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第3話 リィの場合

「畜メ、アイツハ絶対ニ殺ス……」


 リィはそういうと場末の酒場の片隅でエールの入った木製のジョッキをテーブルに叩きつけた。

 顔をマントですっぽりと隠している。顔の上半分だけを面で覆っている。

 下半分は粉々に壊れてしまった。

 ニケによって壊された面の上だけを漆を使った金継ぎで修復した。

 新しい面を用意してもよかったが、顔を見られた屈辱を忘れないようにあえて修理したのだ。


「……貴殿らしくないな」


 不意に背後から声をかけられてリィは、酔いの回った頭が冷えていくのが分かった。

 後ろのテーブルに一人で座っている老人がリィの方を見ずに話しているのだ。

 酒場の喧騒の中でその声は小さいがリィにはよく聞こえた。


「公はかなり怒っておいでだ。切り札のブラックハートが全滅とは追放された王子はよほど手練れの護衛を雇っているようだな」


 そう老人は続ける。公というのはこの国の宰相。ケンジントン公のことだ。

 

 老人は『掃除人』と呼ばれる裏切り者を密かに始末する部隊の長だ。

 名前はない。『掃除人』は失敗した暗殺者を始末する役割を担う。

 その正体は不明だ。そして普段は普通の仕事をしている。宿屋の従業員、農夫、市場の商人、馬番……どこにでもいる普通の人間だ。


 失敗した暗殺者が雇い主のことを暴露しないように始末するのが仕事である。


「ジジイガ出テキタトイウコトハ、我ヲ始末シニ来タノカ?」


 リィはズバリそう聞いてみた。こんなところでわざわざ話しかけてきたところをみると、そうではないという判断が働いたのだ。


 もし自分を殺すつもりなら、目の前のエールに致死性の毒を入れられているだろう。

 もしくはすれ違った瞬間に毒の塗ってあるナイフで、肌をちょんと傷つけられている。


「くくく……。公は貴殿の能力を高く買っている。他の奴らは代替が効くが魔力の高い貴殿は得難い。だがな……」


 老人は話を止めた。注文した料理がテーブルに置かれたのだ。代金を支払うと話を続ける。


「貴殿が向こうに寝返るのなら別だ」

「……寝返ルワケガナイダロウガ!」

「素顔を見られた魔神ズーファの女が取るべき行動は2つだ。1つは相手を殺すこと。1つは信仰を捨てその相手と結婚することだ。まさか、お前が女の情を出すとは思わぬが」


「当タリ前ダ。ナゼ我ガアンナゲス王子ノ嫁ニナラナイトイケナイノダ。殺スニ決マッテイル。ソノ一択シカナイ」


 老人は黙って運ばれてきたスープをすする。どう考えてもリィの主張が正しい。

 そもそも、落ちぶれたとはいえ、一国の王子でへき地の国王になる男だ。暗殺者を嫁にするはずがない。

 それに王子は鎧を着た変な婚約者がいるのだ。リィが入る余地は100%ない。


「そうだろうな。普通はそう考える。だがな、女は分からぬ」

「貴様、女ト侮ルカ!」


 声は小さいがリィはそう毅然と言い放った。

 暗殺家業の道に踏み込んだ時に、女というだけでバカにしてきた男たちは多くいた。それらすべてはリィの魔法でなぎ倒してきた。どんな力自慢もリィの魔法の前では無力であった。


「女はわしら掃除人には向いているが、暗殺者には向いていない」


 老人はスープをすすりながらそう続ける。淡々とした話しぶりは最初と変わっていない。

『掃除人』には手練れの暗殺者を葬るために、か弱い人間を演じる。老人や女性は相手を油断させるのに必要なキャラクターである。


「暗殺者ニ向イテイナイトイウガ、我ノコレマデノ功績ハドウ説明スルノダ?」


 リィに関してはこれまで果たしてきた功績を考えれば、暗殺者に向いていないなどという発言は失礼だ。掃除人が口にすべき言葉ではない。


「そうだな……。貴殿のこれまでの功績も公が始末せぬ理由だろうな。公からの命令だ。ノースサンドリアへ侵入し、奴を殺せ。へき地へ追い払ったとはいえ、油断ができぬそうだ。最初から殺しておけばよかったが、どうも公もあの王子の能力を過小評価していたらしい」


「……過小評価ネ。我ハソウハ思ワヌ。戦ニハ多少のノ能力ハアロウガ、アレハタダノ馬鹿王子ダ。周リガ優秀ナダケダ」


 リィはそう思っている。そもそもブラックハートが全滅したのも、あの変な鎧娘のせいなのだ。老人はリィの言葉には答えない。淡々と続ける。


「ノースサンドリアは人材募集を広く募っている。今なら城のメイドにでもなれるだろう。これが身分証明書だ。顔は変装するから見られてもよいだろう。それとも女の武器を使いベッドで奴を殺すこともできるだろう」

「ハニートラップカ……ソノヨウナゲスナ手ハ使ワヌ」


 リィはだんだん腹が立っていた。ハニートラップなどリィには屈辱的な言葉だ。そのようなことは今まで一度もなく、邪神ズーファに捧げた身は異性に対して純潔無垢なのだ。


 それをたかが掃除人に指示され、馬鹿にされていると思ったのだ。ケンジントン公爵の命令を代弁しているだけとはいえ、そこまで言われる筋合いはない。


「まあ、お手並み拝見といこうか……。我ら掃除人の手を煩わすことがないように願いますぞ。我らも貴殿を始末する任務はやりたくない。相当の犠牲を出すことは覚悟しないといけないですからな……」


 老人はスープを飲み終わるとすっと席を立った。リィは飲み干してからになったジョッキを見つめ、手を挙げてもう一杯注文をした。

 テーブルには掃除人が用意した偽の身分証明書や推薦状が置いてある。これを使ってノースサンドリアへ行く。


(アノバカ王子ヲ殺シテヤル。ソレガ我ガ神ズーファ様トノ契約ダ)


 リィは魔神ズーファと契約した闇巫女だ。闇巫女になると魔神ズーファの力を借りて強大な魔法を使うことができる。

 リィは持ち前の魔力の高さもあるが、魔神ズーファの力を借りることができることが、彼女を最強の暗殺者にしているのだ。


 ズーファの闇巫女は誰もがなれるわけではない。結婚前の無垢な少女しかなれない。契約したら魔神ズーファに操を立て、素顔を異性に見せてはならないと言うのが掟である。


 もし素顔を見せてしまったのなら、その者を殺す。

 これが魔神ズーファとの契約だ。

 それができない場合はその相手と結婚しなくてはならない。そうしないと魔神ズーファと縁を切ることができないのだ。

 縁を切らねば死んでからその魂は地獄に落ち、二度と人として転生できない呪いにかかると言われているのだ。


(ソレニアノ不気味ナ婚約者。アイツモ殺サネバナラナイ。仲間ノ無念ヲハラサネバナラナイ……)


 正直なところ、仲間の敵を討つという気持ちは嘘だ。部下だったとはいえ、どいつも自分の道具でしかなかった。

 親しくしていた者もいない。ブラックハートのメンバーは互いに仕事上のつきあいしかないのだ。

 これはニケによりズタズタにされた自分のプライドを取り戻すためなのだ。


(馬鹿王子ガ……)


 再注文したエールが運ばれてくる。代金を支払うと口を付けた。


(アノバカ王子が、我ノ初メテヲ奪イヨッテ!)


 暗殺部隊ブラックハートの頭目として、冷酷な暗殺者であるリィも若い娘だ。

 今年で18歳になる。この若さで暗殺集団の長になったのは、魔力と魔神ズーファの加護のおかげではある。これまで何十人と標的にした人間を殺してきた。


 しかし、男に口づけされて胸まで見られたのは初めてだ。精神的に動揺している自分が許せない。

 人工呼吸とはいえ、ファーストキスがあのゲス王子だと思うともう体全体が熱くなるくらい怒りで満ちる。


(アンナ奴、アンナ奴……)


 リィはお代わりしたエールを飲み干すと、酒場を後にした。

 明日はノースサンドリアに向けて旅立つのだ。


 まずはメイドとしてケント王子に近づく。

 近づけさえすれば、ただの人間。リィの能力をもってすれば100回でも殺せる。


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