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"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
第21章『学生スタッフで十分でしょ』

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第98話「標準工事」

 佐野節子のエアコン工事は、予定どおり終わった。


 水曜日の午後、工事完了報告が端末に上がった。追加工事は、配管カバーの一部交換だけ。金額も大きくない。事前下見で説明済みだったため、当日の確認も短く済んだらしい。


 備考欄には、小野寺の言葉で短く入力されていた。


『月曜下見済み。ご家族確認済み。庭側配管一部交換。作業完了』


 安西真帆は、その報告を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 売場で案内し、工事日を取り、協力工事店が設置する。客は新しいエアコンを使えるようになる。店の売上にもなる。


 仕組みとして、うまく回っている。


「佐野様、完了ですか」


 工事受付の事務スタッフが聞いた。


「はい。小野寺さんが下見を入れてくれたので、問題なかったみたいです」


「小野寺さん、あの辺りは強いですね」


「強い、ですか」


「古い家のこと、だいたい覚えてるんです。道が狭いとか、ブレーカーが古いとか、このお宅はご家族に確認が必要とか」


「それ、全部、報告書に残してもらえると助かるんですけどね」


 安西が言うと、事務スタッフは苦笑した。


「小野寺さん、電話の方が早いって言うんですよ」


「そこは、少し困りますね」


 安西はそう答えた。

 困るのは事実だった。工事受付は端末で動く。担当者が変わっても、画面を見れば分かる状態にしておきたい。個人の記憶や電話連絡に寄りすぎると、店としては管理しにくい。


 小野寺の仕事は助かる。

 けれど、助かることと、管理しやすいことは別だった。



 翌週、本部からエリア会議の招集があった。


 ホクトデンキ緑町店の会議室には、店長の大貫、安西、工事受付担当、エリアマネージャーの篠田が集まった。篠田は四十代半ばで、話し方に無駄がない。数字の資料を配る手つきも早かった。


「夏商戦前に、工事委託の運用を見直します」


 篠田は、スクリーンに表を出した。

 地域別の工事件数、平均単価、キャンセル率、再訪問率、報告書提出までの日数。緑町店の数字もそこに並んでいる。


「現在、緑町店では個別の協力工事店が七社入っています。そのうち、エアコン工事の大半を三社が担当しています」


 安西は、資料の中に「小野寺電器」の名前を見つけた。

 報告書提出までの日数は、平均より遅い。電話確認が多い。端末入力の備考が短い。再訪問率は低い。


「再訪問率は低いですね」


 安西が言うと、篠田は頷いた。


「ええ。地域の古い住宅に慣れている業者は、現場判断が早い。ただ、管理面ではばらつきがあります」


 篠田は次の表に切り替えた。


「本部としては、広域工事会社への集約を進めます。予約管理、報告書、写真提出、追加工事の単価表を統一できる。店側の確認工数も減ります」


 店長の大貫が腕を組んだ。


「委託費も下がるんですか」


「標準工事については下がります。難工事は単価が上がる場合もありますが、見積もり基準が明確になります」


「お客様への説明はしやすくなりますね」


「はい。誰が受けても同じ説明にできます」


 安西は、資料を見た。

 大手の店としては、正しい方向に見えた。売場で案内する価格と、工事当日の説明がずれることは客の不満につながる。工事店ごとに言い方が違うのも困る。


 同じ説明。

 同じ基準。

 同じ報告書。


 売場を回すには、その方がいい。


「小野寺電器さんのような地域店は、完全に外すんですか」


 安西が聞くと、篠田は少しだけ資料から目を上げた。


「継続希望があれば、条件を合わせてもらいます。端末入力、写真提出、追加工事単価、事前下見の扱い。これまで曖昧だった部分を統一します」


「条件が合わなければ」


「契約終了です」


 篠田の声は冷たくはなかった。

 ただ、決まっていることを言う声だった。


「個人店に合わせて運用を変えると、店側の負担が大きくなります。人手不足なのは工事店だけではありません。こちらも、属人的なやり方は減らさないと回りません」


 安西は反論できなかった。

 その通りでもあった。


 小野寺の記憶は助かる。佐野の家も、それでうまくいった。

 だが、安西が異動したらどうなるのか。工事受付の事務スタッフが休んだらどうなるのか。小野寺が電話で伝えたことを、誰が端末に残すのか。


 仕組みに乗らない仕事は、いつかこぼれる。


 だから、仕組みに乗せる。


 篠田の言っていることは、間違っていなかった。



 小野寺電器が条件変更の説明を聞きに来たのは、その三日後だった。


 閉店後の修理受付カウンターで、安西と工事受付担当が同席した。小野寺は、いつもの作業服ではなく、薄いグレーのシャツを着ていた。手には、本部から送られた契約更新書類がある。


「端末入力は、全部ですか」


 小野寺が聞いた。


「はい。工事前写真、工事後写真、追加工事がある場合は理由と金額。お客様サインも電子化になります」


「紙の控えは」


「出せます。ただ、基本は端末管理です」


「事前下見は」


「原則、有料メニューとして登録した場合のみです。工事店さんの判断で無償で寄っていただく形は、今後は控えていただくことになります」


 小野寺は、書類に目を落とした。


「佐野さんみたいな家は、先に見た方が早いんですけどね」


「分かります。ただ、店としては、費用が発生する作業はメニューとして案内する必要があります」


「でしょうね」


 小野寺は静かに言った。


 怒っているわけではなかった。むしろ、納得しているようにも見えた。


「追加工事の単価も、この表で統一ですか」


「はい」


「この地域だと、表にない作業が多いです。古い土壁とか、昔の配管穴とか、室外機の置き場を隣の人と相談しないといけない家とか」


「その場合は、現地で本部承認を取る形になります」


「作業中にですか」


「はい」


 小野寺は、少しだけ笑った。

 馬鹿にする笑いではなかった。困ったときに出る、短い息のような笑いだった。


「夏場は、待ってくれませんよ」


 安西は、その言葉の意味を測りかねた。


「お客様が、ですか」


「壁も、人もです」


 小野寺は書類を閉じた。


「すみません。うちは、今回の更新は見送ります」


 工事受付担当が、慌てて顔を上げた。


「え、でも、小野寺さんには緑町三丁目と商店街周辺をかなりお願いしていて」


「だからです。中途半端に受けて、途中で迷惑をかけるより、ここで降りた方がいい」


「条件面なら、本部に確認します」


「いえ。条件だけじゃありません」


 小野寺は、少し間を置いた。


「私も、もう六十七です。娘にも、そろそろ店を閉めたらと言われています。量販店さんの仕事を受けるには、端末も写真も報告も、ちゃんとやらなきゃいけない。そこまで含めて仕事です。でも、今の私には、それを夏の件数で回す体力がない」


 安西は、言葉を失った。


「店を、閉めるんですか」


「年内には」


「小野寺電器を?」


「ええ」


 小野寺は頷いた。


「商売としては、もう前から厳しかったです。乾電池や蛍光灯だけでは続きません。エアコンも冷蔵庫も、皆さんこちらで買う。安いし、品物も多い。それは悪いことじゃありません」


 安西は、前に佐野へ、在庫も工事の手配もできると伝えたことを思い出した。


「でも、急に閉めなくても」


「急ではないんです」


 小野寺は、穏やかに言った。


「お客さんの方が、先に分かっていましたよ」



 六月下旬の金曜日、安西は休憩時間に緑町商店街を歩いた。


 小野寺電器は、古いアーケードの中ほどにある。隣は花屋、その向こうはシャッターが下りたままの履物店。店先には、電球、電池、換気扇のフィルター、古いラジオのようなものが並んでいた。


 ガラス戸には、まだ閉店の貼り紙はなかった。


 中では、小野寺が脚立を畳んでいた。奥の棚には、白い伝票ファイルが何冊も立っている。


「こんにちは」


 安西が声をかけると、小野寺は少し驚いた顔をした。


「何かありましたか」


「いえ。近くまで来たので」


 近くまで来た、というほど近くでもなかった。

 安西は、自分でも言い訳の弱さを感じた。


 店の中は、ホクトデンキとはまるで違った。

 明るいポップも、メーカーごとの大型展示もない。値札は手書きで、棚の隅に古いリモコンがいくつも置かれている。新製品を売る店というより、町の中で何かが壊れたときに開ける引き出しのようだった。


「お父さん、これ、処分でいい?」


 奥から女性の声がした。

 出てきたのは、小野寺より少し背の高い女性だった。髪を後ろでまとめ、軍手をはめている。


「娘の美和です」


 小野寺が紹介した。


「ホクトデンキの安西です」


「ああ。いつも父がお世話になっています」


 美和は丁寧に頭を下げたが、その声には少し疲れがあった。


「閉店準備、されているんですか」


 安西が聞くと、美和は父の顔を見てから答えた。


「少しずつです。父は、まだ全部のお客様に言えていないんですけど」


「言うと、直しに行かなきゃならなくなるからな」


 小野寺が、冗談のように言った。


 美和は笑わなかった。


「本当に、そうなんです。閉めるって言うと、じゃあ最後に換気扇を見て、テレビの配線を見て、エアコンの調子を見て、ってなるんです。父は断れないので」


「美和」


「だって、そうでしょう」


 美和は棚の伝票ファイルを一冊抜いた。


「この人たち、みんな父に電話してくるんです。量販店で買ったものでも。説明書をなくしたとか、リモコンが反応しないとか、ブレーカーが落ちるとか」


 安西は、何も言えなかった。


 美和の声に、町の電気屋を誇る響きはなかった。むしろ、心配と疲れの方が強い。父の仕事が誰かの暮らしに必要だと分かっているからこそ、もう続けさせたくない。そんな声だった。


 そのとき、店の電話が鳴った。


 小野寺が受話器を取る。


「はい、小野寺電器です。……萩原さん。ええ、奥のエアコンですか。まだ動いてます? ……冷えが弱い。分かりました。明日の閉店後でよければ見ます。買い替えになるなら、品物はホクトデンキさんで見た方が早いです。いえ、本は閉めてからで大丈夫です」


 安西は、受話器を置く小野寺を見ていた。


「お客様ですか」


「なずな書房さんです。奥の棚のところのエアコンが古いんです」


「買い替えなら、うちでも」


 そこまで言って、安西は口を止めた。


 うちで買えますよ。


 いつもの言葉が、出かけて止まった。


 小野寺は、その沈黙に気づいたのか、気づかなかったのか、伝票ファイルを棚に戻した。


「買うのは、そちらでいいんです」


 小野寺は言った。


「ただ、あの店は閉店後じゃないと脚立を立てられない。昼間はお客さんが通るので」


 安西は、小さく頷いた。


 商品は、店で売れる。

 けれど、脚立を立てる時間までは、売場の画面には出てこない。


 商店街の外では、ホクトデンキの大きな看板が夕方の光を受けていた。

 安西はその看板を見ながら、店へ戻った。


 その日のエアコン販売数は、目標を超えていた。

 売場は、問題なく回っていた。

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