事前準備(一)
あれから、レオンハルトは忙しく動き回るようになった。
義父のディートリヒや家令のギュンターと話し合いをしているかと思ったら、別荘を使うための準備に出掛けていたり、今後の魔物討伐について騎士団に指示出しをしていたと思ったら、城内の別の場所を見回っていたりと、ゆっくり顔を合わせるのが夜だけという状況になってしまった。
もちろん、それに不満はない。
事前に慌ただしくなると言われていたし、心置きなく誕生日を過ごすためには必要なことだ。それに、ルシアナ自身にもやらなければいけないことがあった。
(うーん……悪くないとは思うけれど……)
そのやらなければいけなかったことの筆頭を前に、ルシアナは首を捻る。
(作り始めたときはとてもいい考えだと思ったのだけれど……もっと別のもののほうがよかったのではないかしら? ……なんて、完成してから思うことではないわよね。いえむしろ、完成したからそう思うのかしら?)
今日までせっせと作っていた刺繍入りのハンカチと房飾りを前に、ルシアナは小さく息を漏らす。
いくら不安だとしても、今更プレゼントを替えることはできない。
ハンカチと房飾りを一緒に包むと、別荘に持っていく個人的な荷物が入っているカバンにこっそりとしまい込んだ。
できることならレオンハルトに喜んでほしいが、これはある種の自己満足だ。だから喜ばれなくても仕方がない。
(それに……本当のプレゼントは、別にあるものね)
カバンの下のほうにしまわれているものを思い出し、ルシアナは淡く頬を染める。しかしすぐに頭を振ると、カバンの金具をしっかり止めて立ち上がった。
「エステル、別荘に荷物を運ぶのは明日よね?」
「はい、奥様。明日別荘に荷物を運び入れ、整えさせていただきます」
「なら、予定通りこのカバンの中は出さずに、寝室に置いておいてもらっていい? あとはレオンハルト様や領地のメイドたちの指示通りにして」
「かしこまりました」
エステルは淡く微笑むと、持っていく荷物を整理していた手を止め、ルシアナの傍で片膝をつく。
「ルシアナ様。旦那様ならきっととてもお喜びになるはずです。ですからどうか、お二人での時間を楽しまれてきてください」
優しく触れられた手の温もりに、ふ、と肩の力が抜ける。
初めての誕生日だからと、必要以上に気を張っていたのかもしれない。
緊張はまだあるが、不安はすっとどこかへと消えていった。
(そう、よね。せっかく二人きりで過ごすのだもの)
「ありがとう、エステル。楽しんでくるわ」
エステルはどこか嬉しそうに笑むと立ち上がった。最後に少しだけ強く手を握ると、彼女は手を放す。
準備に戻っていったエステルの後ろ姿を見つめながら、ルシアナは温もりの残る手を握り込む。
(エステルには本当に世話になってばかりだわ。……いい加減、他にも専属侍女を指名しなければだめね。メイドももう少し増やして……領地での専属も決めなければいけないわ)
これまでは、トゥルエノ王国から共に来た侍女のエステルと、シルバキエ公爵家でもともと雇われていたメイドのイェニー、カーヤのみを専属としていた。けれど、これから公爵夫人として本格的に社交界に参加することを考えると、もう少し人数を増やしておいたほうがいい。
(交代で休みを取ってもらってはいるけれど、これからはそれでは足りないわ。王都にいる侍女とメイドは把握しているからいいとして、領地の使用人についてはバルバラに確認しなければ)
ギュンターへの用事もあるし、彼らがいそうな場所へ行ってみよう、と決めたところでちょうど扉がノックされた。
「奥様、ギュンターでございます」
「まあ。どうぞ入って」
「失礼いたします。……おや、お邪魔してしまいましたでしょうか」
「いいえ。ちょうどあなたのところに行こうとしていたのよ」
「それは良きときに来られたようですね」
ギュンターは目尻の皺を深めて微笑むと、脇に抱えていた紙の束をテーブルの上へと置く。
「こちら、頼まれていた過去三年間の魔物の討伐記録と、魔物素材の売却価格になります。魔物の出現数には天候なども関わってきますので、自然状況についてまとめた記録もお持ちしました」
「まあ、ありがとう、ギュンター。こちらまで持ってくるのは大変だったでしょう。次からは執務室に呼んでちょうだい」
「いえ、旦那様からお部屋にお持ちするように、と言付かっておりますので」
「レオンハルト様が?」
ソファに座りながら驚きに目を見開けば、ギュンターは深く頷いてみせた。
「保温魔法がかかっているとはいえ、廊下はお部屋より寒いですから。万が一にでも体調を崩されては大変だ、と。ここ数日、奥様も独自に準備を進められておられるようでしたので、旦那様もお気を遣われたのかと」
「そ、そうだったの」
「ええ、ですからお気になさらず。必要があればいつでもお呼びください」
種類ごとに紙の束を分けていたギュンターは、何かを思い出したように、柔らかな笑みを漏らした。その温かな表情に、彼がレオンハルトのことを思い出しているのだと察することができる。
(レオンハルト様は別荘で過ごされる時間を本当に楽しみにしておられるのね。それに……わたくしがどんな準備をしているのかも、きっとわかっていらっしゃるのだわ)
羞恥から思わず顔が赤くなりそうになったものの、そんな気の抜けた姿は見せられないと、ルシアナはただ穏やかな微笑を返す。
「ありがとう、ギュンター。体調を崩せないのはその通りだから、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「はい。別荘からお帰りになられたらパーティーの準備のためにいろいろとご足労いただくことも増えるでしょうから、今はゆっくりお部屋で過ごされてください」
どこか冗談めかした口調で、恭しく腰を折ったギュンターに、ルシアナは数度目を瞬かせたあと、くすくすと笑った。
「ええ、そうするわ」
(わたくしが罪悪感を抱かないように、そのように言ってくれたのだわ)
彼と密に接したのは半年ほどだが、たまにもっと長い時間を共に過ごしたのではないかと錯覚することがある。それくらい、彼はルシアナのことをとてもよく理解していた。
(わたくしは本当に、周りの方々に恵まれている)
人に恵まれるというのは、どれほど幸せなことだろう。シュネーヴェ王国に来てそのありがたみを感じたのは、一度や二度ではない。
この縁談を迷うことなく了承したことは、今後の人生を含めても、生涯最良の選択と言えるだろう。
(だからこそ、わたくしは彼らに報いたい)
ルシアナは深く息を吸い込み、背筋を伸ばすと「ギュンター」と彼の名を呼んだ。
「では、さっそくお願いしてもいいかしら」
「何なりとお申し付けください」
先ほどの茶目っ気は微塵も感じさせず、洗練された動きで頭を下げたギュンターに、ルシアナの気も引き締まる。
「バルバラを呼んでもらってもいいかしら? 使用人名簿も一緒に持って来てくれると助かるわ」
「すぐに連れてまいります」
ギュンターは一段深く頭を下げると、素早く部屋を後にした。
それからあまり間を置かずに、ルシアナは部屋の隅で待機していたエステルへと目を向ける。
「エステル、イェニーとカーヤを連れて来てもらってもいい? バルバラとの話には三人とも同席してもらいたいの」
「かしこまりました」
エステルを笑顔で見送ったルシアナは、深く息を吐き出し、ソファに寄りかかった。
(パーティーの準備期間中に候補を決められるかしら。あとひと月もすれば王都に帰るようだし……今後のためにも早めに決められればいいわ)
そのためにも、別荘に行く前にある程度目星をつけておかなければな、と気合いを入れ直した。
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次回更新は3月8日(日)を予定しています。




