↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/28

第14話:雨の決戦前夜とぬかるみの罠


**第14話:雨の決戦前夜とぬかるみの罠**


 天が底が抜けたような豪雨が、三日三晩にわたって、アルデンヌの広大な平原を叩き続けていた。

 視界を遮る雨粒。甲冑の隙間から染み込み、兵士たちの体温を奪っていく冷たい水。

 踏み固められていた大地は赤黒い泥流へと変わり、歩くだけで足首まで沈み込む、底なしの泥沼と化していた。


「……酷い雨だな」


 作戦天幕の庇の下で、アラン・デュ・ボスクは、降りしきる雨を冷徹な目で見つめていた。


「アラン! 敵だ! 兵糧を絶たれたグラハムの連合軍四万が、狂ったようにこっちへ進軍してきている!」


 ぬかるみに足をとられながら、副官のマルクが駆け込んでくる。


「食料のない奴らは、完全に背水の陣だ!『このまま餓死するくらいなら、刺し違えてでも帝国軍の食料を奪う』と息巻いて、全軍で総攻撃を仕掛けてくる気だぞ!」

「そうか。……絶好の好機だな」


 アランは薄く口元を歪めた。


「ぜ、絶好だと!? この底なしの泥沼で、四万の大軍とやり合うんだぞ! 馬も走れねえ、歩兵もまともに動けねえ! 混戦になったら、数で勝る向こうが有利じゃないか!」

「普通の戦い方ならな。……だが、俺たちがこの泥の中でどうやって生き残ってきたか、忘れたか?」


 アランは、自らの履き古したブーツに目を落とした。


 あの日。無能な貴族の指揮のもと、雨のぬかるみの中で一方的に屠られていった騎士たち。泥の中から生き延びたアランは、あの時から「環境」を戦術に組み込むことを知っていたのだ。


「泥は、重装備で突撃してくる敵の勢いを殺す『最高の障害物』だ。……全軍に伝えろ。長槍方陣(パイク・スクエア)の配置につけ。火砲(ハンドカンノン)には防水の油布を被せ、一滴の雨水も入れるな!」


   *


 一方、隣国連合軍の本陣。


 飢えと恐怖で正気を失いかけた四万の兵が、泥まみれになりながら剣や槍を握りしめていた。


「兵たちよ! 後ろには食う飯もない! 前へ進み、アランの首を取り、奴らの兵糧庫を奪うのだ!」


 手負いの老将ジョン・グラハムが、泥に足をとられながらも大剣を抜き放ち、叫ぶ。


「突撃ぃぃッ! 泥を喰らう覚悟で突き進めぇッ!」


 四万の死兵が地鳴りのような雄叫びを上げ、泥の平原へ雪崩れ込んだ。


 ――ズズズ……!


 だが、その突撃はあまりにも鈍く、惨めなものだった。

 泥沼は、大軍の機動力を完全に奪い去った。重装馬は膝まで沈んで動きを止め、甲冑の歩兵は一歩進むごとに喘ぎ、体力を削られていく。


 そこへ、アランの仕掛けた罠が牙を剥いた。


 アランは決戦の前日、平原のくぼ地に水路を掘り、雨水を集めて「見えない底なし沼」を各所に作らせていたのだ。

 草で隠された泥穴に、先頭の歩兵や騎兵が次々と落ち込む。そこへ後ろから押し寄せた味方が、彼らを踏み潰していった。


「押し寄せる波が、勝手に足元から崩れていくな……」


 黒狼旅団の方陣の中央で、マルクが呆然と呟いた。


 黒狼旅団の兵たちは、泥に沈みにくい木製のかんじきをブーツの下に履き、高台の硬い地盤に、強固な長槍方陣を組み上げていた。


「よし。泥に足を取られて動けぬ敵に向け――火器隊、射手隊、一斉射撃!」


 アランの手が振り下ろされた。


 ズドォォォンッ!!


 油布で守られていた火砲と小型野戦砲が、雷鳴のような轟音とともに、一斉に火を噴いた。

 泥の中で身動きが取れず、ひと塊になった連合軍の密集隊形に、鉄弾と散弾の雨が正確に叩き込まれる。


「ひいぃぃっ! 助けてくれ! 足が抜けないッ!」

「動けない! 撃たれる! 逃げ――」


 絶叫と悲鳴が、雨音と泥の中に混ざり合う。

 逃げようにも、足は泥に捕らわれている。後ろからは飢えた味方が押し寄せ、前からは容赦のない火薬の威力が襲いかかる。

 それはもはや合戦ではなく、ぬかるみの屠殺場だった。


「な……なぜだ……! なぜ我が軍の必死の突撃が、届きもしない……!?」


 後方でその惨状を見ていたグラハムは、膝から崩れ落ちた。

 飢えに任せた背水の突撃さえ、アランは雨と泥という自然まで計算に入れ、一歩も寄せつけずに封じ込めてみせたのだ。


「グラハム閣下……! もはや限界です! 兵たちが次々と武器を捨てて降伏しております!」


 側近が泣き叫ぶ。


 泥の中で足止めされ、一方的に撃ち抜かれた連合軍は、戦意を完全に失った。生き残った者たちは次々と泥に膝をつき、白旗を掲げていく。


   *


 やがて雨が上がり、雲の切れ間から一筋の陽光が、泥まみれの戦場を照らし出した。


 四万を擁した隣国連合軍は壊滅した。

 『アルデンヌの泥沼決戦』は、アラン・デュ・ボスク率いる黒狼旅団の歴史的な圧勝で幕を閉じたのだ。


 泥の中を歩き、傷ついたグラハムのもとへ、アランが静かに歩み寄る。


「……見事だったよ、アラン」


 グラハムは吐血しながら、自嘲気味に微笑んだ。


「俺は『兵の怒りと飢え』を武器にしようとした。だがお前は、『雨と泥と人間の限界』を計算に入れて俺たちを潰した。……本当の悪魔は、お前だ」

「悪魔ではありませんよ、グラハム閣下」


 アランは冷ややかに見下ろし、静かに言った。


「俺はただ、生き残るために最も効率的な計算をしただけです。……契約通り、あなたの身柄と連合軍の捕虜について、身代金の交渉に入らせていただきます」


 全欧州を揺るがした大戦争は、ここに終結した。

 そして、皇帝すら凌ぐ圧倒的な勝利を手にしたアラン・デュ・ボスクに、最後の「巨大な選択」が突きつけられようとしていた。


(第14話 完)


---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。