↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/28

第19話 不戦条約と「黒狼」の遺産


**第19話 不戦条約と「黒狼」の遺産**


 欧州東部に突如として台頭した新興大国、ザクセン帝国。

 若く野心に満ちた皇帝フリードリヒ四世は、十万の常備軍を率い、破竹の勢いで周辺諸国を併呑していった。


「時代遅れの『黒狼警備会社』などという商人どもが、全欧州の安全を気取っておるのが気に入らん」


 豪奢な軍議の場で、フリードリヒ四世は剣の柄を叩き、高らかに言い放った。


「我が十万の鉄靴で、バルク自治都市を踏み潰せ! アラン・デュ・ボスクをひざまずかせ、膨大な財宝と『黒狼銀行』の金庫を奪い取るのだ!」


 武力と大軍による、古臭い覇権主義。

 ザクセン軍十万は、バルク領と黒狼の加盟都市に向け、怒涛の侵攻を開始した。


     *


「アラン会長! ザクセン軍十万が国境を破りました! 敵の先鋒二万が、すでに我が社の第一関所に迫っています!」


 バルク本社の会長執務室。

 冷や汗を流して駆け込んだマルクを前に、アランは書類から目も上げず、淡々と紅茶を口に含んだ。


「十万か。……戦争を『兵隊の数』だけで考える愚者は、相変わらず後を絶たないな」


「おいおい、十万だぞ!? 黒狼警備隊は、全軍合わせても二万しかいないんだ! 正面からぶつかれば、数で押し潰される!」


「正面からぶつかる? なぜ、そんな無駄なコストを払う必要がある」


 アランは不敵に口元を歪め、机上の合図の鐘を指で鳴らした。


「フリードリヒは大きな勘違いをしている。この時代の戦争は、軍隊だけでは成り立たない。食料の購入、火薬の調達、兵の給与の支払い、街道の通行許可。……そのすべてが『我が社の仕組み』の上で動いていることに、まだ気づいていないらしい」


 アランは静かに立ち上がり、窓の外に広がる欧州地図を見下ろした。


「全加盟都市、全金融機関、全物流網に通達。『ザクセン帝国に対する全面的なサービス停止』を発動しろ」


 その直後。全欧州で、前代未聞の全面遮断が実行された。


 第一に、ザクセン軍が占領地で買おうとした食料・馬・薪の売買を、黒狼加盟の商人たちが一斉に拒否した。

 第二に、皇帝が諸侯に出す軍資金の手形を、黒狼銀行と全欧州の銀行が「無効」として凍結した。

 第三に、進軍路にあるすべての街道・橋・港の利用許可を取り消し、黒狼警備隊が「民間インフラの防衛」を名目に主要道を閉鎖した。


 ――侵攻開始から、わずか三日。

 十万のザクセン軍は、一度も戦わないまま、足元から崩れ始めた。


     *


「な、なぜだ!? なぜ食料の買い付けが、一切できんのだ!?」


 陣中で、フリードリヒ四世が怒鳴り散らす。


「へ、陛下! 兵への今月分の給与が、黒狼銀行の口座凍結で支払えません! 兵たちが『金がもらえないなら戦わない』と、暴動を起こしかけております!」


「さらに、後方からの硝石と鉄の輸送船が、黒狼の沿岸警備隊に『密輸品』としてすべて押収されました! 弾薬が底をつきます!」


「なにぃぃっ!?」


 刃も交えていない。矢の一本も飛んでこない。

 それなのに、十万の大軍は腹を空かせ、給金も払われず、火薬も尽き、ただの「路頭に迷う十万の難民」と化してしまったのだ。


「う……撃て! 襲え! 奪い取れ!」


 狂乱したフリードリヒ四世は略奪を命じた。だが、近隣の農村や都市はすべて黒狼警備隊の防御拠点と化している。頑強な長槍方陣と要塞の前に、ザクセン軍は手も足も出なかった。


 戦争というビジネスを成り立たせる「物流・決済・安全」を遮断されたとき、どれほど強大な軍隊も、ただの無力な集団にすぎない。

 アランは、それを全世界に見せつけたのだった。


     *


 十日後。

 飢えと暴動に追い詰められたフリードリヒ四世は、ぼろぼろの姿で、単身バルクのアランのもとへ逃げ込んできた。


「た……助けてくれ、アラン! 頼む! 口座の凍結を解き、我が軍に食料を売ってくれぇっ! 全軍が瓦解してしまう!」


 かつての若き覇王が、アランの靴の前にひれ伏し、涙を流して乞い願う。

 アランは冷ややかに見下ろし、一枚の羊皮紙を叩きつけた。『全欧州不戦・安全保障条約(バルク協定)』である。


「フリードリヒ閣下。ザクセン帝国は、軍備を現在の三割にまで縮小すること。そして、すべての国際紛争の仲裁権を『黒狼裁定機関』に委ねること。……署名なさい」


「し、署名する! 書くから食料を……兵たちに飯を食わせてくれぇっ!」


 震える手でペンを走らせる皇帝。

 この瞬間、欧州の歴史上初めて、「武力による戦争」そのものが、ビジネスの仕組みによって不可能になったのだった。


     *


「……凄まじいな、アラン」


 皇帝が逃げるように去ったあと、マルクが呆然とつぶやいた。


「一滴の血も流さず、十万の大軍を降伏させ、全欧州に不戦条約を結ばせちまった。お前は本当に、歴史上誰も成し得なかった『平和』を作っちまったんだな」


「平和、か」


 アランは、フッと薄く笑った。


「俺は平和運動家じゃないよ、マルク。戦争というのは、利益率が低く、リスクの高すぎる悪手だ。だから、誰も戦争を選ばない仕組みを作っただけさ」


 アランは懐から、第1話で泥の中から拾った一枚の金貨を取り出し、静かに見つめた。

 泥の中で死を待つだけだった、一人の農民兵。

 彼が積み重ねてきた冷徹な計算と合理主義は、やがて世界を包む「最強の遺産」として結実したのだ。


 そして物語は、アラン・デュ・ボスクという男の「永遠の契約」を描く、最後の物語へと続いていく。


(第19話 完)


---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。