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第11話:領主の計算書


**第11話:領主の計算書**


「――で、これが我がバルク領の今年の収支決算書か」


 かつて豪奢だった旧領主の執務室。

 アラン・デュ・ボスクは、羊皮紙に書かれた無数の数字を指で追いながら、冷ややかに溜め息をついた。


「ひ、ひぃっ! アラン様、何卒お許しを! 前領主様の命で、収穫の六割を納めさせておりました。これ以上の増税は無理でございます……!」


 目の前の徴税官が、ガタガタと震えながら床に額を擦り付けている。


 三万の帝国大遠征軍を打ち破り、名実ともにバルク領の支配者となったアラン。

 だが、彼が手に入れた土地の内情は散々なものだった。

 前領主の重税と無計画な軍費徴収により、農村は疲弊し、街道の交易は途絶え、金庫は空っぽ。ただの「赤字の土地」に過ぎなかったのだ。


「勘違いするな。税を上げろと言っているのではない。……『税の取り方』が愚かすぎると言っているのだ」


 アランは羊皮紙をテーブルに叩きつけた。


「収穫の六割を巻き上げれば、翌年の種籾すら残らん。農民は餓死するか盗賊になり、税収は年々減る。子供でも分かる足し算だ」

「は、はあ……? では、減税なさるおつもりで……?」

「減税どころか、『投資』をする」


 アランが傍らのマルクに合図を送る。

 マルクがズシンと重い音を立ててテーブルに置いたのは、先の戦いで得た金貨と身代金の山だった。


「これよりバルク領の関税を全面的に廃止する。さらに街道へ黒狼旅団の駐留所を設け、盗賊を徹底的に駆除する。『世界で最も安全に通れる交易路』を作るんだ」

「か、関税の廃止!? それでは領地の収入が消えてしまいます!」

「目先の関税で商人からむしり取るから、連中は迂回するのだ。安全と無税を保証すれば、全欧州の商人がこのバルクに集まる。彼らが落とす宿代、飯代、酒代、市場の出店料……消費から生まれる税だけで、従来の十倍の金が転がり込んでくる」


 アランの狙いは、単なる領地の統治ではなかった。

 自領を、欧州最大の交易と金融の中心地へと作り変える。それは、戦場ではなく帳簿の上で仕掛ける戦いだった。


 改革は劇的だった。


 第一に、農民の年貢率を四割に引き下げた。さらに未開墾地を耕した者には三年間の無税を認め、『土地開拓特区』を設けた。

 第二に、戦場で黒狼旅団を支えた兵站の仕組みを民間に転用し、領内全域に定期の馬車便を走らせた。

 第三に、旅団の退役兵や負傷兵を警備隊や税関役人として雇い入れ、治安維持と雇用の確保を同時に成し遂げた。


「おい、聞いたか? バルクに行けば腹いっぱい飯が食えるそうだ!」

「あそこじゃ盗賊も出ない。商人にとっちゃ天国みたいな場所だぞ!」


 噂は瞬く間に近隣諸国へ広がった。

 圧政に苦しむ農民や、重い関税に喘ぐ商人たちが、雪崩を打ってバルク領へ流れ込む。

 わずか半年で人口は三倍に膨れ上がり、市場には東西の珍しい品々が溢れ、税収は過去最高を記録した。


   *


 その頃、神聖帝国の首都・帝都。


「……何だと!? バルク領の税収が、帝都の半分に迫っているだと!?」


 御前会議で、財務卿が驚愕の報告書を読み上げていた。


「はい……。我が国の商人たちも、重い関税を嫌ってこぞってバルクへ拠点を移しております。さらにアラン・デュ・ボスクは、集めた資金で自前の『金融組合』、すなわち銀行を設立。周辺の小領主たちに軍資金を貸し付け、実質的な債権者として彼らを支配下に収めつつあります」

「な、何ということだ……! 武力だけでなく、金で帝国を侵食する気か、あの野良犬は!」


 諸侯の間に激震が走る。

 剣と槍で挑んだ三万の大軍は壊滅した。そして今、アランは「金と経済」という、武力以上に逃れがたい網を全欧州に張り巡らせようとしていた。


「皇帝閣下! もはや一傭兵として扱うわけにはまいりません! あの男は、我が神聖帝国を裏から牛耳る『第二の皇帝』になろうとしております!」


 玉座の老皇帝は、深く皺の刻まれた顔を歪め、低く呟いた。


「……アラン・デュ・ボスクか。殺すこともできず、従わせることもできぬ男……。ならば、奴に『断れぬ提案』を突きつけるまでよ」


   *


 バルク領、領主館。


 新設された豪華な執務室で、アランは運ばれてきたワインを口に含んでいた。


「アラン、帝都から特使が来たぞ。皇帝直々の『招待状』だ」


 マルクが差し出したのは、純金の封蝋が施された羊皮紙だった。


「招待状、か。内容は?」

「全欧州を巻き込む大戦争の『全軍総指揮(元帥)』になってくれ、だとよ。断れば全諸侯を敵に回す。だが受ければ、皇帝に使い捨てにされるかもしれん」


 アランは文面を眺め、フッと冷酷な笑みを浮かべた。


「皇帝も焦っているな。俺を囲い込もうと必死だ」

「どうするんだ、アラン?」

「受けるさ。ただし――俺の書いた『追加の契約書』を呑ませてからな」


 ただの農民から、傭兵隊長へ。

 傭兵隊長から、軍事領主へ。

 そして今、アラン・デュ・ボスクは、ヨーロッパ全土の命運を握る「国家の黒幕」としての第一歩を踏み出そうとしていた。


(第11話 完)


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