サイドストーリー『黒狼警備会社・新人研修日誌』
**サイドストーリー『黒狼警備会社・新人研修日誌』**
**【研修第1日:身だしなみと『笑顔』】**
「おい……正気かよ、この紙に書いてあること」
黒狼警備会社の新人訓練所、その広場。支給されたばかりの黒い制服に袖を通しながら、ルークは呆然と手元の『新人業務マニュアル』を見つめていた。
ルークは半年前まで、街道沿いの森で泥棒や追いはぎをして食いつないでいた男だ。大戦争が終わり、雇い主の貴族から放り出された流民の一人だったが、アラン・デュ・ボスク率いる『黒狼警備会社』の大量募集に引っかかり、命からがら採用された口である。
マニュアルの一ページ目には、太字でこう書かれていた。
『第一条:顧客に恐怖を与えてはならない。髭は毎日剃り、爪を切り、歯を磨け。挨拶は語尾をはっきりと、「いらっしゃいませ」「安全をお約束します」と言え』
「はあ!? 挨拶ぅ!?」
隣で同じ紙を読んでいた大柄な男が、怒りで顔を真っ赤にした。元・重装歩兵で、ゴリラのような体格の男――ハンスである。
「俺たちは人を殺すのが仕事の傭兵だぞ! なんで腰を低くして『いらっしゃいませ』なんて言わなきゃならんのだ! なめられちまうだろうが!」
「まあまあ、落ち着けって……」
ルークが宥めようとした、その時。バシッ! と鞭が地面を叩いた。
「声が大きいぞ、新人ども!」
現れたのは、かつてアランの右腕として凄惨な戦場を駆け抜けた副官、今は『警備部門最高責任者(常務)』のマルクだった。相変わらずの巨漢と威圧感だが、その身には仕立てのよい黒の高級制服がきっちりと着付けられている。
「いいか貴様ら! 過去に何人の首を刎ねていようが、ここでは関係ねえ! 今日からお前たちは戦場の野良犬ではなく、顧客の命と財産を守る『プロの警備員』だ!」
マルクは太い指でマニュアルを叩いた。
「昔みたいに商人から脅し取ったり、女を追い回したりしてみろ。アラン会長の命により、即クビだ。全額の損害賠償も請求する! 逆に、身だしなみを整えて顧客から良い評価をもらえば、毎月の給与に特別手当が上乗せされる!」
「「「特別手当……!?」」」
新人たちの目の色が、一斉に変わった。
「そうだ! ちゃんと働けば、毎月決まった日に銀貨が手に入る! メシも三食つく! 怪我をすれば会社の保険で治してもらえる! ……文句のある奴は、今すぐ出て行って路上で餓死しろ!」
ルークは生唾を飲み込んだ。毎月決まった給料。三食付き。怪我の保障。泥を舐め、いつ死ぬとも知れぬ恐怖に怯えてきた元盗賊にとって、それは夢のような条件だった。
**【研修第14日:コンプライアンスと過剰防衛】**
「止まれ! 姿勢を正せ! 笑顔が硬いぞ、ルーク!」
「は、はいっ! 安全をお約束しますっ!」
二週間が経ち、ルークたちは「警備員教育」をみっちりと叩き込まれていた。剣の振り方や長槍の構え以上に教え込まれたのは、なんと「法律(契約条項)」と「過剰防衛の禁止」だった。
「いいか! 街道で怪しい奴を見つけても、いきなり叩き斬るな!」
講義室で、マルクが黒板に文字を書きながら叫ぶ。
「まずは『止まれ、黒狼警備だ』と警告しろ! 相手が武器を抜いたら、初めて『防衛権』が発動する! 理由もなく先に殴れば、こちらが官憲に捕まり、会社が違約金を払うことになるんだ!」
「へいへい……いちいち面倒くせえな」
ハンスが鼻をほじりながらぼやく。
「相手が盗賊なら、問答無用で殺せばいいじゃねえか。その方が安全だろ」
「バカ野郎!」
マルクの雷が落ちた。
「お前が正当な理由もなく人を殺せば、我が社の『ブランドイメージ』が傷つくだろうが! 商人どもが『黒狼の連中は野蛮で恐ろしい』と噂してみろ! 契約が減って、お前たちの給料が減るんだぞ!」
「ぐっ……それは困る……」
「そうだろう! だから頭を使え! 武力は『見せるため』にある! 戦わずに相手を諦めさせるのが、一番コストのかからないプロの仕事だと、アラン会長も言っておられる!」
ルークはノートに必死でメモを取った。
(武力はコスト……戦わないのが一番儲かる……なるほど……)
**【研修第30日:初現場と『黒狼のプライド』】**
一ヶ月の過酷な研修を終え、ルークとハンスは初めての現場に配属された。任務は、バルク領へ向かう豪商の馬車三台の後方警護である。
ぴしりと仕立てられた黒い制服に、磨き上げた胸甲。腰には長剣と、小さなハンドカンノン。
「おいルーク……俺、なんか緊張してきたぞ」
ハンスがぼそりと呟く。
「なんだよ、昔は『人殺しなんて朝飯前だ』って威張ってたろ」
「バカ言え、昔は失うものが何もなかったからだ! 今は違う。今月を無事に終えたら、銀貨五枚もらえるんだぞ! 街の酒場で、一番うまい肉を食うんだ!」
ルークは笑った。自分も同じだ。この制服を着て、ちゃんと給料をもらって生きる心地よさを、知ってしまったのだ。
その時――街道脇の森から、ガサガサと不気味な音が響いた。
「出たぞッ! 襲撃だーッ!」
森から飛び出してきたのは、身なりの汚い十数人の盗賊だった。錆びた斧やナイフを振りかざし、叫びながら馬車へ突進してくる。
一ヶ月前のルークなら、パニックを起こして逃げ出していただろう。だが今の二人の身体は、叩き込まれたマニュアル通りに動いた。
「ハンス! 警告だ!」
「おうっ! 止まれッ! 我らは『黒狼総合警備』である! 直ちに武器を捨てて後退せよ!」
腹の底からの大声だった。その威圧感と、ぴかぴかに光る黒い胸甲、整然と身構える二人の姿に、盗賊たちの足が一瞬ぴたりと止まる。
「な、なんだあいつら!? 黒狼の警備員か!?」
「ひいっ! 噂の『黒狼の旗』だぞ! 襲ったら絶対に逃がしてもらえねえ連中だ!」
アランが全欧州に広めた『黒狼ブランド』の威力である。盗賊たちは、一発の弾も撃たれぬうちから顔を見合わせて怯え始めた。
「ひ、ひるむな! たった二人だ、やっちまえ――」
「警告終了! 防衛権、発動!」
ハンスはニヤリと笑い、腰からハンドカンノンを引き抜くと、空に向けてドォンッ! と一発放った。激しい爆音と、大量の硝煙。
「ひいぃぃっ! 悪魔の鉄筒だーッ! 逃げろぉっ!」
盗賊たちは武器を投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げ去っていった。
戦闘時間、わずか三十秒。怪我人ゼロ。弾薬消費、一発。
「素晴らしい……! 完璧な警護でしたぞ、黒狼の警備員さん!」
馬車から顔を出した豪商が、感動した様子で、心付けの入った袋を差し出してきた。
「あ、いえ! お客様からの個人的な金品の受け取りは、規則で禁じられております! ご評価は、会社の『アンケート用紙』にお書きください!」
ルークはマニュアル通りにきっぱりと断り、胸を張って敬礼した。
「安全をお約束するのが、我が社の仕事ですので!」
商人から感謝の眼差しを向けられた時、ルークの胸の奥に、今まで感じたことのない温かいものが込み上げてきた。
掠奪者として人に憎まれ、怯えられて生きるのではない。ルールを守り、人を守り、「ありがとう」と言われて正当な対価を得る誇り。
(……アラン会長って人は、本当にすげえや)
ルークは晴れ渡る青空を見上げた。
あの冷徹な会長が作った『警備会社』という仕組みは、ただのビジネスではない。自分のような食い詰め者に「人間としての誇りと居場所」を与える、最強の魔法だったのだ。
(サイドストーリー・完)
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