第7話:包囲された要塞と心理戦
**第7話:包囲された要塞と心理戦**
「――正面から総攻撃をかけ、城壁を打ち破る。犠牲が三千に上ろうと、我が帝国の威光を示さねばならん!」
神聖帝国軍の特命将校、グラーフ男爵が、幕僚たちの天幕で卓を叩いて言い放った。
眼前にそびえるのは、険しい岩山の頂に築かれた難攻不落の要塞都市『フェルゼン城』。
三方を断崖絶壁に囲まれ、残る一面には分厚い二重城壁と跳ね橋が立ちはだかる。過去に数多の将軍が力押しで挑み、夥しい屍の山を築いて敗れ去った「血の要塞」だった。
「男爵閣下。正面突撃など、正気の沙汰ではありませんな」
腕を組み、冷ややかな視線を送ったのはアラン・デュ・ボスクだった。
『黒狼旅団』千人を率いて遠征軍に加わったアランは、雇い主である帝国側の無謀な命令を、即座に突っぱねた。
「貴様、帝国の作戦に口を挟む気か! 傭兵は言われた通り、命を捨てればよいのだ!」
「無意味な突撃で兵を死なせるのは、無能の証明です。我が旅団は、契約書に基づき、独自の作戦行動をとらせていただく。……二週間待っていただこう。一滴の血も流さず、あの要塞を開城させてみせます」
「ふん、大口を叩くな! 二週間で落ちなければ、貴様らを軍律違反で処刑するぞ!」
天幕を出たアランに、副官のマルクが不安げに尋ねた。
「おいアラン、本当に二週間であのバカでかい城が落ちるのか? 兵糧は一年分も蓄えがあるって話だぞ」
「水だ」
アランは岩山を見上げ、短く答えた。
「人間は食わなくても数週間は生きられる。だが水がなければ、数日で狂う。岩山の上の要塞が、なぜ水に困らないと思う?」
「……山の途中に湧き水でもあるのか?」
「そうだ。中腹の湧き水を、岩盤を貫く地下水路で城内の大貯水槽へ引き込んでいる。……その水路の取水口は、すでに突き止めた」
アランは不敵に口元を歪めた。
*
その夜、黒狼旅団の特殊工作班は、闇に紛れて要塞の裏手、激流の轟く渓谷へ潜入した。
岩の裂け目に隠された取水口を見つけると、アランは兵たちに命じた。
「破壊するな。……『汚せ』」
用意させたのは、大量の腐った動物の死骸、強い下痢を引き起こす薬草の汁、そしてどろりとした黒い鉱物油だった。
それらを取水口へ一気に流し込み、水路を汚泥で満たしていく。
「毒殺はしない。死人が出れば、敵は死に物狂いで打って出てくる。狙うのは城内の衛生環境の破壊と、人心の絶望だ」
数日後。フェルゼン城内は、静かな地獄と化していた。
「水が……水が臭くて飲めん!」
「井戸から黒い油と泥が出てくるぞ!」
「腹が……腹が痛いっ!」
貯水槽の水は腐臭を放ち、口にした兵や市民が次々と激しい下痢と発熱に倒れた。
きれいな水が使えず、負傷者の傷は膿み、衛生状態は急速に悪化していく。城内には異臭と呻き声が満ちた。
アランは、さらに心理戦で追い打ちをかけた。
夜ごと城壁近くまで忍び寄った工作員たちが、投石機で大量のビラを城内へ撃ち込んだのだ。
書かれていたのは、アランが書かせた文書だった。
『城主は、すでに密かに逃亡の準備をしている』
『降伏した者には、温かいスープと清らかな水、そして安全な退去を保証する』
『拒む者は、水なき城で病死するまで放置される』
疫病への恐怖、耐えがたい喉の渇き、そして指導者への不信。
追い詰められた城内の人間にとって、そのビラは救いの手であると同時に、疑心暗鬼の種となった。
そして十日目。
城内でついに兵の暴動が起きた。自暴自棄になった一部の部隊が城主を拘束し、自らの手で門を開け放ったのだ。
ギギギ……と軋みを上げて開く、重い城門。
白旗を掲げ、憔悴しきった城兵たちが列をなして投降してくる。
正面突破で数千の損害を覚悟していた帝国軍の将校たちは、その光景に開いた口が塞がらなかった。
「な……本当に、一滴の血も流さずに要塞が落ちただと……!?」
グラーフ男爵は呆然と立ち尽くし、馬上で悠々と干し肉をかじるアランを見つめることしかできない。
アランは開かれた城門を見下ろし、冷たく言い放った。
「力押ししか知らぬ者は、城壁の厚さしか見ない。だが、城を動かしているのは『人』だ。人を崩せば、どんな堅城もただの石の檻にすぎん」
アランは、無傷のまま整列する自軍の兵に向き直った。
「全軍、城内の接収にかかれ! 約束通り、手柄に応じた報奨金を支給する!」
「おおーーッ!」
黒狼旅団の歓声が、かつて難攻不落と謳われた岩山にこだました。
剣を交えることなく、地形と人の心を支配して大要塞を落としたアラン・デュ・ボスク。
その恐るべき知略の名は、帝国全土、そして皇帝の耳へと届くことになる。
(第7話 完)
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