事前準備(三)
あと出発前にしなければいけないのは、事業についての話し合いだ。
素材の調達や加工・販売・流通については義父とレオンハルトがまとめてくれるそうなので、ルシアナはユーディットと素材の活用方法――つまり、ぬいぐるみについて話せばいいらしい。
(それ自体はいいのだけれど……)
ルシアナは私室のソファに座りながら、そわそわとユーディットを待つ。
バルバラたちとの話し合いのあと、小休憩を挟んだらユーディットの元へと向かうつもりだったのだが、それはバルバラに禁止された。
レオンハルトがそうするよう言ったそうだが、さすがに義母を私室に呼びつけるというのはいかがなものだろうか。
(そのようなことを気にされる方ではないでしょうけれど……)
いくらなんでも申し訳ないな、と思っていると扉がノックされた。
ルシアナは反射的に立ち上がり、エステルに目を向ける。彼女はすぐに頷くと扉を開けた。
「お呼び立てしてしまって申し訳ありません」
「まあ。そんなこと気にしなくていいわ。むしろ、息子が過保護でごめんなさいね」
ユーディットは申し訳なさそうなルシアナの頬をひと撫ですると、肩に手を添えながら隣に腰掛ける。
「まぁ、過保護と言えばいいのか、浮かれていると言えばいいのか……母親としては、楽しそうにしているから微笑ましいのだけど」
「楽しそうに……」
先ほどギュンターと話したときも思ったが、レオンハルトは本当に別荘に行くのを楽しみにしているようだ。
ルシアナ自身もそれはわかっていたつもりだが、こうして周りから言われると、自分が想像している以上に楽しみにしているのだと実感させられる。
(レオンハルト様は普段、わたくしのことを優先してばかりだから……こうしてご自身に関することを優先させたり楽しみにされたりしているのは、わたくしも嬉しいわ)
別荘に行ったあと何が待っているかわかっているから、ユーディットのように微笑ましいとは思えない。けれど、それはそれとして、彼がわかりやすく楽しそうにしているということは喜ばしい。
思わず口元を綻ばせると、ユーディットも、ふふ、と笑みを漏らした。
「ルシアナさんも、思い切り楽しんできなさい。私も夫もまだまだ元気なんだから、遠慮なんてしないでどんどんこき使いなさいね」
「……ありがとうございます、お義母様」
はにかみながらそう答えつつ、ルシアナは「ですが」と目を伏せる。
「レオンハルト様にもお伝えしているのですが……あまり甘やかさないでくださいませ。いつかそれが当たり前になって、お義母様方に多くの負担をかけてしまうかもしれませんから」
「あら。いいじゃない。当たり前。当たり前に頼ったり甘えたりしてくれたら嬉しいわ」
あっけらかんとそう言ってのけたユーディットに、ルシアナは思わず視線を上げる。
ユーディットはレオンハルトと同じシアンの瞳を優しげに細めると、「それに」と愉快そうに微笑んだ。
「行き過ぎだと思ったら私たちは拒否するわ。納得できないことをし続けるほどお人好しではないもの。そもそも、ルシアナさんがそんな子ではないってわかってるから、こっちから構いに行ってるのよ?」
(あ……)
自分を見つめるユーディットの眼差しは、“母”そのものだった。
前々から何度も感じていることだが、彼女が心から自分を大事に想ってくれているのが伝わってきて、面映ゆくなる。
ルシアナの表情が緩んだのを見て、ユーディットもどこか安堵したように、「レオンハルトについてはね」と言葉を続けた。
「好きにさせておきなさい。あの子がこんな風になるなんて想像もしてなかったけど、あの子が自分の意思でやってるんだから、ルシアナさんはただ甘えて頼ればいいと思うわ。あの子はルシアナさんのお願いなら際限なく聞くでしょうけど、それはあの子が好きでそうしてるんだもの。いい人と結婚できたなって喜んでおけばいいのよ」
「……そのようなことをおっしゃってよろしいのですか? レオンハルト様の害になるかもしれませんのに」
「あの子の人生はあの子だけのものだもの。本人が是としていることに、親だからって口を出すわけにはいかないわ。もちろん……」
ユーディットは一度言葉を区切ると、ルシアナの頭をそっと撫でる。
「ルシアナさんを信頼しているからこそ、そう思うのよ。私たちと同じくらいあの子のことを愛してくれているのがわかるから。貴女はレオンハルトの害になるようなことなんて、絶対にしないでしょう?」
考えるまでもなく、ルシアナは頷いていた。ユーディットは当然わかっていたと言わんばかりに笑みを深めると、「さあ!」と両手を叩いた。
「貴女たちが心置きなく誕生日を過ごせるように、詰められるところは詰めておきましょう」
“母”の顔から、“公爵夫人”の顔に一瞬で切り替えたユーディットにつられ、もともと伸びていた背をさらにピンと伸ばす。
(あ、そうだわ)
一つ訊きたかったことがあったのだ、とルシアナはユーディットに声を掛けた。
「これまで魔物の素材を娯楽品に活用しようという案が出たことはないのでしょうか?」
「ないわね。ルシアナさんももう体感してるでしょうけど、この辺りは本当に寒いでしょう? 夏も薪を焚く必要があるし、毛皮などは防寒具として利用するという考えしかなかったの。もともと小さな国だったし、周辺国とは大小さまざまな諍いがあったから、娯楽品を作って売り出すという発想があまりなかったのね」
「あ……」
さっと血の気が引いていく。
この地に長く住む人々の苦労や境遇を何も考えていなかった。自分はなんと間の抜けた発言をしてしまったのだろう。
「あの――」
「でも、それはシュネーヴェになる前の話よ」
ユーディットはルシアナの言葉を遮ると、明るく言葉を続ける。
「小国の集まりだった北方が一つの国になったことで、今までの在り方を見直そうという動きが出始めていたの。ルドルティは北方統一を成し遂げた国だけれど、国名は消え、首都もルドルティ以外の地域になったでしょう? この土地には守るべき資源もあるし、それに異を唱える者はいなかったけれど、だからって旧態依然のまま閉鎖的でいるわけにもいかない。だから、この旧ルドルティ地域を、シュネーヴェで最も偉大な土地にしたいという想いが私たちの中にあったの」
力強く煌めくシアンの瞳に、思わず息を呑む。
ルシアナも、レオンハルトが生まれ育ったこの旧ルドルティ地域のためにできることをしたいと思っていた。しかし、古くからこの土地に住んでいた人々と比べると、熱量も覚悟もまるで違うのだと実感させられる。
(わたくしは、“シュネーヴェ王国の公爵”に嫁いだという意識でずっといたわ。けれど……そうよね。レオンハルト様もお義母様方も元はルドルティ王国の貴族……この土地に強い誇りがあるのは当然のことだわ)
認識を改めなければいけないな、とこぶしを握り込みながら、続くユーディットの言葉に耳を傾ける。
「それに、主人も言っていたけど、トゥルエノ王国との交易が正式に始まれば、自然と他の多くの国々とも関わっていくことになるでしょう? その機を逃さないためにも、娯楽はもっと増やしたほうがいいのよ。もちろん、この土地に住む人々のためにもね。だから、ルシアナさんには思ったことはなんでも言ってほしいの。私たちの当たり前がルシアナさんにはそうでないように、ルシアナさんの当たり前も、私たちにとっては新鮮なものだから」
強い信頼の籠った眼差しに応えるように、ルシアナも力強く頷き返す。
「――はい。必ずやお役に立ってみせますわ」
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次回更新は3月22日(日)を予定しています。




