第8話:契約の裏の裏
**第8話:契約の裏の裏**
「……フン、野良犬風情が調子に乗りおって」
フェルゼン城の豪華な執務室。帝国軍の特命将校、グラーフ伯爵は、羊皮紙の請求書を睨みつけ、不快そうに毒づいた。
『フェルゼン城開城報酬:金貨五百枚』
「泥舐め傭兵に、これほどの大金を払う道理があるか。……おい、準備はできているな?」
影からすっと現れたのは、暗色の革鎧をまとった暗殺部隊の頭領だった。
「はっ。今夜、黒狼旅団の主だった将校が祝杯をあげる天幕に、毒を仕込みます。あわせて選り抜きの刺客三十名を送り込み、アランの首を刎ねましょう。明朝には『敵の残党による不意打ちで全滅』と、皇帝陛下へご報告いたします」
「うむ。傭兵など使い捨ての道具よ。手柄だけ頂けばよい」
伯爵は満足げにワイングラスを傾け、口の端を吊り上げた。
*
その夜。要塞の麓に張られた黒狼旅団の陣営。
中央の巨大な天幕からは、酒を酌み交わす兵たちの陽気な歌声と笑い声が漏れていた。
闇に紛れて天幕を取り囲む、三十名の刺客。頭領が手を掲げ、突入の合図を送る。
音もなく忍び込んだ刺客たちは、眠りこけた人影へ、一斉に短剣を突き立てた。
――ズスッ!
「……ん?」
手応えがおかしい。肉を裂く感触ではない。藁を突いたような、軽い手応えだった。
「罠だッ! 撤――」
頭領が叫び終える前に、外から縄が一斉に引かれた。支柱が倒れ、天幕全体がバサリと崩れ落ちて、刺客たちを覆い包む。
「なっ……うわあぁぁッ!?」
「射て」
闇の中から響いたのは、アランの冷ややかな声だった。
天幕を取り囲んでいた五十名の黒狼旅団の兵が、一斉にクロスボウの引き金を引く。
布越しに放たれた鉄矢が、身動きの取れない刺客たちを次々と貫いた。絶叫と呻きがしばらく響き、やがて静寂が訪れる。
歌声も笑い声も、闇に潜んだ兵たちが張り上げた偽りのものだった。
アランは松明を掲げ、返り血ひとつ浴びぬ姿で一歩前へ出た。
「無能な雇い主の考えることは、どいつも同じだな」
「ア、アラン……お前、なぜ分かった……?」
脚を射抜かれ、泥に這いつくばった頭領が、血を吐きながら睨み上げる。
「簡単な算数だ」
アランは淡々と言った。
「金貨五百枚は、並の貴族の一年分の領地収入に匹敵する。手柄を妬み、金を惜しむ器の小さな男が、素直に払うはずがない。……だから俺は、最初からこの暗殺計画を、契約に付き物の損失として計算に入れていた。毒を仕込んだ密偵も、とうに押さえてある」
アランは倒れた頭領の懐から、グラーフ伯爵の印章が捺された暗殺命令書を抜き取った。
「いい証拠品が手に入った。……その男の首も持ってこい。手土産だ。マルク、行くぞ」
*
深夜。グラーフ伯爵の天幕。
「ふふふ、そろそろ吉報が届く頃――」
伯爵がワインを口に運ぼうとしたその時、天幕の入口が荒々しく引き裂かれた。
「な、何だ!?」
転がり込んできたのは、血まみれの、刺客頭領の首だった。
悲鳴を上げて腰を抜かす伯爵の前に、静かに歩み寄ったのは、アラン・デュ・ボスクである。その背後には、大斧を担いだ巨漢のマルクと、鋭い目つきの長槍兵たちがずらりと控えていた。
「バ、バカな……! 刺客どもはどうした! 護衛! 誰かおらんのか!」
「お探しの護衛なら、全員外で大人しく縛られていますよ」
アランは薄く微笑み、伯爵の目の前の卓に、一枚の羊皮紙と先ほどの暗殺命令書を叩きつけた。
「グラーフ伯爵。契約違反、および味方への暗殺企図。これを帝国の軍法会議に提出すれば、貴殿の家は取り潰し、首と胴は泣き別れになるでしょうな」
「ひっ……! 許してくれ! た、頼む! 金か!? 金なら払う!」
伯爵はガタガタと震えながら、アランの靴にすがりついた。
「言ったはずです。我々は『契約』を重んじるプロだと」
アランは懐から新たな羊皮紙を取り出し、伯爵の前に広げた。
「当初の報酬金貨五百枚に加え、『契約違反の慰謝料』と『口止め料』として、さらに五百枚。合計、金貨一千枚。今この場で、全額の支払手形に署名していただく」
「い、一千枚……!? そんな大金、我が家が傾く――」
「拒否されるなら結構。この首と命令書を持って、皇帝陛下に直訴するまでです」
アランの眼光に宿る本物の殺気に、伯爵の顔から完全に血の気が引いた。
「書く! 書くから、命だけは助けてくれぇっ!」
伯爵は震える手で羽根ペンを走らせ、金貨一千枚の手形に署名と血判を押した。
*
翌朝。朝靄が晴れていくなか、黒狼旅団は莫大な手形を手に、意気揚々とフェルゼン城を後にした。
「ハハハ! 金貨千枚だぞ、アラン! 千枚だ!」
マルクが大声で笑う。
「笑い事ではないぞ、マルク。帝国の将校をひとり脅したのだ。もはや一介の傭兵の枠には収まらん」
アランは手形を静かに懐へ収め、果てしなく続く街道の先を見据えた。
「だが、これでいい。金と相手の弱みこそが、貴族どもに対抗する最高の武器だ」
冷徹な知略と徹底したリスク管理で、雇い主の罠すら莫大な利益へと変えたアラン・デュ・ボスク。
その噂は、ついに神聖帝国の頂点、皇帝のもとへ届こうとしていた。
(第8話 完)
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