かわいいひと(七)
「貴女は数日城を空けることを気にしていただろう?」
こくりと一つ頷けば、レオンハルトは頬に触れていた手を滑らせ、髪に指を通した。
「この北の地において雪害や魔物の問題は重要なことだから、貴女が気にかけてくれることはとても嬉しく思う。警戒を怠らないことは大事だからな。だが……」
レオンハルトはふわりと揺れる髪を一房手に取ると、毛先に軽く口付けを贈る。
「そうして気にしてくるのは本当にありがたいことなんだが、今回城を空けるのは俺のわがままだろう? だから、俺が後ろめたさを感じないよう、貴女にも心から楽しんでほしいんだ。二人きりで過ごす時間を、楽しみにしていてほしい」
(――あっ!)
柔らかく微笑むレオンハルトに、ルシアナは何故城を空けることになったのか、その理由を思い出す。もちろん、それを忘れたことなど一度としてない。ただ、「レオンハルトの誕生日を祝う」ことよりも、
「雪害や魔物による被害がまた起こるのではないか」という不安が強くなっていたのは事実だった。
顔から血の気が引くのを感じながら、ルシアナは慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません、レオンハルト様……! 決してレオンハルト様のお誕生日をお祝いしたくないわけではなく、わたくし自身、レオンハルト様と過ごす時間をとても楽しみにしていて……! そもそも三日間別荘で過ごすこと提案したのはわたくしなので、決してレオンハルト様のわがままでは……!」
(わたくしはいったいなんてことを……!)
一緒に過ごす初めての誕生日だというのに、当の本人に気を遣わせてどうするのだ、と心の中で自らを叱責する。
こうしてレオンハルトに言葉にしてもらわなければ、別荘で過ごす間、城にいるみんなや領地民のことばかり気にしてしまい、心から楽しめなかっただろう。そしてそんなルシアナを見たら、レオンハルト自身もきっと楽しむことなどできない。
もしかしたら、別荘行き自体をレオンハルトはやめていたかもしれない。
そう思うと申し訳なくて、堪らない気持ちになった。
「ルシ――」
「っレオンハルト様……!」
ルシアナは顔を上げると、思い切りレオンハルトの首に抱き着いた。ぎゅうぎゅうと彼を抱き締めながら、首元に顔をすり寄せる。
「楽しみます! 楽しみにしております! どうか後ろめたさなど感じないでくださいませ……! それから……お気持ちを伝えてくださりありがとうございます。一緒に過ごす時間を諦めないでいてくれて……それが何よりも嬉しいです」
そっと体を離して、真っ直ぐ彼を見つめる。
レオンハルトは、ルシアナがこういう反応をすることがわかっていたかのように、目元を和らげた。
「そう言ってもらえてよかった。以前の俺だったら間違いなく別荘に行くことを中止していただろうが……頼れる存在がいるのに、貴女と二人きりで過ごす時間をなくすのは惜しいと思ってな」
「レオンハルト様……」
そんな風に思ってくれていることが嬉しかった。
彼にとって自分が意味のある存在なのだと。我欲を優先したいと思える存在なのだと。そう思われていることが嬉しい。
レオンハルトはこれまでにも多くの愛の言葉を伝えてくれていたが、今の発言も、とても深い愛の言葉のように聞こえた。
彼から与えられる深い愛に応えたい。
自分も溺れるほどの愛で彼を包み込みたい。
(みんなには悪いけれど……今回ばかりはレオンハルト様を優先させてもらうわ)
レオンハルトが心から楽しめる誕生日を過ごそう、と密かに意気込んでいると、ふ、とレオンハルトは少しおかしそうに目を伏せた。
「俺が心置きなく貴女を愛せるようにと、少し意地の悪い言い方をした。すまない」
「? そのようには思いませんでしたが……」
どこにそんな要素があったのだろう、と首を捻っていると、レオンハルトはルシアナの肩に頭を乗せ、横目でちらりとこちらを見上げた。
「俺が後ろめたさを感じないように、と貴女の罪悪感を刺激しただろ? あれは俺の甘えだ。貴女が思ってる以上に、俺は貴女と過ごせる時間を楽しみにしてたから……ああいう言い方をすれば、ルシアナは絶対に頷いてくれると思って」
視線を逸らし、ぐりっと額を擦り付けるレオンハルトに、申し訳なさにまみれていた心にときめきが溢れ出す。
(ま、まあ……レオンハルト様が甘えてくださるなんて……わたくしの不甲斐なさのせいだけれど、とても可愛らしいわ)
ドキドキと胸が高鳴っているのを感じながら、ルシアナはそっとレオンハルトの頬に触れる。顔を上げてほしくて指先でひと撫ですれば、レオンハルトは一拍置いて頭を上げた。
少し乱れた前髪と薄っすらと赤くなった額を見て、胸が甘く締め付けられる。
「……レオンハルト様」
乱れた彼の前髪を直しながらゆっくりと顔を近付ければ、レオンハルトはそっと目を閉じた。彼がこうして口付けを待つのは非常に珍しく、いつもに比べ激しく胸が鳴る。
毎日していることだし、自ら口付けたことは前にはあったが、なんだかやけに気恥ずかしい。
ルシアナは小さく喉を鳴らすと、羽根が触れるような柔らかな口付けをレオンハルトに贈った。
それを二度、三度と繰り返し、最後は彼の耳にちゅっと口付ける。
「愛しておりますわ、レオンハルト様。どうかもっとたくさん、わたくしに甘えてくださいませ。たくさんたくさん、甘やかしますわ」
「――ふ、そうか。それはいいことを聞いた」
レオンハルトは喉の奥で小さく笑うと、目を開けルシアナを見る。その瞳はキラキラと貪欲に煌めいていた。
「貴女がいいと言うのなら、三日間遠慮はしない。……本当にいいんだな?」
「……甘えてほしいというのはお誕生日限定のことではありませんが……はい。どうか遠慮などなさらないでください。すべて受け止めますから」
「頼もしいことだ」
レオンハルトは愉しそうに口角を上げると、ルシアナの唇を食み、指を絡めて手を握り込む。
「俺は甘やかされるより甘やかしたいほうではあるが、今回ばかりはお言葉に甘えよう。そのほうが貴女も嬉しそうだなしな?」
(……あら? それって結局わたくしが甘やかされているのでないかしら?)
頬や額、鼻先など、顔中へのキスを受け入れながら、レオンハルトがそれでいいならいいのかもしれない、と納得する。
それに、レオンハルトが甘えてくれるなど滅多にない機会だ。
彼の“甘える”がどのようなものかわからないが、別荘へ行く日が俄然楽しみになってくる。
(レオンハルト様がよくしてくださるように、わたくしも御髪を整えてみたいわ。爪を整えるのもよくしてくださるし……お膝の上に乗っていただくのはさすがに無理があるけれど、膝枕というものもしてみたいわ。レオンハルト様がいつもしてくださるように、わたくしからキスもたくさんして――)
「そうだ」
「――!」
レオンハルトとの蜜月に思いを馳せていたルシアナは、レオンハルトの言葉に我に返る。はっと彼に意識を戻せば、レオンハルト先ほどまでの甘さがない真面目な顔でルシアナを見ていた。
「気兼ねなく別荘での時間を過ごせるように事前にいろいろと終わらせていこうと思う。少し慌ただしくなるがいいか?」
「まあ。もちろんですわ」
快諾するように頷けば、レオンハルトは淡く笑んだ。けれどそれも一瞬で、すぐに視線を逸らし真剣な表情で何かを考え込む。
そんなレオンハルトの横顔を見つめながら、ルシアナはほうっと小さく息を吐き出した。
(やっぱりレオンハルト様はとてもかっこいいわ。普段もそうだけれどお仕事をされているときは特に……ああでも、そんなレオンハルト様がわたくしの前でだけ甘えた姿をみせてくれるなんて、やっぱりとっても可愛らしいわ)
真剣な表情のレオンハルトに倣うように澄まし顔を浮かべながら、視線だけはずっとレオンハルトを捉え続けた。
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次回更新は2月22日(日)を予定しています。




