背後から黒狼旅団が来る! 挟み撃ちだぁぁっ!」
戦場の中央で起きた最前線部隊の寝返りは、帝国軍全体に致命的な混乱を引き起こした。
正面からは公国軍の精鋭が押し寄せ、内側からは最強の黒狼旅団が食い破る。
完璧だったはずの帝国軍の陣形は、砂の城のように脆く崩れ去っていった。
*
「な……何が起きたのだ!? なぜ黒狼旅団がこちらへ向かってくる!?」
帝国軍本陣で、シュタイン公爵は血の気を失い、腰を抜かしていた。
怒涛の勢いで陣を食い破ってきた旅団の先頭に立つのは、血濡れの大斧を担いだマルクと、冷徹な眼差しのアラン・デュ・ボスク。
「シュタイン公爵。安く買い叩いた道具に噛み殺される気分は、いかがですか?」
アランは馬を寄せ、逃げ場を失った公爵を見下ろした。
「く、くそ、悪魔め……! 皇帝陛下が貴様らを絶対に許さんぞ!」
「陛下への言い訳は、公国軍の牢獄でじっくりお考えください」
マルクが振るった大斧の腹が、公爵の兜を打ち据えた。帝国軍の総指揮官は、泥の中に昏倒する。
総大将を失った帝国軍二万は、総崩れとなって潰走した。
『アルデンヌの戦い』は、たった一千五百の傭兵団による「完璧なタイミングの裏切り」で、公国側の圧倒的大勝利に終わったのである。
*
夕暮れ時。血に染まった平原で、公国軍の総大将カルロ大公が、自ら馬を寄せてきた。
「見事だ、アラン・デュ・ボスク。噂以上の冷徹さと手腕……まさに戦場を支配する黒狼だな」
「恐縮です、大公殿下。……さて、契約の話をしましょう」
アランは懐から、昨夜交わした裏の契約書を取り出して差し出した。
「金貨二千枚のお支払い、ならびに約束された『バルク領』の譲渡契約の履行を、お願いいたします」
「フフ、約束は守るとも。お前たちのような恐ろしい連中は、味方に引き入れておきたいからな」
カルロ大公は、金貨を詰めた革袋の山と、領地の譲渡文書を惜しみなく手渡した。
農民出身の一兵卒から始まったアラン・デュ・ボスク。
彼はついに、自らの力と一枚の契約書だけを武器に、自分の領地を持つ「独立した軍事領主」の座を手に入れたのだった。
(第9話 完)
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