# 第5話:貴族の罠と「裏の契約」
# 第5話:貴族の罠と「裏の契約」
「――なるほど。あの泥舐め騎士団を三十名あまりで壊滅させたというのは、ハッタリではないらしいな」
大理石の館、分厚い絨毯の敷き詰められた執務室。ヴィスコンティ伯爵は、優雅にワイングラスを傾けていた。
この地方一帯を支配する大貴族であり、冷酷な野心家として知られる男だ。
「光栄でございます、伯爵閣下」
アランは過剰なへりくだりを捨て、堂々と対峙していた。背後には、緊張した面持ちのマルクが控えている。
「単刀直入に言おう。我がヴィスコンティ家は、隣国の難攻不落と謳われるカステル要塞の攻略を進めている。ついては、黒狼隊を我が軍の先鋒として雇いたい」
「要塞攻略……ですか」
アランの頭の中で、瞬時に計算が弾かれた。
要塞戦は、最も損害の大きい戦いだ。攻め手には守り手の三倍の兵が要るとされる。まともに攻めれば、生きて帰れる保証はない。
「報酬は金貨百枚。どうだ?」
「悪くない条件です。ただし、我が隊の損害に対する補償金と、要塞落城時の一番乗りの特別手当を、契約書に明記していただきたい」
「ハハハ! 抜け目のない奴だ。いいだろう、すべて認めよう」
伯爵は快く署名した。
――だがアランは、その笑みの奥にある暗い意図を見逃さなかった。
*
館を出て、馬車に乗り込むなり、マルクが大きく息を吐いた。
「金貨百枚だぞ、アラン! これで俺たちも大金持ちだ!」
「浮かれるな、マルク。あの伯爵に、俺たちへ金を払う気などない」
「……は? どういうことだ?」
アランは冷ややかに契約書を見つめた。
「要塞攻めの先鋒、つまり使い捨ての肉壁だ。運よく生き残っても、戦後に軍律違反か何かの濡れ衣を着せて始末する。支払う気のない雇い主が、いちばん最初に使う手口さ」
「なっ……!? だったらなんで契約なんか結んだんだ! 逃げようぜ!」
「逃げてどうする。大貴族の追っ手がかかるだけだ。相手が騙す気なら、こちらも相応の返礼をするまでのことだ」
アランは窓の外の暗闇を見つめ、不敵に口元を歪めた。
「次の客とは、もう話がついている」
*
数日後。カステル要塞を囲むヴィスコンティ軍の陣営。
石壁の上からは、守備兵が矢と煮えたぎる油を雨のように浴びせている。伯爵の命令で突撃させられた他領の歩兵たちが、悲鳴を上げて死体の山を築いていた。
「黒狼隊! 次はお前たちの番だ!」
督戦に来た伯爵の側近が、冷笑を浮かべて命じる。
「正門に梯子をかけ、突入しろ! 逃げる者は背中から斬る!」
アランの読みどおりの、使い捨ての命令だった。
「了解いたしました。……全軍、突撃準備!」
アランの号令で、いまや五十名に膨らんだ黒狼隊が動いた。
だが彼らは、攻城用の梯子も盾も担いでいない。槍だけを手にしていた。
「アラン、本当にやるんだな……?」
槍を握るマルクの手に、汗がにじむ。
「ああ。伯爵との契約は破棄だ。より条件のいい相手に切り替える」
アランが合図の旗を振った。
黒狼隊は正門ではなく、要塞の西の裏門へと一斉に駆け出した。
「なっ……何をしている!? 正門だと言ったはずだ! 裏切りか!?」
「いいや、乗り換えだ!」
アランが裏門の前に到達した瞬間、重い音を立てて、要塞の内側から門が開いた。
「な、なぜ敵の門が開く!?」
伯爵の陣営に、絶叫が走る。
門の奥から現れたのは、要塞の守備隊長だった。彼はアランと視線を合わせ、にやりと笑ってうなずいた。
実はアランは、伯爵の招きを受けた直後から、要塞を守るマルセル公国の使者と密かに接触していたのだ。
『ヴィスコンティ軍の攻略計画と陣形配置を、すべて提供する。引き換えに、金貨二百枚と、我が隊の安全な撤退、ならびに敵陣の戦利品の取り分を認めよ』
窮地に立たされていた要塞側にとって、内部情報の売却は渡りに船だった。
アランは伯爵の裏切りを逆手に取り、もうひとつの契約を結んでいたのだ。
「全軍、反転! 伯爵の本陣へ突撃!」
アランの叫びとともに、要塞から討って出た守備兵と黒狼隊が、一つの波となった。
使い捨てにされるはずだった傭兵たちが、挟み撃ちの刃となって、油断しきった伯爵の本陣へ襲いかかる。
「ひ、ひぃぃっ! 傭兵どもが寝返ったぞ!」
「裏切りだ! 逃げろぉッ!」
陣形も組めないまま、伯爵軍は瓦解していった。
アランは混乱する本陣へ踏み込み、腰を抜かしたヴィスコンティ伯爵を見下ろした。督戦のため、自ら本陣に出向いていたのだ。
「アラン……! 貴様、私を裏切る気か! 契約違反だぞ!」
「裏切り? 滅相もない」
アランは冷酷に笑い、懐から伯爵の署名入りの契約書を取り出すと、その目の前で破り捨てた。
「我が隊の命を、報酬も払わず使い捨てにしようとした。先に契約を踏みにじったのは、そちらです。信頼できない雇い主を捨てるのは、我々傭兵の正当な権利ですよ」
長剣の切っ先を、伯爵の首筋に突きつける。
「命が惜しければ、身代金として金貨三百枚の借用書をお書きください。断れば、この場で契約終了です」
身分も血統もある大貴族が、農民上がりの傭兵の前に膝を折り、恐怖に震えながら羽ペンを走らせる。
理不尽な罠を、冷徹な計算と二重の契約で、完璧に叩き潰した瞬間だった。
この日を境に、アラン・デュ・ボスク率いる黒狼隊は、ただの優秀な傭兵ではなくなった。
決して敵に回してはならない戦場の支配者として、その名は大陸中に轟くことになる。
(第5話 完)




