第八話 ヴィンセントの帰還
その日、王宮の白亜の間には大勢の貴族が集まっていた。
それもそのはず。
王太子の座を剥奪され、騎士爵を得るため派兵されたヴィンセントが帰還したからだ。
通常より大幅に早い帰還に、ヴィンセントが上げたという手柄の数々。
それが本当なのか、皆知りたくて仕方ないのだ。
「ドラゴンを単騎で五体倒したらしい」
「ほかの騎士の手柄を横取りしたんじゃないか?」
「いや、どうやら本当らしいんだよ」
ひそひそと囁く貴族たちの声などものともせず、ヴィンセントは威厳ある振る舞いで国王と王妃が座る玉座に向かって傅く。
「ただいま戻りました。国王陛下、並びに王妃陛下」
「よく戻った。五体のドラゴンを倒したそうだな」
「は」
短く肯定したヴィンセントに貴族たちがざわめく。
「約束は約束だ。そなたに騎士爵を授けよう」
「では、ジゼル・レンブラントとの結婚をお許しいただけますか」
まるでもう王太子の座になど興味はない。欲しいものはジゼルの夫の座だけ。
そう語るような言葉に、貴族たちも、
「もう王太子の座に興味はないか」
「ジゼル嬢に婚約者に望まれた時から、生まれ変わったようだ」
「まるで以前とは別人だな」
と囁く。
「そうだな。許そう」
国王は鷹揚に頷いた。
「もっとも、彼女が今もその気であればの話だが」
「どういう意味でしょうか?」
付け足した国王にヴィンセントは冷静な面持ちのまま問いかける。
「彼女は最近、ヴァンデッシュ卿と急接近しているようだ」
「兄上と……?」
思わず漏れた呟きは、そんなことはあり得ないという訝しむ声だった。
国王との謁見を終え、王宮の廊下を歩いていたヴィンセントは不意に正面から歩いてくる男性を見て足を止めた。
「お帰り、ヴィンセント」
相手は兄、ヴァンデッシュ卿だ。
彼は涼やかな微笑を浮かべて、ヴィンセントの少し前で立ち止まる。
「兄上、聞きたいことがあります」
「なんだい?」
「ジゼルとの関係は、本当ですか」
ほかのことならば、冷静でいられる。
だがジゼルのことだけは、冷静でいられない。
それほどに愛しい存在だからだ。
「駄目だよ。ヴィンセント。それでは同じことの繰り返しだ」
だがヴァンデッシュに窘めるように言われ、ハッと息を呑む。
「もう二度と、彼女を疑わないと誓ったのだろう?」
そう話しかける兄の表情は優しいものだ。
この兄が、ジゼルが自分を裏切るはずがない。
「はい」
ヴィンセントは冷静さを取り戻し、静かに頷く。
「ありがとうございます。兄上。危うく、同じ過ちを繰り返すところでした」
「いや、私が彼女に近づいていたのは事実だからね。
ただ私が彼女を気に入って、特務課の任務に巻き込んでいただけなんだよ。
彼女は有能だから」
「そうでしたか。
確かに、ジゼルの有能さなら、兄上が気に入られるのもわかる」
あっさりとネタばらしされて、ヴィンセントは納得する。
それに国王は自分の失態の後、自分とジゼルの結婚には反対だったはず。
ならば疑念を持つような言い方をするだろう。
「そういうことだ。早く顔を見せてあげなさい」
「はい」
ジゼルは屋敷にいるだろう。早く会いたい。
そう思って駆け出したヴィンセントの背中を見送って、ヴァンデッシュは呟く。
「さて、どうしようかな」
レンブラント公爵邸に馬車で赴いたヴィンセントは、馬車から降りると待ちわびていたジゼルが駆け寄ってくるのを腕を広げて待つ。
「ジゼル!」
「ヴィンセント!」
そのままきつく抱擁を交わす。
「待っていたわ。愛しいあなた」
「待たせたね。僕の運命の人」
心の底からそう囁き合って、自分の胸に頬を寄せたジゼルの髪を撫でる。
「その、」
「あら、もう我慢なんてしなくていいのよ?」
「ジゼル!」
堪らず更に強く彼女を抱きしめる。
「ああ、夢のようだ。こうして君に触れられるなんて」
「わたくしもよ。ヴィンセント。
存分にわたくしに甘えてちょうだい。
今夜が、わたくしたちの初夜なのだから」
「ジゼル……」
ああ、夢のようだ。
やっと念願叶って触れられた愛しい彼女。
この愚かな自分を許し、愛してくれた女神。
これからは彼女とずっと一緒にいられるなんて。
「待ちなさい。ジゼル」
「お父様」
「まだ話がある」
不意に屋敷のほうから歩いてきたのはジゼルの父、レンブラント公爵だった。
「なんの話でしょうか?
この通り、ヴィンセントは陛下の命令に応え、帰って参りました」
ジゼルはヴィンセントから一旦身を離し、父に異を唱える。
「ああ、それは認めている。だが彼は、」
レンブラント公爵は気難しい表情だ。
それでも一度娘を裏切った男に娘を嫁がせることを認められないのだろう。
どう説得すべきか、とヴィンセントが悩んだ時だ。
地響きの音に、レンブラント公爵の言葉が途切れる。
「この音はなんだ?」
「この音は、まさか」
遠征先で何度も聞いたこの地響き。まさか、とヴィンセントは息を呑む。
「ヴィンセント?」
「すみません! 話は後で!」
ヴィンセントはレンブラント公爵に一礼すると、街に向かって走り出した。
あちこちで悲鳴が響いてくる。
街に接近してくるのはドラゴンだ。それを街の外壁の上に佇んで、ヴィンセントは顔を曇らせる。
「なぜこんな街中にドラゴンが」
そう呟いた矢先、ドラゴンがブレスを吐く。
手に生み出した宝剣でブレスを弾くが、飛び散ったブレスが近くの建物に当たって燃え始める。
何度かブレスを捌いただけで、あちこちの建物が燃えている。
捌くのでは駄目だ。家が燃えてしまう。
「ヴィンセント!」
「ジゼル!」
風魔法でついてきたのだろうジゼルが、同じように外壁の上に飛び乗り、氷魔法を操る。
氷魔法がドラゴンの足下を凍らせた。
「よくやった! ジゼル!」
ヴィンセントは感嘆すると強く地面を蹴った。
空を飛び、頭上から急速落下。ドラゴンの身体を貫く。
ドラゴンはうなり声を上げ、がむしゃらにブレスを吐いた。
「まだ生きている!? いけない、ジゼル!」
婚約者に迫った危機に気づいたヴィンセントは、高く飛んでジゼルの前に立ちはだかる。
ドラゴンがブレスを吐いた。
ヴィンセントは力一杯にジゼルの身体をかき抱き、ブレスから彼女を庇う。
その一撃で力尽きたのだろう。ドラゴンは地響きを立てて倒れ、動かなくなった。
「ヴィンセント!」
ブレスの直撃を受けたヴィンセントは、目を閉じうなだれている。
背中が焼けただれている。ひどい有様だ。
「ヴィンセント! 死んでは嫌!
お願い目を開けて!」
きつくヴィンセントを抱きしめて、涙を浮かべたジゼルだが不意に視界を躍った治癒魔法の光に目を見開く。
高位の治癒魔法だ。一瞬でヴィンセントの怪我を癒やしてしまう。
「もう大丈夫だ。ジゼル嬢」
「ヴァンデッシュ卿……」
いつの間にか外壁の上に佇んでいたヴァンデッシュが、治癒魔法を行使したのだ。
彼は高位の魔術師でもあるのだ。
意識を取り戻したヴィンセントが、ヴァンデッシュを見上げる。
「ヴィンセント、ドラゴンの目当てはこれだ」
「これは、魔石……?」
ヴァンデッシュが手のひらに載せて見せたのは、真紅の巨大な宝石。
それはドラゴンの体内にある魔石だ。
「ドラゴンの魔石はドラゴンを惹きつける。
それは騎士たちもよくわかっているはずだが、持ち帰った馬鹿がいたらしい」
「……そうですか」
それでドラゴンが街まで現れたのか、とヴィンセントも納得する。
「しかし、騎士爵を得た上、更に勲功を上げたな」
にやりと笑って言ったヴァンデッシュにヴィンセントは目を瞬く。
「え?」
「命がけでジゼル嬢を守った。
もうこの結婚に、文句を付けられる者はいるまいよ」
「兄上……」
力強く背中を押した兄の言葉に、ヴィンセントは瞳を潤ませて頭を垂れる。
「ありがとうございます」
「いや、礼はいらない。
私はこの魔石を転移魔法で山に返して来よう。
君はジゼル嬢を屋敷に送りなさい」
「はい」
ヴィンセントはヴァンデッシュの言葉に頷き、ジゼルの身体を抱き上げる。
そのまま風魔法で空を飛び、レンブラント公爵邸を目指す。
「怖くなかったかい? ジゼル」
「いいえ。わたくしのあなたがいたから」
「……愛しいジゼル。僕も君がいるから強くなれるよ」
そう潤んだ瞳で囁いたヴィンセントの腕の中でジゼルは思う。
(ああ、これでやっとヴィンセントとの初夜が!
思う存分水のアナルバイブで可愛がってあげる!)
そんなジゼル、もとい権三郎の胸中を、ヴィンセントは知らない。




