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第二話 ヴィンセントの出立

 国王との謁見の、白亜の間。

 国王の前に傅いた美しい少女に、国王は厳かに問いかけた。

「ジゼル・レンブラント。

 真にそれが本心か?」

「はい、国王陛下」

 一分の隙も無い完璧な臣下の礼を執って、ジゼルは頷く。

「わたくし、ジゼル・レンブラントはヴィンセント・ハーグリブスを夫としたく思います」

 朗々と答えたジゼルに、白亜の間に集まっていた貴族たちの間にどよめきが走る。

 既に貴族たちの間でも、ヴィンセントの行いは公になっていたからだ。

「ヴィンセントは最早王太子ではない。

 それでも良いと?」

 静かに尋ねた国王に、ジゼルは表情も変えずに答える。

「それでも、わたくしは殿下が良いのです」

「それほどまでに、なぜヴィンセントを愛した?

 そやつはそなたを裏切り、ほかの女に騙された男だ」

「それでも、」

 再度確認する言葉に、ジゼルは凜として顔を上げるとはっきりと宣言した。

「わたくしは、殿下を愛しく思います。

 夫の罪を、妻が許さずしてなにが夫婦でしょうか」

「そなたは……」

 その揺らがぬ愛に、凜々しい横顔に、国王でさえも気圧された。

「まあ、なんと清らかなこと」

「天女のような御心の美しさだ」

「なんと慈愛深き方」

「一時流れた悪い噂も、全てあの男爵令嬢の作り話だったのでしょうな」

「全く、あれほど清らかな心の持ち主にあんな冤罪を着せるとは」

 貴族たちが囁く声はどれもジゼルの美しさを称賛するものだ。

「わかった」

 ややあって、国王が威厳に満ちた声で頷く。

「そなたの決心は嘘や気の迷いではないようだ。

 そなたとヴィンセントの結婚を許そう」

「父上……!」

 それにジゼルの隣に傅いていたヴィンセントが喜びの声を上げるが、国王は続けて、

「だが条件がある。

 最早王族と認められぬほどの罪を犯した我が息子を公爵家に迎えるならば、それなりの身分が必要。

 ヴィンセントよ。今、地方で魔物が多く出没しておる。

 武功を上げ、騎士爵を得よ。さすればジゼル嬢との結婚を許そう」

 と告げた。

「あらら、これはヴィンセント殿下への試し行為ね。

 それで臆するなら、公爵家の夫とするに足らぬ、という」

 見物していた貴族がひそひそと囁くが、ヴィンセントは今までが嘘のような堂々とした態度で受け答える。

「もちろんでございます。

 その命、確かに受けました。

 必ずや騎士爵を得て、ジゼルの夫となるに相応しい証を立てましょう」

(あら、嬉しいこと。すっかり凜々しい顔つきになって。

 それだけ救いの手を差し伸べたのが効いたのかしら)

 内心そう思ったジゼルのほうを見つめて、ヴィンセントは真っ直ぐなまなざしで微笑んだ。

「ヴィンセント」

「大丈夫だ。心配はいらない。ジゼル。

 必ず、武功を収めて君の元に帰ろう」

 ジゼルの手を取って立ち上がったヴィンセントの姿は王子様そのもの。

 その姿に嬉しそうに笑って、

「……ええ、信じているわ。わたくしのヴィンセント」

 そうジゼルは答えた。




 その後、ジゼルは屋敷にヴィンセントを連れ帰った。

 もう王宮に、ヴィンセントの居場所はなかったからだ。

 公爵邸に帰るとジゼルはヴィンセントを皆に紹介し、

「ヴィンセントはわたくしの夫となる人、丁重に扱ってください」

 と伝えた。

「本当にここで暮らしていいのか? ジゼル」

「ええ。あなたはわたくしの夫なのですから」

「…ジゼル」

 麗しい微笑で答えたジゼルに、ヴィンセントは感動に瞳を潤ませる。

 だがすぐごほん、と咳払いをし、

「まあ、俺が武功を立てて騎士爵を得てからの話になるが」

 と浮かれそうになる心を引き締めた。

「ええ、そうですわね。そのときが待ち遠しいですわ」

「ああ、必ず約束を果たして参ろう。

 出立は明日になる」

 レンブラント公爵邸のエントランスで見つめ合い、ヴィンセントはジゼルの手を恭しく取る。

「誓いの証は必要?」

 そう微笑んで囁いたジゼルに、ヴィンセントは頬を赤らめた。

「……いや、帰って来てからにしてくれ。

 そうじゃないと、俺の決意が揺らぎそうだ」

 そう、心底から恥じらって答える。

「愛しい君に触れてしまえば、我慢が出来なくなってしまう」

 その言葉に一片の嘘もないと感じ取ったジゼルが愛らしい笑みを浮かべて、

「まあ」

 と零した。




 ヴィンセントを部屋に案内し、ジゼルが屋敷の廊下を歩いていると声をかけられた。

 義弟のアッシェンだ。

「本当にあいつと結婚するのか?」

「ええ。そのつもりよ」

 単刀直入で厳しい面持ちの問いかけにも、揺るがずジゼルは肯定する。

「俺は、認められない。あんな奴と」

「でも、彼は悔い改めたわ」

 ジゼルは自身の胸に手を当てて告げる。

「悔い改めよ。その言葉を三度拒めば地獄に堕ちましょう。

 だけど、その前に悔い改めた者には、救いがあっても良いのではないかしら」

 それはジゼルの前世の世界で存在した歌劇、ドン・ジョバンニの物語だ。

 だがそれはアッシェンにはわからない。

「あんたは、本当にあいつを」

 ぎゅうっと拳を握りしめ、アッシェンは苦しげに吐き出す。

「あいつを、好き、なのか?」

「……ええ。慈しみたいと思っているわ」

 慈愛に満ちた微笑みで答えたジゼルに、アッシェンはショックを受けて後ずさる。

「…っそうか。失礼する!」

 そうかろうじて言葉にして、背を向けて駆け出したアッシェンを追いかけられず、ジゼルは伸ばしかけた手を下ろす。

「アッシェン」

 そう悲しげに零したジゼルの肩を、部屋から出て来たヴィンセントが優しく抱く。

「やはり俺は歓迎されていないな」

「そういうわけではないのよ。

 ただアッシェンは過保護だから」

「その割に、君を姉上とは呼ばないようだが」

「反抗期なんでしょう」

 ジゼルはそう答える。深く考えてはいないようだ。

「ふうん」

 だがヴィンセントのほうは気づくものがあった。

「俺はそうは思えないが」

 あれは、男としての嫉妬だ。ジゼルを恋い慕う者の嫉妬。

 そう、ジゼルに焦がれるヴィンセントだからこそ気づいた。

「そうは見えない? どういうことかしら」

「いや、君は知らなくていい」

「まあ、意地悪ね」

 少し拗ねたような口調のジゼルに、ヴィンセントは苦笑する。

「なんとでも言ってくれ。俺は今、生まれて初めての嫉妬をしている」

 そう、生まれて初めての嫉妬をしているのだ。

 自分はこれから、ジゼルと離れなければいけない。

 その間、ジゼルのそばにいられるアッシェンが妬ましいのだ。

「思えば、レイチェルに対する気持ちも本物の恋ではなかったんだな。

 こんな気持ちになったことがなかったのだから。

 俺は今、初めて本物の恋をしているんだ」

 その囁きに、ジゼルは瞳をまろやかにして左手を伸ばし、ヴィンセントの頬に手を当てる。

「可愛い人。あなたの帰還を待ちわびていますわ」

「俺も、その。……それ以上はしない。ただ、抱擁をしてもいいだろうか」

「もちろん」

 頬を赤らめて、恥じらいながら口にしたヴィンセントにジゼルは微笑んだ。

「それすら駄目だなんて、わたくしが悲しくなってしまうわ」

「よかった」

 安堵の息を吐いて、ヴィンセントはそっとジゼルの小柄な体躯を抱きしめる。

「必ず生きて帰る。君の隣で生きるために。

 愛している。ジゼル」

「わたくしもよ。ヴィンセント」

 それはどこからどう見ても、愛し合う恋人同士の抱擁だった。




 そして翌朝、王宮からの迎えが来て、出立したヴィンセントを見送ったジゼルは屋敷の中に戻るなり、使用人から「旦那様がお呼びです」と伝えられる。

 当主である父の書斎に入ると、正面の立派なこしらえの机の前に座った父が難しい表情でこちらを見ていた。

「ジゼル、話がある。お前にとって、この公爵家にとって重要な話だ」

 そう威厳のある声で告げて、父は一冊の薄い見合い写真をジゼルに手渡した。

「お前への縁談だ」

「はい?」

 ジゼルはつい間抜けな声を上げてしまう。

「あの、お父様。わたくしはヴィンセントと」

「あのような男との婚約を、私は認められない。

 まして騎士爵を得るまでなど、どれほど時間がかかるか、そもそも騎士爵を得られるのかすらわからん。

 だからお前には見合いをしてもらう」

 朗々と語った父は、はっきりとジゼルに命令する。

「拒否権はないぞ。ジゼル」

 その言葉にジゼルは思わず頬に手を当て、

「まあ……」

 と困ったように声を漏らした。


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