第四話 新たな扉
お父様がヴィンセントは認められないと仰って、代わりに紹介されたのがあのヴァンデッシュ卿だった。
「久しい、と言うわけでもないか。ジゼル嬢」
「ええ、先日お会いしたばかりですわね」
レンブラント公爵邸の応接間、ソファに向かい合って座って、アタシはヴァンデッシュ卿とにこやかに会話していた。
ヴァンデッシュ卿の表情は乗り気、というより申し訳なさそうだ。
こちらも無理強いされたくちね。全く融通の利かないお父様たちだこと。
「こんな形の再会になってしまい申し訳ない」
「いいえ、父が無理を言ったのでしょう?
元は王族とは言え、今のヴァンデッシュ卿は公爵家の跡取り。
身分は同格ですもの」
「すまないね。実を言うと、国王陛下も加担しているようで。
国王陛下としてはなんとしてもレンブラント公爵家のご令嬢を親族と娶せたいからこそ、落第者と見做されたヴィンセントとの結婚は反対なようだ」
あ、やっぱり。そんなことだろうと思ったわ。
公爵家はこの国に複数あるけれど、その中でもレンブラント公爵家は頭一つ抜けている。
もっとも多く王妃を輩出し、諸外国の要人からの覚えもめでたい最有力貴族。
魔力も高く優れた血統で、その血を王家に取り込みたいという国王の気持ちは理解出来る。
「それで、聞いているかい?」
「なにがでしょう?」
「今日の夜会、私をパートナーに出席するよう君のお父上がご所望だ」
「なるほど。本格的にわたくしとヴィンセントを引き離しにかかりましたわね」
アタシは悩ましげにため息を吐く。
ヴァンデッシュ卿も困り顔だ。
「もちろん、君には出席を辞退することも出来るわけだが、その場合、お父上は私との結婚を強制的に進めると仰っている」
「打つ手がありませんわね」
そりゃあ、ヴァンデッシュ卿も好みだわ。思い切りベッドの上で可愛がってあげたくなってしまうけれども。
でもアタシの初めてはヴィンセントに捧げると誓ったのよねえ。
「そこで、私から提案がある」
「なんでしょう?」
「ヴィンセントが帰還するまでの虫除けだと公に言ってしまうことだ」
ヴァンデッシュ卿が口にしたのは単純明快な案だった。
「なるほど。確かにそれなら誤解は防げますわね」
「だろう?」
「お父上は不満に思うだろうが、私も君に無理強いはしたくない」
「そうですわね……。現状、ほかの手段はないようですわ」
ああ、こんなとき非力な己の身が悔しい。
例え中見が権三郎32歳でも今のアタシはジゼル17歳! か弱い!
「ですが、不義を働いた弟の身代わりを演じるのは、ヴァンデッシュ卿のお立場を揺るがしませんこと?」
「その程度で揺らぐ地位など持っていないさ。
私は国王の落胤にして特務卿。既に確固とした地位を持っている。
君との縁談が破談になっても、結婚の当てはあるさ」
確かに、既に揺るがぬだけの地位がヴァンデッシュ卿にはある。
この程度で傷つく名誉ではない。
「そう……。となると、なぜヴァンデッシュ卿が未婚なのかの疑問が湧きますが」
「そんなの簡単だよ。私は恋愛結婚至上主義なんだ。
両親が大恋愛の末に結婚したからその影響を受けたね」
「なるほど」
つまり、この年になるまで心底愛しいと思ったご令嬢がいなかっただけ、と。
両親というのはヴァンデッシュ公爵夫妻のことね。確かに身分差の大恋愛で結婚したと聞いたわ。その恋に憧れて、と。
「では、不名誉な身代わりですが、演じていただけますこと?」
「もちろん。むしろこんな年上の身代わりで申し訳ないね」
「そんな、ヴァンデッシュ卿はまだ25歳。そんな年上というほどではありま……」
「うん?」
いえ、アタシは今17歳。17歳の未成年に手を出す25歳。
令和の価値観だと完全にアウトね。
まあアタシの前世の年齢は32歳だから、どちらにしろおまわりさんこっちです案件ね。
まあこの世界では、珍しいものでもない年齢差。これ以上年の差がある政略結婚なんてざらにあるわ。
だから年の差に自覚があるヴァンデッシュ卿はまともな人ね。
「いえ、問題ありませんわ。では、よろしくお願い出来ます?」
「ああ、よろしく。ジゼル姫」
そう甘く囁いて、ヴァンデッシュ卿はアタシの手を取ると手の甲にそっとキスをした。
そして始まった今夜の王家主催の夜会。
色とりどりのドレスを身に纏った令嬢たちや、正装を見事に着こなした紳士たちが集まっている。
不意に開いた扉に、集まった貴婦人たちから歓声があがった。
白を基調とし、金糸の刺繍を施した装束を纏ったヴァンデッシュ卿と、腕を組んで登場したアタシことレンブラント公爵令嬢の姿に会場の視線が釘付けになる。
アタシの身に纏うのは純白のドレス。長い髪を結い上げ、一本にして垂らしている。
ヴァンデッシュ卿のエスコートで最奥の上段に座する国王と王妃の前まで向かい、腕を解いてどちらも非の打ち所がない一礼をした。
「国王陛下、ならびに王妃陛下にご挨拶申し上げます」
「良い。よく参った。ヴァンデッシュ卿にジゼル嬢よ」
鷹揚に答えた国王がどこか満足げにアタシに視線を向けてくる。
「どうだ、ジゼル嬢よ。ヴァンデッシュ卿のエスコートは」
どう答えるべきかしら。どう答えてもヴィンセントとの関係を引き裂く方向に取られかねないわ。
「それは意地が悪いというものですよ。国王陛下」
そこで助け船を出してくれたのはさすがのヴァンデッシュ卿だ。
「私はあくまでヴィンセント殿下が帰還するまでの虫除け。
そうわかった上でエスコートを申し出たのです。
それ以上でもそれ以下でもありません」
無理強いされて言わされたと思われないよう、堂々とした佇まいで宣言したヴァンデッシュ卿に貴族たちが囁き合う。
「まあ、本当だったのね」
「本当に虫除けでヴァンデッシュ卿を?」
「あの方、どんな女性に求婚されても断られているのよね」
「一体なぜかしら」
あら、独り身のヴァンデッシュ卿のほうに噂が行ってしまったわね。
恋愛結婚至上主義ってことを言うと逆効果そう。
「だがヴァンデッシュ卿、そなたはもう25歳。
誰か心に決めた好い女性がいるのではないか?」
「そうですね。否定は致しません」
緩やかな微笑で肯定したヴァンデッシュ卿に貴族たちがざわっとどよめく。
「ですが、それはここで申し上げることではございません。
では、参りましょうか。ジゼル嬢」
こちらに手袋を嵌めた手を差し出したヴァンデッシュ卿に、アタシもその手を取る。
「はい」
「それでは、一曲お相手願います」
そう頷き合って、会場の中央まで移動すると曲に合わせて踊り出す。
「見事ね」
「なんてお似合い」
「ジゼル嬢も自分を裏切ったヴィンセント殿下なんてやめてヴァンデッシュ卿にすればよろしいのに」
「でもヴァンデッシュ卿には長い想い人がいると仰ったわ」
「そうはっきり言ったわけではないわよ」
「どうなのかしら」
貴族たちが噂するのはもっぱらヴァンデッシュ卿のことばかりだ。
「策士ですわね」
アタシはヴァンデッシュ卿のリードに合わせて踊りながら囁いた。
「なにがかな?」
「あなたに長い間想い続けた相手がいると言ってしまえば、貴族たちの意識はそちらに向いてしまう。
わたくしとあなたの関係を邪推する声は遠ざかる。
それを狙って陛下の言葉を肯定なさいましたか?」
「さあ、なんのことかな」
とぼけたけど、多分アタシの考えは当たっているわね。
「賢い御方。わたくしは、確かにあなたのことが嫌いではございませんわ」
本当に聡明な子。アタシ、そういう子は大好きよ。
「おや、ならヴィンセントの代わりに私を選ぶ気があるのかな」
「いいえ。わたくしが選ぶのはヴィンセントただ一人」
「だろう? それならそんなことは間違っても言うものじゃない」
アタシの手を引きながら、麗しい微笑でビジネスライクのように言う彼は、きっちり線引きが出来ている大人の男だ。
「聡明な御方。どこまでもわたくしとヴィンセントを思いやってくださいますのね」
「それは、あれでも可愛い弟だからね」
確かに。馬鹿だけど、可愛い男なのよね。ヴィンセント。
何曲が踊ってバルコニーに避難する。
ヴァンデッシュ卿は飲み物を取りに行ってくれた。
ふう、と一息吐いたところで開いたガラス戸のほうから声が聞こえた。
「楽しそうですわね」
「あなたは……レイチェル様?」
ヴィンセントを誑し込んだ男爵令嬢レイチェル。彼女がなぜここに。
「修道院行きになったのでは?」
「どなたかが手を回して、修道院行きがなくなったのですわ」
そうね。まあ、手を回したのアタシだけどね。
だって、女の子はみんな可愛いもの。一時の気の迷いでそんな厳しい罰、与えるべきじゃないわ
「手を回したのは、あなたですか? ジゼル様」
「さあ、なんのことでしょう」
「後悔なさいますよ」
「さて、そんな未来は見えませんわ」
話しながらレイチェルに近づいて、その手を取る。
「手が荒れていらっしゃるでしょう。あとで王宮の医務官に診ていただきなさい」
この荒れ方、普段から水仕事でもしていたみたい。
普通の貴族令嬢にはあり得ないわ。
もしかして、彼女は生家でひどい扱いを受けていた?
ヴィンセントを誑かしたことも、彼女自身の意思ではなく誰かに命じられての可能性があるわね。
「な、なぜ」
握られた手に、彼女は狼狽えて泣きそうな顔をする。
「なぜそこまでわたしに優しくなさるの!?
わたしはあなたを裏切るよう、殿下を誑かしたのに!」
「でも、あなたは落ちぶれた殿下には興味を持たなかった」
あのとき、王宮の地下牢に面会を申し出たのはアタシだけだったとわかっている。
「わたくしは、落ちぶれたとしても殿下が好き。
その差がある限り、殿下がわたくしを裏切ったことにはなりませんの」
まあ、実際はあの可愛い顔が好きで、アタシの手で骨抜きに開発したいからなんだけどね。
まあそんなことは口に出さないわ。
「……お強い方」
レイチェルは敗北を思い知らされたように、力無く笑う。
「わたし、あなたのような令嬢になりたかった……」
そう囁いて、彼女は会場のほうへと戻っていった。
程なく、ヴァンデッシュ卿が顔を覗かせた。
「飲み物をいただいて来たよ。
割って入らなくてよかったかい?」
「はい。ありがとうございます。空気を読んで、待機していてくれて」
近寄ってきて、両手に持ったワインのグラスの片方をアタシに渡してくれる。
「それにしても、君は人誑しだね。女性まで誑し込むのかい?」
「そんなことは。
ただ、女の子はみんな可愛らしいでしょう?」
「君は、やはり変わった女の子だね」
興味が湧いたように微笑んだヴァンデッシュ卿がワインを口につけようと傾ける。
そこで、ヴァンデッシュ卿のワインが、アタシのもののワインと少し色が違うことに気づいた。
「待って。飲まないで!」
「え」
制止した時には遅く、ヴァンデッシュ卿は一口ワインを飲み込んでしまっていた。
「なにが…………っ」
当惑したヴァンデッシュ卿が不意に手からグラスを取り落とす。
グラスが地面に落ちて破片と中身が散った。
そのまま傾いてきたヴァンデッシュ卿の身体を支えると、痙攣したように身体が震える。
まるで触れられる刺激に反応しているように。
これは、まさか催淫剤? ワインに入っていた?
「どうかなさいましたか?」
不意にワインを配っていた使用人がバルコニーに顔を出してきた。
「誰か、ヴァンデッシュ卿が」
「…! 部屋にご案内します」
使用人は驚きは一瞬で、すぐそう一礼してアタシたちを会場の外へと案内する。
会場を横切るとき、垣間見た国王と王妃は冷静な面持ちだったから、つまりワインに催淫剤を仕込んだのは国王と王妃。
なるほど。アタシとヴァンデッシュ卿に既成事実を作らせるおつもりね。
でも、その思惑通りにはいかないわ。
そう心の中で挑発して、案内された部屋に向かう。
案内された部屋は貴賓室だが、綺麗に整えられている。ベッドも、そう不自然なほどに。
案内してきた使用人はすぐに立ち去った。まるでそう命じられていたかのように。
アタシはヴァンデッシュ卿をベッドに座らせ、頬の汗を拭う。
「ヴァンデッシュ卿、大丈夫ですか?
お水を」
言うなり突き飛ばされ、ベッドの下に敷かれた絨毯の上に座り込んでしまう。
「離れてくれ」
荒い呼吸を吐いて、ヴァンデッシュ卿が訴える。
「このままじゃ、君になにをするかわからない」
その瞳が潤んでいる。きっと限界なのに、こちらを思いやってくれる優しい方。
「私は、君を裏切りたくないんだ。
ヴィンセントの、ことも」
こんな気高い方に薬を盛った国王と王妃に怒りが湧くし、どこまでも高潔なこの方にぞくりと背筋が震えた。
こんな高潔な麗人を思う存分快楽で鳴かせたら、どんなに気持ち良いかしら。
ああ、そうね。それが良いわ。
「大丈夫ですわ」
アタシは立ち上がって、ヴァンデッシュ卿の頬に手を添える。
「誰も、裏切る必要はございませんの。
わたくしにいい案がございます」
そう囁いて、おとがいに手を当て上向かせる。
まあ、潤んだ瞳、甘い吐息。なんて美味しそう。
アタシのなくした伝家の宝刀の代わりになる玩具が必要だと思っていたけれど、この世界には魔法がある。
それを使えば良いのですわ。
「ジゼル、嬢。いったい、なにを」
「大丈夫。怖くありませんからね」
そう、優しく言い聞かせ、アタシはヴァンデッシュ卿の装束に手を掛ける。
「あ、」
ふぁさ、と衣擦れの音が響いた。
その三十分後だ。
「お飲み物をお持ちしました」
狙いすましたようにメイドが飲み物を二人分運んできた。
メイドは澄ました顔をしていたが、二部屋ある貴賓室の前の部屋のソファに腰掛け優雅にくつろいでいたアタシを見て目を丸くする。
その場にはもちろんヴァンデッシュ卿の姿はない。
「ああ、ありがとうございます」
笑顔で飲み物の入ったグラスを受け取ったアタシを余所に、メイドはヴァンデッシュ卿の姿を探すように奥の部屋の扉に視線を向ける。
そのとき奥の部屋から、
「あ、ぁっ、あっ、あ、ぁあああっ、あっ、あ~~~~~~!」
と甘やかな嬌声が響いてきた。
「え、今のは、ヴァンデッシュ卿の声。でも、ジゼル嬢はここに。
一体なにが」
メイドは完全に混乱して、動揺のあまり心の中の声をそのまま漏らしてしまっている。
「ふふ」
アタシは扇で口元を隠しながら微笑んで、ソファから立ち上がるとメイドの手を取った。
「是非、見たままを陛下にご報告、お願いしますね?」
「は、はい」
有無を言わさない麗しい微笑に、メイドは気圧されつつも確かに頷いた。
メイドが立ち去った後、アタシは部屋で飲み物を口にしながら、ご満悦だった。
ヴァンデッシュ卿の殺しきれない嬌声が隣の部屋から絶えず聞こえてくる。
魔法で生み出した水のアナルバイブ。それで後ろを開発して差し上げている最中ですもの。
ヴィンセントを最初に可愛がってあげたかったけれど、これはこれで良し。
ああ、ヴァンデッシュ卿の嬌声の艶っぽいこと、今はない伝家の宝刀がうずくわ。
これはこれで最高ね。
そう、アタシは口の端をつり上げた。




