第三話 愛の力
王都から南に下ったところにあるサイレス領。
そこに王都から遠征してきた軍の駐屯地がある。
山に出没するドラゴンを退治するため、集められた軍人たちの部隊だ。
「聞いたか?」
「ああ、聞いた。元王太子様がこの部隊に合流するそうじゃないか」
「ジゼル・レンブラント嬢との婚約を賭け、勲功を上げるためだと言うが」
「どうだか。この土地は普通の魔物ですら手強い。
泣いて王都に逃げ帰るのが関の山だ」
ひそひそと好き勝手に話す兵士たちだが、いつになってもその元王太子が合流しないので、どうしたのかと思っていた。
ある日、部隊長に尋ねた者がいた。「元王太子が合流するはずでは?」と。
「なにを言っている。もう部隊に合流しているではないか」
その言葉に部隊の者たちは面食らった。
部隊に? いつから?
そして気づく。数日前から部隊に混ざっていた若い男の存在を。
てっきり、ただの新人兵士だと思っていたが。
「お、おい、お前、元王太子か?」
たき火を起こしていたその男、もといヴィンセント・ハーグリブスに尋ねた兵士に彼は笑顔で、
「はい、よろしくお願いします。先輩」
とよどみなく答えた。
「お、王太子なんだから、もっとこう、部隊全員集めて自己紹介とかしなくていいのかよ」
「なにをおかしなことを。僕はもう王族の立場すら危うい存在です。
そんな男のためにお忙しい皆様の手を煩わせるわけにはいかないでしょう」
もっともだ。ごもっともだ。
兵士たちももし本当に彼を王太子として遇せよと言われていたらそう返しただろうことを、まさか本人に言われると思わなかった。
そうこうしている間にヴィンセントは火をおこし、たき火を完成させた。
「今、イモを焼いています。出来上がりましたら、先輩たちもどうぞ」
「あ、ああ」
「…ど、どうも」
完全にしどろもどろになってしまった兵士たちにも、ヴィンセントはにこやかに笑んでいた。
虚を突かれ、すっかり敵意が萎えてしまった兵士たちを眺め、不遜に笑む兵士たちがいた。
ヴィンセントと同級だった兵士たちである。彼らは同級生だからと、ヴィンセントと同じ班になることを命じられていた。
テントの近くにやってきたヴィンセントの前に立ちはだかり、彼らは嘲笑を浮かべて言う。
「お前の飯ねえから!」
「そうそう! 自分の飯は自分でご用意くださいな!」
「もうお前の飯を用意してくれる使用人さんはいませんからねえ!」
得意げに嗤った同級生たちに、ヴィンセントは一拍の間の後、
「承知した。自分でなんとかしよう」
と答えて森の中に入っていった。
この駐屯地は山の中。兵士たちが野営する場所は開けているが、周囲は森だ。
どこへ行く気だ、と同級生たちが追うと、ヴィンセントは森の中でなにかを探して歩いていた。
不意に「あった」と呟き、傍らの木の枝を何本か折って手に抱える。
そして川の方向へと向かい、川の中に入ってその枝を水の中に入れる。
そうすると少しして、川の中を泳いでいた魚がぷくり、と浮かんできた。
ヴィンセントはその浮かんでいた魚たちを手に取って、岸に上がると火をおこし始めた。
「お、おい!」
「なんだ?」
同級生の一人が茂みから飛び出して、たき火の周囲に魚を配置したヴィンセントに声をかける。
「お前、あの枝には毒があるんじゃないのか!?
そんなもの食って大丈夫なのか!?」
「なんだ、心配してくれたのか?」
「そうじゃない!」
そうじゃない。そうじゃないが、死なれたら困るような。
「安心しろ。あの木の枝は魚のエラだけを麻痺させる毒があるものだ。
食べても問題はない」
「な、なんでそんな知識を、王族が……」
自分たちすら知らなかった野営の知識を、なぜ苦労知らずの王族が。
「出立の前に王宮の図書館の本を読みあさったんだ。
知識は力だからな。
ところで食べるか?」
ヴィンセントは笑顔で事も無げに言う。
同級生たちはパチパチと燃える火に焼かれて、美味しそうな匂いを発する魚を見た。
さっき飯は食べた。食べたが、焼きたての魚は、美味そうだ。
「毒味ならば俺がしてやる。食べたければ好きに食べろ」
ヴィンセントはそう言って串に刺した魚を一本取り、むしゃぶりついた。
ハフハフと熱そうにしながらも美味そうに食べる王子様を見て、我慢出来なくなった。
「俺も食う」
「俺も」
「……お、俺も」
毒味ならばこの王子様自らがしている。
ならば、食べるのに遠慮する理由はない。
同級生たちは火の周りに集まって、串で刺された魚を手に取ると喰らいついた。
「塩味が効いてて美味い…!」
「塩振っておいたのかお前!?」
「ああ、塩は持参したからな」
「美味い」
同級生たちは思い思いに魚を貪った。
なにしろ軍から配給された食事はまずいレーションばかり。
食べ飽きてしまっていたのだ。
食は美味しく新鮮なものに限る。そう実感した同級生たちだった。
それでも懲りないのが同級生たちだ。
「お前の寝る場所ねえから!」
そう言ってヴィンセントをテントから追い出した。
ヴィンセントは悔しがりもせず、「そうか」とだけ答えるとテントから離れていく。
「どこ行くんだろうな」
「テントだけは簡単に用意できねえだろ。そのうち泣きべそかいてお願いしに来る」
「……そうかなあ」
同級生の一人は既にヴィンセントが本当に「苦労知らずの王族」なのかを疑い始めていた。
だがヴィンセントが腕一杯の蔓を持って来たので、同級生たちも息を呑む。
ヴィンセントはその蔓を編んでハンモックを作り、魔法でちぎれないよう強化するとその上に寝そべって、虫などが入ってこないよう結界を張った。
「な、なんだ。あの王子様」
「怖い物なしかよ」
「やっぱり、普通の王子様じゃないよ」
「テントより気持ちよさそうじゃねえか」
「あのジゼル嬢が裏切られてなお婚約者に望んだだけはある、のか?」
「ジゼル嬢が選んだだけはある」
三人は驚嘆しながら、ヴィンセントの姿を悔しげに眺めていた。
その日の夜、同級生たちはヴィンセントから目を離せずにいたが、ふとヴィンセントが起きてハンモックから下りると森のほうに向かって歩いて行ったので後を追いかけた。
これで負けてなるものか、という気持ちがまだあったのだ。
ヴィンセントはどんどん人気のない方向に向かう。
不意に同級生の一人が叫んだ。
「狼だ! 逃げろ!」
それにハッとして、残りの二人も叫んだ。
「狼だ!」
「狼だぞ! 逃げろ!」
その叫びを聞いたヴィンセントが走り出す。
同級生たちはにやりと笑って後を追いかけた。
ヴィンセントは不意に足を止める。その先は崖で、それ以上は進めない。
「そこまでだ」
同級生の一人が追い詰めたと勝ち誇って言う。
「許してくださいお願いします、と言えば許さないでもないけどな」
「そうそう。あとはおれたちに相応の謝礼をしてくれれば許してやってもいいぜ」
ヴィンセントを追い詰めるようににじり寄りながら、同級生たちは勝ち誇る。
「なるほど。俺が邪魔なのか」
だが怯える様子なく、ヴィンセントは呟いた。
こちらを見据えた表情、金色の髪が月明かりを受けて神々しく輝いている。
「ならば、遠慮はいらないな」
ヴィンセントがそう口にした瞬間、目の前が霧に覆われる。
「うわあ!」
「落ち着け! 魔法の霧だ! 攻撃しろ!」
同級生たちは一度は混乱したがすぐ攻撃に転じ、魔法を放つ。
霧の中から現れたヴィンセントの身体を、魔法の矢が貫く。
「あ」
同級生の一人が茫然と呟いた。
しまった。殺すつもりはなかったのに。
いくら王家から追われた王子でも、殺したら罰があるのでは。
そう青ざめた瞬間、その姿が霧となって消えた。
「え」
「な」
「甘いな。お前たち」
不意に背後、崖とは反対方向から涼やかな声が聞こえた。
視線を向けると堂々とした態度で佇むヴィンセントの姿があって、彼の手に生み出された剣がこちらに向けられていた。
「これは王家に伝わる魔法で編み出す宝剣だ。
能力は、これを目にした相手を必ず串刺しにすること」
ヴィンセントは不敵に微笑むと、
「だが今回は、崖から落とすことで許してやろう」
と囁いてその剣を一閃した。
宙にせり出した岩盤に亀裂が入る。そのまま岩盤ごと落下する、と思った同級生たちは身体が宙に浮かんでいるのに気づいた。
「と、まあそんなのはただのパフォーマンスだ。
お前たちがくだらない嫌がらせをやめるなら助けてやる。
どうだ?」
静かに問いかけたヴィンセントに、同級生たちは涙ながらに頷く。
「よし」
ヴィンセントは笑って、岩盤を浮かせると地面の上に降ろした。
同級生たちは思った。
勝てない。こんな複雑な魔術をいとも容易く行使する王子に、勝てるわけがない。
そう敗北を認めた矢先だ。地響きがした。次いで、地の底から響くようなうなり声。
この同級生たちはつい最近、この駐屯地にやってきた。
つまり、見たことがなかったのだ。本物の、ドラゴンを。
バサリ、と大きな羽ばたきを響かせ、崖の下から姿を見せたドラコンに、同級生たちは腰を抜かしそうになる。
「諦めるな! お前たちは国を守る偉大な兵士だろう!?」
だが響いたヴィンセントの声に、怯む心が叱咤された。
どうにか立ち上がった同級生たちにヴィンセントが叫ぶ。
「風の魔法であいつの動きを封じてくれ!」
「わかった!」
ドラゴンの表皮はひどく硬く分厚い。
普通の魔法や剣ではなかなか傷がつかない。
だからこそ魔法で動きを封じるのだ、と教えられた。
同級生たちは三人合わせて風の魔法を操り、ドラゴンの動きを封じる。
だん! とヴィンセントが字面を蹴って高く飛んだ。
ドラゴンの頭上まで飛ぶと、そのまま魔法の風を纏って、相手を串刺しにする宝剣を構え、急速落下する。
その一撃でドラゴンの胸に大きな穴が空いた。
どうやら心臓を突き破ったらしい。ドラゴンは苦悶の雄叫びを上げて、そのまま崖下へと落下して行った。
とん、とヴィンセントは崖の上の地面に着地する。
「助かった。お前たち。礼を言う」
「た、倒した……」
「あのドラゴンを、一撃で……」
「すげえ……」
同級生たちに、既にヴィンセントへの敵意は欠片もなくなっていた。
胸にあるのは圧倒的強者への羨望。憧れ。
同級生たちはヴィンセントの前に傅くと、一斉に剣を捧げて深く一礼をした。
その後、駐屯地に戻ったあと、同級生たちに「どうすればそんなに強くなれるか」と聞かれたヴィンセントはこう答えた。
「僕の帰りを待っていてくれる妻のため。
つまり、愛の力だ」
「愛の力すげえ」
「愛の力最強」
「愛の力最高」




