第六話 弟・アッシェンの葛藤
俺の義姉はとてもやさしくあたたかいひとだ。
俺は本来彼女の家――本家の人間ではなく、分家の息子だった。
俺には年の離れた兄がおり、俺は容姿も才能もなにもかもが兄そっくりだった。
そのため否応なしに比べられ、卑屈になっていった。実の親もそんな自分を「顔はそっくりなのに中身がぜんぜん似てない」とバカにした。
どんなにがんばっても自分は兄の複製だと、ことあるごとにそう扱われれば卑屈にもなる。あのころ、自分を真正面から見て受け入れてくれる存在が俺にはいなかった。
そんなあるとき、本家の当主夫妻――俺の義理の両親が俺を跡継ぎとして養子に欲しいと申し出た。
当主夫妻には義姉しか子がおらず、よく親族たちから「息子を産めない嫁とは別れて新しい妻を迎えればいい」とうるさく言われていたそうだ。
もちろんそんなのは当主の妻の座が欲しい親族たちの戯言だったのだが、当主はこれ以上愛しい妻を蔑まれるのが堪えられなかったらしい。
俺に対する実親の態度もわかっていたのだろう。
実親は兄のほうを跡継ぎに、と訴えたそうだが当主夫妻は「アッシェンが良い」と言って聞かなかったそうだ。
そうして本家の跡継ぎとされた俺だったが、植え付けられた劣等感はなかなか消えなかった。
それに自分が本家に来ることを、義姉は快く思ってないのではないかと危惧していた。
自分がいなければ、義姉が婿を迎えて家を継ぐ選択肢だってあり得たはずなのだ。
その当時、義姉は11歳。俺は10歳。
どう接したらいいのかわからず、また疎まれることを恐れて俺は義姉とほとんど話せずにいた。
いつもパーカーのフードで顔を隠し、うつむいてばかりいた自分は知らなかったのだ。
そんな自分を、義姉がいつもやさしい目で見つめてくれていたことを。
不用意に近づいては自分が怯えるかもしれないからと、気遣ってくれていたことを。
本家に来て半月ほどが経ったある日、実親が本家の屋敷にやってきた。
俺が実親たちにとって不利になるようなことをしていないか、余計なことを言っていないか確かめに来たのだろう。
彼らはフードを目深にかぶった自分を見て声を荒げた。
なんでそんな恥ずかしいマネをしているんだ、と。どうしてお兄ちゃんと違っておまえはそうなのか、と。
義親がいないときだったから余計だ。いればさすがになにもしなかっただろう。
力任せに掴まれたフードが破けたのを見て、俺は逃げ出した。
広い庭の隅に隠れて、膝を抱えていた自分を探しに来てくれたのは義姉だった。
「アッシェン。
だいじょうぶよ。
あのひとたちはもう帰ったから」
自分の前にしゃがみ込んで、義姉がやさしく微笑む。
それでも顔を上げられなかった俺に、義姉は手に持っていた上着をそっと被せてくれた。
「ごめんなさい。
そんなものしかなくて。
でもないよりはいいと思って」
「………はずかしい、と思わないのか?」
「どうして?」
義姉は心底不思議そうに首をかしげた。
「アッシェンがそうしたいなら、わたくしはそれでいいと思うわ。
それにアッシェンがそうなったのはアッシェンが悪いわけではないでしょう?」
「…俺が、似てない、から」
「そんなの当たり前じゃない。
兄弟だって別の人間だもの。
まったく同じだったらおかしいじゃない。
アッシェンはアッシェンで、お兄さんとはべつの人間なのよ?」
義姉は当たり前のようにそう言ってくれた。
自分と兄は別の存在だと。似てないのが当たり前だと。
俺は俺だと。
ちいさく白い手が、そっと俺の手を取った。
やさしくてあたたかい手だった。
「お願いよ。
誰になにを言われても、自分を傷つけたり否定しないで。
アッシェンはアッシェンで、ほかの誰でもないわ。
あなたは跡継ぎである前に、わたくしのたったひとりの大事な弟よ。
あなたがうちに来てくれてうれしい。
わたくし、ずっと弟が欲しかったの」
そう告げて微笑んだ彼女の笑顔がなによりあたたかくて、ずっと堪えていた涙があふれた。
はじめて自分を真正面から見て、受け入れてもらえた。
大事な弟だと言ってもらえた。
存在意義を、居場所をくれたのは彼女だった。
途方もない安堵とうれしさで泣きじゃくる自分を、義姉はやさしく抱きしめてくれた。
それから、顔を隠すところはそのままだったけれど以前よりは卑屈ではなくなったと思う。
義親もあたたかなひとたちで、自分を実の息子のように愛してくれた。
屋敷で働く使用人たちもやさしく、おだやかな日々を送ることが出来た。
なにより義姉のことを慕っていた。彼女が大切だった。
でもそれは、義姉への親愛の情だと思っていた。
けれど成長するにつれ、そうじゃないと気づいた。
日に日に美しい女性になっていく義姉の姿を、真っ直ぐに見れなくなった。
そのやさしい笑顔を見ただけで頬が熱くなって、心臓が暴れ出す。
手に触れられただけで呼吸すらままならなくなった。
そのやわらかな身体に触れたいと、強く望むようになった。
学園で、彼女と親しげに話す男子生徒にどうしようもなく苛立って、そうしてやっと自覚した。
自分は彼女に恋をしている。
弟として姉に懐いているのではなく、一人の男として彼女を恋い慕っているのだと。
それでも、彼女に告げる勇気はなかった。
彼女にとって自分はただの弟だったから。
でも、
「あんた、あの話、ほんとうなのか?」
あの日、義姉が義姉を裏切った元王太子と結婚をするとはじめて知った日、堪えきれずに義姉の部屋に行って問い詰めた。
義姉はソファに腰掛けたまま自分を見上げ、いつものようにやさしく微笑んで頷く。
「ええ」
「なんでだ?
どうしてあんたがそこまでしなきゃならない?
わかってるんだろう?
この縁談は――」
「そうしたいだと思ったから」
「…っあんたはそれでいいのか!?
あんたを裏切るような男の嫁になってそれでいいと、本気で言う気か!?
あんな…っ!」
義姉を責め立てそうになって、我に返る。
自分はなにを言っているのか。
自分はただの弟で、彼女の結婚を止める権利があるわけじゃないのに。
「心配してくれてありがとう。
アッシェン。
わたくしはだいじょうぶよ」
義姉はやはり微笑んでいた。いつもの花のようなたおやかな笑顔で。
彼女はいつだってそうだ。他人のことばかりで、自分のことは二の次だ。
幼い頃から、厳しい教育にも泣き言一つ言わなかったと聞いた。
使用人が失敗をしても、決して責めたりしないやさしいひとだった。
自分の卑屈な言葉を聞いても、ほかの人間のようにあきれたり怒ったりせず、ただそばに寄り添っていてくれるひとだった。
それがそのとき、無性に腹立たしかったし侘しかった。
すがって欲しかった。ほんとうは嫌だと言って欲しかった。
「あなたはほんとうにやさしい子ね」
ちがう。やさしいのはあんただ。
俺はやさしくなんかない。
俺はただ、あんたを誰にも奪われたくないだけなんだ。
こんなのはただの醜い嫉妬と独占欲だ。
たったひとり存在理由をくれた、愛しいひとを手放したくなかった。
彼女は気づいてないのだろう。
見合いの話を受けた数日後、俺は見てしまった。
彼女がふさぎ込んでいる姿を。
ほんとうは不安なのだ。なのに、それを誰にも見せようとしない。
彼女が自分にすがってくれたなら、きっとなんにでもなったのに。
ヴィンセント・ハーグリブスが騎士爵を得るため出立した後だ。
ヴァンデッシュ卿が姉に急接近した。
一緒に過ごす間になにがあったのか知らない。ただ、ヴァンデッシュ卿は義姉を気に入ったのだろうと思う。
いや、気に入ったでは生温い。
義姉に向けるやわらかなまなざしは、どう見たってそれ以上の感情が芽生えているように見えた。
不愉快なのは、義姉を案じる弟の感情じゃないと知っている。
「おい、あんた」
ヴァンデッシュ卿が屋敷に来た帰り際、庭で彼を呼び止めた。周囲に人はいなかった。
「おや、ジゼル嬢の弟君か」
「…そうだ。
あんたに一つだけ言っておく」
当たり前のように義姉を「ジゼル」と呼んだヴァンデッシュ卿に、焼け付くような感情がわき上がってくる。
自然とまなざしもきつくなった。
「あいつを傷つけたりしたら、俺はあんたを許さない。
肝に銘じておけ」
ほんとうは「あんたには渡さない」と言ってしまいたかった。弟だったから、言えなかった。
驚いたように目を見開いたヴァンデッシュ卿が、剣呑な視線を自分に向ける。
それだけでもう、ヴァンデッシュ卿の気持ちがわかってしまって、ますます不愉快になった。
彼女の弟になれたことが、昔はうれしかった。
今は、弟の立場がなにより苦しい。
ヴァンデッシュ卿が帰った後、義姉の部屋に行くと、彼女はソファに腰掛けたままぼんやりとしていた。
きっとほんとうは不安なはずだ。でもやさしい彼女は自分たちにそれを見せようとしない。自分たちを苦しめたくないから、と。
「…あんた」
「…あ、アッシェ…」
まとっていた服の上着を脱ぐと、あの日彼女が自分にしてくれたように彼女の頭にかぶせ、そのまま抱きしめた。
「…アッシェン?」
「こうすれば誰にも見えない。
…俺が隠してやるから、…吐き出せばいい」
よりどころになりたかった。あの日、彼女が自分を救ってくれたように。
守りたかった。
ほんとうは、なにもかも奪いたかった。
愛しすぎてそれすら出来ない。
「……アッシェン」
か細い声で彼女が自分を呼ぶ。
わずかに華奢な肩が震えていた。それに胸がきつく締め付けられる。
――俺はあんたの、弟になんてならなければよかった。
(んんんんんんんんんん!!!
アタシの天使がこんなにも尊い!!!
やばい興奮して身体の震えが収まらないんだが!!!
怪しまれてない!?だいじょうぶ!?
アッシェンマジ天使!!!!!)
アッシェンは知らない。腕の中の義姉が興奮で身もだえているだけだということも。




