第1話 アスファルトと泥クリーム
「王子殿下、ご帰国が遅くて決済が溜まっております。ほとんどは宰相閣下の専決処分で行っておりますが、いくつかは王子殿下の判断が必要です」
ノースサンドリアの中心地。ケントが『エド城』と名付けた山城を行政府として、先に到着した元東リーグラード王国の官僚レイチェル・ブレゲが、ケントの帰りを待っていた。
優秀な彼女は到着した日から官房長官として、役人たちの先頭に立ち、国造りに向けての様々な仕事を調整していた。
「王子がインフラの整備を真っ先にやられたことは、先見の明がありました。今のところ、メイン道路の整備が30%ほど進んでいます。ただ、今は地ならししただけの道なので、雨が降るとぬかるんでしまいます。舗装についても進めなくてはいけないのですが」
レイチェルはそう言って地図を広げ、ケントに状況を説明する。
元々、バステト族の領地には道が張り巡らされていたが、舗装のされていない山道。道幅も馬車が1台通れるかどうかの狭い道路だ。
「石の舗装が理想だが、あれでは何十年かかるかわからん。それに資金が続かないだろう」
この世界で道が整備されていると言ったら、王都や主要な大都市の街中の道である。石やレンガによる舗装がされている。時間もお金もかかる舗装だ。
「舗装しなくてはスムーズな流通ができなくなる。ああ、アスファルトとかあればなあ……」
そうケントは思わずため息をついた。アスファルトがこの異世界にあると聞いたことがない。
「ケント様、アスファルトというものがどういう物かは知りませんが、道路の舗装につきまして、耳寄りな情報があるのです」
レイチェルはバステト族とアヌビス族が支配する土地の調査から、様々な情報を整理していた。調査はケントが命じてさせていたものだが、その中の1つに『燃える土』の情報があったのだ。
「それはここから西方の山間地にありまして、大きな沼があります。地元の人間は『腐敗沼』と呼んでいるそうです。粘度の高い黒い泥で積もった沼だそうです」
レイチェルの話を聞いてケントの顔はだんだんと笑顔になってきた。それはどう見ても『天然アスファルト』である。
「それは熱を加えると軟らかくなり、冷ますと固くなりはしないか?」
「は、はい。その通りです」
「バッチグーだな」
ケントの変なコメントにレイチェルはきょとんとした顔をした。そんなレイチェルにケントは続けて指示をする。
「その燃える土に砂利を混ぜて舗装に使え。まずはメイン道路となる国道1号線に敷く」
国道1号とは東リーグラードからノースサンドリアに接続する道である。国内の中心を横断し、アヌビス族の海岸まで出る主要道路だ。
東リーグラード内の地方道路は舗装されていないので、ここをアスファルト舗装すると違いが分かる。
国力の勢いを通る商人にアピールできるし、アスファルトの輸出にもつながる。
「施工も簡単だし、耐久性もまずまずだ。暑い国なら溶けて轍ができることもあるが、この地方ならそれもない」
「了解しました。わたしが進言しようと思ったことを指示されて、さすが王子殿下だと尊敬します。よく燃える土のことをご存じでしたね」
レイチェルはそう誉めた。確かに王族がアスファルトのことを知っているはずがなく、道路の舗装に使うアイデアはレイチェルのオリジナルだと思っていた。
(それなのに……最近、見つかった燃える土について詳しいとは……)
レイチェルはケントの並外れた知識量に脱帽するしかない。そして判断の早さもだ。
若いから慎重さに欠けることもあるだろうが、ノースサンドリアはこれから発展していかなくてはいけない国だ。
スピード感ある政治決定をしなければ、豊かになることはない。
「材木の輸出は予定通り進んでいます。戦争が終わり、住宅建設が増加しています。カリフからの買い付けも先月比で180%と増加です。あと岩塩の輸出も順調です。今のところはカリフ経由で売っていますが、取引先はリーグラード地域だけでなく、諸外国にも広がっています」
そうレイチェルは他の状況も報告していた。主要産業である林業と岩塩の輸出。そしてまだ収穫前だがブランド米であるバステト米の栽培も順調であった。
ただ、どれも資源を売っているだけである。1次産業頼りの経済構造では、安定した経済は得られない。
「100万ディナールの資金を有効に使わないとな。今年の配当を確実にすれば、来年の増資も可能となる」
株式という仕組みでカリフの投資家から100万ディナールの資金を集めたが、まだノースサンドリアを豊かにするには足りない。
特に津波で被害を受けた海岸部には投資を続けないといけない。
災害は国にとってマイナスであったが、アヌビスの土地の改革という視点では、面倒な勢力を一掃してくれたのはプラスだ。
「アヌビスと言えば、かの地の内陸部に塩でできた湖があるのをご存じでしょうか?」
レイチェルはさらにアヌビス族の領地についても調査結果を報告した。海岸沿いのアヌビス領はこれまで細々と漁業と内陸部で農業をするしかない貧しい土地であった。
ケントの発案でアヌビス領の開発を進める計画があった。まずは漁業の立て直し。そして風光明媚な海岸とビーチにはリゾート開発。
その一環で内陸部に塩分濃度の高い湖があることが分かった。地元では『死の湖』と呼ばれ、あまりの塩分濃度の高さに魚もおらず、周辺は塩害で作物も育たない。
塩の生産ができるかというと、これが泥や他のミネラル分が混じっていてひどく苦く食べるのに適していないという。
「これなのですが……」
レイチェルは採取してきた『死の湖』の泥を見せる。
ケントが触るとねばねばして手のひらにへばりつく。
「なるほど……。この泥は体に塗るとよさそうだ。地元の人間はこれを肌に塗っているとかしないのか?」
いわゆるミネラル分を含んだ泥によるエステができないかとケントは思ったのだ。
「よくご存じで。地元の女性たちは、これを顔に塗ることでピチピチのもちもちになると言っております。わたしも試しに使ってみましたがなかなかよいです」
確かにレイチェルのほおはピチピチと輝いている。
「この泥は化粧クリームとして売れそうだが……問題は売り方だな」
ケントの領地はとにかく貧しい。売れるものは何でも売りたい。
ミネラル分がたっぷり入った湖の泥は売れるポテンシャルはあるが、これをそのまま売るには工夫がいる。
「湖周辺にリゾート施設を建設して、この泥クリームを使ったエステをする。周辺国のセレブな女性たちがやってくれば、金がもうかる」
ケントはそんなことを考えた。泥クリームを単純に売っても知名度が低いうちは利益は小さい。それなら、ここでしか買えないリゾート地を作って客を呼んだ方が知名度が上がる。その方が最終的な利益は大きい。
「さすがケント様です。その発想はよいと思います。すぐにブラッドと相談して計画を立てましょう」
今はレイチェルと共にケントがスカウトしたブラッド・ベルロスは農林水産大臣として、特にアヌビス族の支配する海岸部の経営に力を入れている。
彼に話せば具体的な開発計画を立ててくれるであろう。すぐにケントはブラッドを呼んだ。




