事前準備(四)
どこまでも真っ直ぐなルシアナの瞳に、ユーディットは明るく笑った。
「そんなに重く受け止める必要はないわ。ただ、思ったことは何でも気軽に言ってほしいってだけだから」
「はい」
彼女が本心からそう思ってることはわかる。けれど、いくばくかは、ルシアナが張り切りすぎないよう気遣う気持ちもあるのだろう。それらすべてを理解しいている、と示すように頷けば、彼女は応えるように小さく笑い、「さて」と何かの資料とメモ帳を取り出した。
資料には何かの名前とスケッチが描かれている。
「取り急ぎ、シュネーヴェ内でどのような商品が売られているのか調べてもらったのだけど、ぬいぐるみ系は布製ばかりみたい。狩猟が盛んだった地域では、動物の毛皮を使った装飾品があるみたいだけど……これはぬいぐるみとはまた少し別ね」
「形は……鳥や猫が主流で、鹿や馬も多いですね」
「やっぱり身近な生き物が多いわね。――あら、黒い狼も多いみたいね?」
嬉しそうに口角を上げるユーディットに、ルシアナも資料に目を落とす。並ぶスケッチには、ずんぐりとした可愛らしい黒い狼や、凛々しく座った黒い狼、剣を背負った黒い狼などが描かれていた。
(黒い狼はシルバキエ公爵家とラズルド騎士団を象徴するもの。それがこれほどいろいろなお店で取り扱われているなんて……これはすべて集めなくてはいけないわね)
スケッチの横に書かれた、おそらく店名と地名だと思われる場所をあとで教えてもらおうと決意しながら、「それなら」と顔を上げる。
「氷角雪兎のぬいぐるみと一般的な動物のぬいぐるみを同時に出したいですね。魔物が身近でない人々は、魔物の毛皮を使ったぬいぐるみに忌避感を覚えるでしょうし、『こういう魔物の毛皮を使用している』と示せたらいいですわ。まずは小さいものから始めて……抱き着けるくらい大きなぬいぐるみもあると嬉しいです」
「そういえば、大きいぬいぐるみってないわね。やっぱり場所を取るから作るならオーダーメイドになるのかしら? レオンハルトはそういうのを欲しがらなかったから、頼んだことも買ったこともないのよね」
(レオンハルト様とぬいぐるみ……)
確かに想像できないな、と思った瞬間、脳内を妄想が埋め尽くす。
幼いレオンハルトがぬいぐるみを抱き締めている姿。ぬいぐるみと手を繋いで引きずってしまっている姿。多くのぬいぐるみに囲まれて眠っている姿。背丈よりも大きなぬいぐるみに包まれている姿。本当はぬいぐるみが欲しいのに言えずにもじもじしている姿。
(か、可愛らしいわ……!)
あり得ない妄想が次々に浮かび、止まらない。こんなことを考えている場合ではないとわかっているのに、脳内は幼いレオンハルトの姿で溢れかえった。
「……ルシアナさんって本当にレオンハルトのことが好きなのねぇ」
感心とも呆れとも取れるような声色でしみじみと言われ、ルシアナは両手で顔を覆う。
「も、申し訳ありません……! 真面目なお話の途中ですのにこのような……!」
(けれど……けれどっ! ――ああっ、レオンハルト様の幼少期のお姿を拝見したいわ! 切り絵……いいえ、せめて肖像画だけでも……!)
そうすればこの妄想ももっと現実味を帯びるに違いない。
そこに思い至った途端、芽生えた欲望が破裂せんばかりに膨らんでいった。
(ヴァルヘルター公爵家に行けば見られるかしら!? 王都に戻る前に寄れたり……)
それはさすがにレオンハルトにも義両親にも迷惑かもしれない、と自制心が働いたところで、ユーディットは「そうねぇ」と呟いた。
「ルシアナさんたちが王都に帰るまでには持って来られると思うわ。見たいんでしょう? レオンハルトが小さいころの切り絵」
「よろしいのですか!?」
食い気味に声を上げたルシアナに、ユーディットはおかしそうに笑う。
「もちろんよ。あとで手配しておくわね」
「ありがとうございます!」
(こんなに幸せなことってあるのね……! あとで改めてお礼をしなければいけないわ!)
心の中で歓喜の悲鳴をあげながら、ルシアナはにこにこと資料に視線を戻す。
(現実の風景を正確に模写した「切り絵」は魔法術師の方がいなければ作り出すことができないから、それなりに希少だと聞いていたけれど……そうよね。シュネーヴェ――旧ルドルティ王国は、魔法術師協会に多くの魔石を輸出していて、昔から協力関係にあったのだもの。王族の傍系であるヴァルヘルター公爵家が魔法術師を雇わないわけないわ)
幼少期のレオンハルトに想いを馳せつつ、今やるべきことに集中しなければ、と思考を切り替えようとしたところで、一つの考えが頭に浮かんだ。
「お義母様。大きなぬいぐるみがオーダーメイドかどうかは、王都に戻った際、直接お店を訪ねて確認しますわ。それで、今ふと思ったのですが……」
「ええ、何かしら?」
「あの、レオンハルト様が幼少期に着用されていた衣服などは残っていますか?」
「ええ。残してあるわ。ルドルティは一人っ子が多いからか、子ども時代の服を残しておく習慣があるの。もちろん、私たちくらいの年齢になると処分することも多いけれど」
ユーディットは、それがどうしたの、と首を傾げる。
不思議そうなユーディットとは対照的に、ルシアナは興奮気味に顔を輝かせた。
「記念に取っていたり、何か他に活用したりするのでなければ、その衣装を仕立て直してぬいぐるみに着せるというのはどうでしょうか?」
ルシアナは羽根ペンを手に取ると、真っ新なメモ帳に思い浮かんだことを書き記していく。
「氷角雪兎の毛皮を使ったぬいぐるみを販売する、という当初の目的とはずれてしまうのですが、思い出の衣服や幼少期の服をオーダーしたぬいぐるみに着せられたら、きっとより多くの人がぬいぐるみも求めてくれると思うのです。実際にわたくしは、レオンハルト様が幼少のころに着られていたお召し物をぬいぐるみに着せて飾っておきたいと思いました」
ぬいぐるみを求めるのは、その多くが、幼い子どもや子を持つ親になるだろう。彼らも立派な顧客ではあるが、新しく事業を興すなら、より多くの人々を対象としたほうがいいのではないだろうか。
(氷角雪兎の毛は手触りがとてもいいし、魔物の毛皮を使用しているというだけで十分注目は集められると思うわ。けれど、それは一過性のもの。より爆発的に、より継続的に関心を惹くためには付加価値も必要よ)
“思い出の服を仕立て直してぬいぐるみに着せる”
そうした新たな要素を追加することで、幅広い年代の人が手に取ってくれるようになるのではないだろうか。
(子どものころ、お母様がご自身のドレスをわたくしに合うように仕立て直してくださったことが、とても嬉しかったのよね。あのときの経験がなければ、このようなことは思いつかなかったかもしれないわ。それに……)
「ぬいぐるみなどの玩具は、壊れたり、古くなったらすぐに買い替える、代替可能なものではありますが、わたくしはどうせなら長く手元に置いて愛してほしいですわ。ぬいぐるみとはいえ、せっかく縁があって出会ったのですから」
大切な思い出として、どうか末永く、と最後に書き足し、羽根ペンを置く。我ながらいい案が浮かんだ、と満足げに息を吐き出したところで、ふと、ユーディットの反応がないことに気が付く。
当初の目的は、ぬいぐるみについての案出しだったのに、事業そのものについて言及する形になってしまった。ずいぶん話の方向性がずれてしまった気がする。
(こ、これは……張り切りすぎてしまったかしら)
さっそくやらかしてしまったか、と火照っていた体がすーっと冷えていくのを感じながら、ちらりと隣を窺う。内心とてもドキドキとしていたルシアナだったが、視界に入ったユーディットシアンの瞳は、朝日に照らされた薄氷のようにキラキラと輝いていた。
「――ルシアナさん」
「は、はい」
「……貴女は本当に素晴らしい子だわ。ごめんなさい、急用ができたから私はこれで失礼するわね。ぬいぐるみの形についてはまた今度話しましょう。じゃあ、また……あ、こっちのことは気にせず別荘での時間を楽しんでちょうだいね。それじゃあ」
「え、あ……」
ルシアナが何か言葉を返すより早く、ユーディットはメモ帳を持って素早く部屋を後にした。
どこか取り残されたような心地になりながら、ルシアナは体の力を抜き、背もたれに寄りかかる。
(活き活きとされていたから……きっとよかったのよね……?)
もしかしたら義父の仕事を増やしてしまったかもしれない。それを申し訳なく思う一方で、思い出の服を着たぬいぐるみが実現したらどれほどいいだろう、と期待に胸を高鳴らせた。
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次回更新は3月29日(日)を予定しています。




