第18話 平和のコストと新たなビジネス
**第18話 平和のコストと新たなビジネス**
「――で、これが今月開通した『北方海上交易ルート』の損益分岐点か」
バルク自治都市の中央にそびえる、黒狼総合警備・物流保障会社の本社館。
日差しの差し込む最上階の執務室で、アラン・デュ・ボスクは上質な木製の机に脚を組み、静かに書類へ目を通していた。
絹の上等な服に身を包んだその姿を見て、かつて泥と血にまみれて長槍を振るっていた傭兵だと思う者は、誰もいないだろう。
現場の指揮を部下に譲り、自らは同社の最高経営責任者――「会長」へ退いたアラン。彼が次に目をつけたのは、陸の街道ではなく、「海」だった。
「アラン会長! 大変です!」
ドタバタと部屋に飛び込んできたのは、重い甲冑を脱ぎ捨て、警備部門の統括となったマルクだった。
「北海の海賊どもが、うちの顧客のバルセロナ商会の大型交易船を、三隻も襲いやがった! 首領の『片目のバルバロス』って野郎が、『陸の狼どもに海が治められるか!』と笑いながら船を奪っていったぞ!」
「騒ぐな、マルク。パニックはビジネスの天敵だ」
アランは紅茶を一口含み、冷ややかに微笑んだ。
「陸の治安が完璧になり、街道の盗賊が一掃された。なら、行き場を失った犯罪者が海へ流れ、海賊が増えるのは自然な成り行きだ。俺はすでに半年前から、『海兵警備部門』の設立を進めていた」
「か、海兵警備だと!?」
「ああ。小型で高速の警備艦に、最新の旋回式ファルコン砲と重クロスボウ隊を配備した、専用の艦隊だ。ちょうどいい。バルバロスには、『新商品』の実演販売に付き合ってもらおう」
*
数日後。北海の荒波が打ち寄せる沖合。
海賊船五隻を率いる『片目のバルバロス』は、奪った財宝を前に高笑いしていた。
「ハハハ! 陸の黒狼も、海の上じゃ形無しだな! 今夜は奪った宝で酒盛りだ!」
だが、その歓喜は、見張りの叫び声に打ち破られた。
「お、お頭! 後方から、見たこともない黒い船が迫ってきます! 速い……速すぎます!」
「何だと!?」
バルバロスが遠眼鏡を覗くと、黒い狼の紋章をひるがえし、波を切り裂いて猛然と迫る三隻の警備艦があった。
「フン、たった三隻で、この『海の悪魔』に挑むとは笑わせる! 船を横付けして乗り込め! 陸のひよっこどもを皆殺しにしろ!」
海賊船が横腹を見せ、接舷攻撃を仕掛けようとした、その瞬間――
ズドォォォォンッ!!
警備艦の艦首砲が、一斉に火を噴いた。
狙いは甲板ではない。マストと、水線下の船体だった。
正確無比な砲撃で主マストがへし折れ、船底に大穴の開いた海賊船が、みるみる浸水していく。
「な、なんだあの射程と威力は!? こっちの船じゃ追いつけん! 撃たれ放題だ!」
警備艦は、海賊船の接舷できる間合いには決して入らない。圧倒的な機動力と、射程外からの砲撃で、海賊船を一隻、また一隻と行動不能に追い込んでいった。
「ひいぃっ! 降伏だ! 降伏する!」
わずか一時間。
北海を恐怖に陥れていた海賊艦隊は、こちらに一隻の損害も出さないまま、完全に制圧された。
この「北海沖の完勝」は、全欧州の海上商人たちに強烈な衝撃を与えた。
『黒狼の海上保険に入れば、海賊の被害は確実に防げる』
アランはここで、さらに画期的な仕組み――『海上損害保険』を、世界で初めて導入した。
「万が一、我が社の警護をすり抜けて商品に損害が出た場合は、損失を補償いたします。その代わり、運賃の五パーセントを保険料としてお支払いください」
商人たちにとって、これほど魅力的な提案はなかった。
万一の破産の恐れがなくなり、安心して大海原へ投資できるようになったのだ。
結果、全欧州の海上貿易の八割が『黒狼保険』の傘下に入り、アランの会社には、毎月莫大な保険料が流れ込む仕組みが完成した。
*
バルクの本社館、最上階の執務室。
運ばれてきた莫大な決算書を見て、マルクは呆れを通り越し、感嘆の溜め息をついた。
「……武力で海を制し、金融で海を束ねたか。アラン、お前はもう、どこの国王や皇帝よりも金と権力を持ってるぞ。世界を支配していると言ってもいい」
「支配? とんでもない」
アランは窓の外、世界中の交易船でにぎわう港を見下ろし、静かに首を振った。
「国を統治するのは王の仕事だ。俺たちが売っているのは、『平和と安全というコスト』にすぎない。国は争って滅びるが、人々が安全を求める限り、我が社の仕組みは滅びない」
国家の枠組みすら超えた、民間のインフラ。
泥の中の一兵卒だったアラン・デュ・ボスクは、剣を持たぬ会長として、世界を裏から支える「不可欠な存在」へと上り詰めたのだった。
(第18話 完)
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