第20話 天女の湖
何時間経っただろうか。眠りはしなかったが、うとうとと何とか精神レベル0には耐えたケントは、白々と明るくなった森に安堵した。
焚火の火は随分と小さくなった。もう狼は襲ってこないだろう。気がつくとモニュメントのように寝ていたニケがいない。
(ニケ……どこへ行った?……)
ケントは立ち上がり、あたりを見回す。ニケも人間だ。
きっとトイレか何かだろうと考えた。鎧を着たまま、どうやって用を足すのか疑問であったが、ケントも尿意を感じてきょろきょろと辺りを見回す。
朝もやの中に昨晩は聞こえなかったせせらぎの音が聞こえてきた。
(おっ……清水でもあるのか?)
用を足した後、水でも飲もうとケントは音の方へ近づいた。
ぴちゃ、ぴちゃ……。
不思議な音がする。誰かが水浴びをしているかのような音だ。
そっと近づくと小さな泉を発見した。森の地面から湧き出るきれいな水が満たされた場所だ。
大きな岩がいくつも泉に浮かんでいる。
そこに人の気配があった。
(誰だ……まさか、ニケか?)
だが、そっと近づいたケントはその人物がニケではないことを知る。鎧は着ていない。金髪の長い髪。シルエットは女性の体。
遠いので顔は見えない。見たところで知り合いではないだろう。
ケントがまるで天女様ではないかと思い、見惚れてしまった女性は無邪気に水浴びをしている。白い体はまるで美術品のように輝いている。
バシャッ……。
あまりの美しさにボーっとなってしまったケントは、うっかり足を泉に踏み入れてしまった。
わずかな水音にその女性は反応した。
「だれ!?」
慌てて胸を隠すと大岩にあった布で体を隠す。ケントは慌てて大岩の陰に隠れた。やがて泉から離れる音がする。
ケントはそっと岩から顔を出したが、もはやそこには女性はいなかった。
「逃げたか……」
(それにしても……あんな美しい女は見たことはない)
かつての恋人、アイリーンもマリアーノも美人だったが、泉にいた女性に比べれば、月とすっぽんである。人間と天女様の違いだとケントは思った。
「やばい……一目ぼれしてしまったかも……」
だが、狼が出るこの森にあんな美女が1人とは怪しい。ますます人間離れした存在であると思える。
しかし実際はこの場所は町に近い。単純に森番や町人が水浴びをする場所なのかもしれない。
(そうなら今後、あの子に会える可能性もある……)
そう考えながら、ケントは泉の水を手ですくい、ぐびぐびと飲む。ついでの顔を洗う。
「ううう……冷たくて気持ちいい~」
あまりの気持ちよさに、シャツを脱ぎ、ズボンとパンツも投げ出した。そして泉に体を浸す。
「ああ~。生き返るわ~」
王都を出て以来、水浴びはできず、せいぜい、たらいに汲んだ水で体を拭くくらい。女装していたので、他の使用人にばれないように、それも手早くやらないといけなかった。
「しかし、ニケの奴、一体どこへ行ったのだ?」
どうせ鎧を着たまま、用をたしに木陰にでも行ったのだろうとケントは思った。
先ほどの美しい娘のように泉で水浴びはしていないだろう。ケントはニケの醜い水浴び姿を想像して、慌てて頭を振った。
先ほどの超かわいい娘の記憶が無様な鎧姿で上書きされてしまう。
30分ほど水に浮いて十分に体を清めたケントは、昨晩過ごした遺跡跡に行く。
まだ火が生きており、いつの間にか戻ってきたニケが拾ってきたと思われる鍋……。
よく見るとリーグラード鉄騎兵の鉄製のヘルメットを火にかけて、何か作っているようだ。鉄兜は森のどこかで拾ったのであろう。
昔にこの森をはさんで戦争があったこともある。狼と対峙した遺跡は、その時の砦の跡だ。鉄兜が放置されてもおかしくないが、 錆が酷くないのは最近放置されたもののようだ。
「ニケ、何を作っているのだ?」
ケントは驚いた。ニケはバステト族のお姫様だ。まさか炊事ができるとは初めて知った。
いつも侍女のオトワが生活上のことは全てやっていたから、てっきり何もできない女だと思っていたのだ。
それに食料もよく持っていたと感心する。鉄兜で煮ているのは米。そしてとうもろこしである。
「お米は元々持っていました。とうもろこしは先ほど通りかかった農夫の方から、売っていただきました」
「農夫?」
驚いた。昨晩は狼に襲われそうになった場所だが、近隣の村人たちにとっては、生活エリアなのであろう。その農夫は森の一角を畑にしているらしい。
「で、お前は何を作っているのだ?」
「コーンライスですよ」
事も無げにニケはそう言った。当トウモロコシの甘い匂いがする。ケントのお腹が鳴る。何か食べないと頭がくらくらしそうだ。
「コーンライス?」
なんだそりゃと思った。王宮で高級な食事ばかりしていたケントが食べるようなものではない。
前世の記憶を思い起こすと、アウトドア料理にそんなものがあったような気がする。
「はい、炊きあがりました」
そういうとニケはこれまた木の棒で作ったしゃもじで皿代わりの葉っぱにコーンライスを盛る。これも持っていたという岩塩をけずってライスの上にかける。
ケントは木の枝2本を箸代わりにして口に運ぶ。
「うめえ……こりゃうめえ」
空腹だから何を食べても美味しいのだが、これはそうではなくても美味しいと断言できる。ふんわりと炊かれた米の甘さとじんわりと熱を加えられ甘味が増したトウモロコシのハーモニー。
そして岩塩が起爆剤となって、この2つの甘味を際立たせる。あまりにも美味しので、ケントは無我夢中でかき込んだ。
「ぐふっ」
当然そうなるだろう。喉にご飯が詰まる。
「ケント様、慌てて食べるからそうなります。慌てなくてもお代わりもまだありますよ」
そう言ってニケは竹で作った器に水を注いで差し出した。慌ててそれを飲む。
水は冷たくて美味しい。先ほど飲んだ泉の水だ。
「これは?」
そうケントはニケに尋ねた。
「この近くに泉があって、そこで汲みました」
「そうか……」
そうやらニケもあの泉に行っていたらしい。しかし、ニケがいないことに気づいたのはケントが泉を見つける前だ。
そうだとすると、あの美しい天女をニケも見たことになる。
「おい、ニケ」
ケントはニケに尋ねる。
「お前が泉へ行ったとき、めちゃくちゃ可愛い女の子が水浴びをしていなかったか?」
きょとんとするニケ。どうやら知らないようだ。
「俺もその泉には行ったのだ。その時に可愛い女の子が水浴びをしていたのを見た。いや、あれは美しかったなあ」
一応、婚約者の前でそう惚気るケント。ゲス王子である。
「そ、そうですか……。わ、わたしはそんな人は見なかったです」
ニケは慌てたようにそう否定した。ケントはそれには嘘が含まれていると感じた。
(ニケの奴、きっとあの可愛い娘を見たに違いない。それを隠すとは、こいつもなんやかんや言っても俺のことが気になるらしい)




