かわいいひと(六)
『話しなら二人でゆっくりしなさい』
そうユーディットに言われ、ルシアナたちは私室へと戻ってきた。
ソファに並んで座りながら、ルシアナは目の前のテーブルに置かれたカップに手を伸ばす。湯気とともに立ちのぼる華やかな香りを肺いっぱい取り込むと、そっとカップに口を付けた。
温かく、ほのかな甘さが感じられる紅茶を二口ほど飲んで、ソーサーの上へと戻す。
ちらりと隣を窺えば、レオンハルトはカップを見下ろしていた。
視線に気付いたのか、レオンハルトは一度ルシアナを見ると、どこか慌てたように紅茶を口にした。何度か喉を鳴らし、音を立てないようそっとカップを戻してから、ルシアナに向き直る。
「話すか?」
柔らかな声に、ルシアナはこくりと頷くとレオンハルトの手を取った。両手を繋ぎながら、ルシアナはそっと口を開く。けれど続く言葉はなく、もじもじと顔を俯かせてしまう。
(さ、先ほど覚悟を決めたはずなのに……)
いざ自分で気持ちを伝えるのだと思うと、つい口が重くなってしまう。
伝えると決めたのだから、早く言わなければ。そう思うほど心臓は早く脈打っていき、口元に力が入っていく。
「ルシアナ」
じわりと手汗が滲み始めたところで、優しく名前を呼ばれた。
はっと顔を上げれば、柔らかく微笑むレオンハルトと目が合う。
「貴女に無理強いさせたいわけじゃない。言いたくないなら――」
「いっ、いいえ! 言いたくないわけではありませんわ……! ただ、その……」
気恥ずかしさに、頬が熱くなっていくのを感じる。
頭の中で言葉がぐるぐると絡まり合い、なかなか思考が定まらない。
数秒の逡巡のすえ、ルシアナは繋ぐ手にわずかに力を込めた。
「……お膝の上に座ってもいいですか?」
「ああ。もちろんだ」
レオンハルトは嬉しそうに目尻を下げると、繋いだ手を引いて自身の足の上に座らせた。片腕は腰に回し、もう一方の手はルシアナの手をしっかり握ってくれている。
レオンハルトの温もりに包まれ、徐々に気持ちが落ち着いていった。
ルシアナはレオンハルトの指先をいじりながら深く息を吸い込むと、「あの」と小さく漏らした。
「結婚式の……翌日のことなのですが……」
「ああ」
「その……朝、レオンハルト様がしばらくお邸を空けると知ったとき、とても驚いて……また夜に会えると、いつ帰ってくるのかお聞きしたいと思っていたので、すごく衝撃を受けて……本当はとても寂しかったのです」
「……ああ」
「事前に伝えられていたら毎日寂しさが募っていたでしょうから、むしろ一気に底に落とされてよかった、とあのときは納得したのですが……レオンハルト様に特別な気持ちを抱いていると気付いたのもちょうどあのときだったので、毎日……レオンハルト様が恋しくて、泣いてしまいそうで……泣くのを我慢していたせいか、レオンハルト様にお会いしたときみっともなく大泣きしてしまったのですが……」
レオンハルトは繋ぐ手に力を込めながら「そんなことない」と呟いた。
表情が見えないため彼の気持ちを正確に察することはできないが、声はどこか沈んでいるように聞こえる。
レオンハルトを責めるような言い方になってしまっただろうか。
不安になったものの、ここで一度話を止めるよりは続けたほうがいいだろう、と言葉を続ける。
「お手紙も、欲しかったです。狩猟大会でのお茶会で、婚約者の方からお手紙が届いたというご令嬢のお話を聞いて、その……羨ましい、と思ってしまって……。そのあと、別のお仕事でお邸を空けたときも、同行した他の騎士からはお手紙が来ていたと知って……ひ、一言でもいいので、わたくしもレオンハルト様からお手紙が欲しかったと……その、お忙しいというのは重々承知しているのですが……」
改めて口に出してみると、仕事で忙しい相手に対してずいぶんと自分勝手なわがままを言っているような気がしてくる。
羞恥に体温が上がり、ルシアナは体を縮こまらせた。
「あの、レオンハルト様を困らせたいわけではないのです。こうした機会をいただけたのでお伝えしましたがもう過去のことですし、ヴァルターたちからレオンハルト様の近況を窺うことができるので、お手紙も必要というわけではありません。わざわざわたくしのために時間を割いていただく必要は――」
「ルシアナ」
捲し立てるようにぼそぼそと話し続けていたルシアナの言葉をレオンハルトは遮った。
ルシアナの頭を撫で、そっと頭上に口付けると、指先を軽く頬に滑らせる。
「顔を上げてくれないか? ルシアナ」
緊張で心臓がドキドキと脈打っているのを感じながら、ルシアナは背筋を伸ばし、恐るおそる顔を上げる。
目が合った瞬間、後ろから回った手が顎を掬い上げ、口を塞がれた。
「んぅっ、ン……」
ゆっくりと時間をかけて舌を絡められ、徐々に思考が溶かされていく。間近で揺らめくシアンの瞳をじっと見つめながら、縋るように握る手に力を込めれば、レオンハルトは軽く唇を吸って顔を離した。
薄っすらと口を開けたまま、ぼんやりとレオンハルトを見上げていると、濡れた唇をぺろりと舐められる。
「ルシアナ。俺は貴女の本心を知りたいんだ。自分の気持ちを明かすこと以外、余計なことは何も気にしなくていい」
「……余計なことではありませんわ。大好きなレオンハルト様のことですもの。レオンハルト様のことを気にしないだなんて、そのようなことできません……」
甘えるように首元に顔をすり寄せれば、ふ、という温かな吐息が前髪を揺らした。
まるで慈しむかのように、ぽん、ぽん、と優しく頭を撫でられる。
「そう言ってくれて嬉しい。だが、それならなおのこと貴女の気持ちを何も気にせず話してほしい。俺が誰よりも大切に想っているのは、他でもない貴女なんだから」
心を解きほぐすような柔らかな声に、ほっと息が漏れる。体から余計な力が抜け、ルシアナは寄りかかるようにレオンハルトに体を預けた。
「……長くお邸を空けるときは事前に教えてほしいです」
「わかった。必ず伝えよう」
「お邸を空けることが決まったら、毎日一緒に眠りたいです」
「邸に帰る日は必ず共に寝ると約束しよう」
「できれば……お手紙も送ってほしいです。時間のあるときで構いませんので……」
「時間は作るものだ。余程のことがない限りは必ず出そう」
(嬉しい……)
かつて抱いた寂しい気持ちや拗ねた気持ちがすべて消え去ったような心地になる。
心がぽかぽかと温かくなっていくのを感じながら、ルシアナは頭を動かし、レオンハルトを見上げた。
「レオンハルト様は何かありませんか? 寂しかったり、困ったり、何か嫌だと思ったことはありませんか?」
「俺は何も……」
言いかけて、レオンハルトは考えるように視線を逸らした。
(……! レオンハルト様にもあるのだわ!)
当然と言えば当然だ。これはきちんと聞かなければいけない、と姿勢を正せば、レオンハルトは繋いでいた手を放し、ルシアナの頬をひと撫でする。
「一つだけ、貴女にお願いがある」
「一つと言わずいくらでも、何でもおっしゃってください」
胸の前で握りこぶしを作り意気込むルシアナに、レオンハルトはわずかに口角を上げた。




