# 第2話:最初の「契約(コントラクト)」
# 第2話:最初の「契約」
「おいアラン、本当にこんな紙切れ一枚でどうにかなるのか?」
交易路沿いの小さな村、その村長宅の一室。
使い古した羊皮紙を覗き込みながら、マルクが半信半疑といった様子で首をかしげた。
羊皮紙には、拙い文字で取り決めが書き連ねられている。
『一、アラン・デュ・ボスク率いる傭兵隊は、村を脅かす盗賊団の討伐を行う。』
『一、報奨金は銀貨三十枚。うち十枚は前払いとし、残りは盗賊団の全滅を確認した後に支払う。』
『一、盗賊団が奪った財宝を奪還した場合、その二割を傭兵隊の取り分とする。』
『一、戦闘で村人の財産に損害が出ても、傭兵隊はその補償を負わない。』
「口約束だと、後から『金がない』『期待した働きじゃない』と難癖をつけられて踏み倒される。だから文字に残す。これが契約だ」
アランはそう言って、震える手で署名した村長から前払いの銀貨十枚を受け取り、その重みを確かめた。
前回の戦場から二週間。
死体から剥いだ品を売って得たわずかな金を元手に、アランはマルクを含む生き残りの農民兵五名と、路頭に迷っていた食い詰め者四名を加え、自分を含めて十名の小さな部隊を作っていた。
「銀貨三十枚か。俺たちには大金だが、相手は山奥に巣食う『赤ヒゲ』の一味だろ? 二十人以上いるって話だぞ。こっちはたった十人だ。真っ向からやれば返り討ちだ」
マルクの懸念はもっともだった。
だがアランの顔に、焦りの色はない。
「真っ向勝負などするか。兵が傷つけば薬代がかかり、死ねば補充の手間と金がかかる。損害はそのまま経費の増大だ。俺たちの初陣の目標は完全勝利じゃない。損害ゼロでの討伐だ」
「損害ゼロ? そんな都合のいい戦い方があるかよ」
「ある。戦いは、剣を交える前に八割方決まっているものだ」
アランは冷たく微笑み、村長から借りた周辺の地図をテーブルに広げた。
*
その夜。月明かりも途切れがちな深い森の奥で、盗賊の砦は宴に沸いていた。
「へっ、あの村の連中め、そろそろ今年の収穫を差し出す頃合いだな!」
「逆らう奴は全員叩き斬ってやる!」
見張りの男たちが松明の下で酒をあおり、だらしなく笑い転げている。
彼らは完全に油断していた。これまで村人は怯えるばかりで、まともに抵抗したことなど一度もなかったのだ。
砦から百歩ほど離れた暗闇に、アランたち十名は息を潜めていた。
「アラン、合図を」
マルクが緊張した面持ちで長槍を握りしめる。だが、アランは首を振った。
「焦るな。酒が回って全員が寝静まるまで待つ。最も効率がいいのは、敵が戦う意思すら持てない瞬間を叩くことだ」
午前二時を回る頃、砦の明かりは消え、森に静寂が戻った。見張りも地面に転がり、いびきをかいている。
「よし、かかれ」
アランの静かな声に、兵たちが動いた。
彼らが手にしているのは剣でも槍でもない。大量の乾いた藁と、油の壺だった。
アランに、正面から踏み込むつもりなど最初からなかった。
木造の砦の風上に忍び寄り、藁を積み上げ、油を注いでいく。
「火をつけろ」
松明が投げ込まれた。乾いた木と油に炎が一気に燃え移り、黒煙が噴き上がる。
夜風に煽られた濃い煙が、そのまま砦の中へ流れ込んでいった。
「ゴホッ! なんだ、火事か!?」
「煙い! 出ろ、外へ出ろッ!」
着の身着のまま咳き込む盗賊たちが、唯一の出口である丸太の門へ殺到する。
手に武器はなく、目は煙で潰れ、完全にうろたえていた。
「――射て」
門の外で待ち構えていたアランの、冷え切った声が響いた。
暗闇から放たれたのは、前払いの銀貨で買い揃えた三丁のクロスボウの矢。引き金を引くだけで、素人でも高い殺傷力を発揮する兵器だ。煙の中から飛び出してきた盗賊たちの胸や腹を、正確に貫いていく。
「ぎゃあああッ!」
「ま、待ち伏せだ!」
先頭の数名が射抜かれ、後ろの者は逃げ惑い、狭い門の前は押し合いへし合いの地獄絵図となった。
「長槍隊、前へ。突け。深追いはするな」
指示どおり、マルクたち長槍兵が壁のように並び、一歩ずつ前進する。
長槍の届く間合いから、混乱した盗賊たちを一方的に突き刺していった。
それは合戦ではなく、あまりに機械的で合理的な害獣駆除だった。
十五分後。
燃え上がる砦の前には、二十数名の盗賊の死体が転がっていた。
アラン側の損害は、煙を吸って少し咳き込んだ兵が一人。怪我人すら出なかった。
「す、すげえ……本当に、一人もやられずに終わった……」
血に濡れた槍を握ったまま、マルクは呆然と死体の山を見つめた。
貴族の下で戦っていた頃は、どれほど勇敢に戦っても、無意味な突撃で仲間がばたばたと死んでいった。それが今回は、恐ろしいほど簡単に勝利が転がり込んだのだ。
「言ったはずだ。死人は高くつくと」
アランは懐から羊皮紙を取り出し、首領「赤ヒゲ」の死体を一瞥した。
「砦の裏の石蔵は燃えずに残っている。財宝を検分しろ。契約では、報奨金とは別に、奪還した財宝の二割が俺たちの取り分だ。……マルク、怪我がないなら手伝え。仕上げの仕事だ」
「お、おう!」
兵たちは歓声を上げた。アランへ向ける眼差しには、羨望と畏れが入り混じっている。
この男についていけば、死なずに済む。それどころか、腹いっぱいの飯と金が手に入る。
夜明け前、アランは回収した金品と首領の首を袋に詰めながら、静かに呟いた。
「まずは一歩目だ。……次は、もっと大きな客を探すぞ」
この小さな村での鮮やかな初陣と、寸分の狂いもない契約の履行は、やがて口伝えに広まり、近隣の小領主たちの耳へと届いていくことになる。
(第2話 完)
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