第97話「うちで買えますよ」
六月最初の土曜日、ホクトデンキ緑町店のエアコン売場には、開店直後から人が流れ込んでいた。
入口に近い特設コーナーには、メーカーごとの旗が並んでいる。省エネ性能、フィルター自動掃除、スマホ連携、内部クリーン。白い本体の下に、赤い値札と黄色い値札が重なっていた。
「リビング用なら、こちらの八畳タイプが今週の重点商品です。標準工事込みで、この価格になります」
販売員の声が、あちこちから聞こえる。
ホクトデンキ緑町店の副店長、安西真帆は、売場の端でタブレットを確認していた。午前十時半の時点で、エアコンは二台成約。朝礼で置いた午前の目安には、もう届いていた。
緑町店が開店して、二年になる。
駐車場は広い。駅からも近い。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン。大型家電は、周辺の町からも客が来る。
安西は、数字を見るのが好きだった。
数字は、感覚より正直だ。どの商品が動いているか。どの説明で客が迷うか。どの価格帯なら決まりやすいか。売場に立っていると、人の暮らしはばらばらに見える。だが、数字にすると流れが見える。
「副店長、三番テーブルお願いします」
若い販売員の亀田が、少し困った顔で手を上げた。
安西はタブレットを閉じ、三番テーブルへ向かった。
丸テーブルには、七十代くらいの女性が座っていた。膝の上に布の買い物袋を置き、壁面に並ぶエアコンの展示機を見上げている。
「お待たせしました。安西と申します」
「すみませんね。見ても、よく分からなくて」
「大丈夫です。お部屋の広さから一緒に見ていきましょう」
女性は佐野節子と名乗った。
一階の六畳間のエアコンが、去年の夏から時々止まるという。寝室ではないが、日中はそこで過ごすことが多い。年齢を考えると、真夏に止まってからでは遅い。
「小野寺さんのところで、見てもらってからにしようかと思ってたんですけど」
佐野が、少し遠慮がちに言った。
「小野寺さん?」
「商店街の電気屋さん。前のエアコンも、あそこで買ったから」
「ああ、小野寺電器さんですね」
安西はすぐに分かった。
緑町商店街にある、小さな電気店だ。ホクトデンキが開店する前から、この地域にある。看板は古く、店頭には乾電池、蛍光灯、延長コードが並んでいる。
「修理できるか、見てもらうおつもりでしたか」
「ええ。でも、もう十五年くらい使ってるから。買い替えた方がいいのかしらと思って、今日は値段だけ見に来たの」
「十五年でしたら、修理より買い替えを勧められるかもしれませんね。六畳用なら、価格の目安はすぐにお出しできます」
安西は、六畳用の二機種を佐野に見せた。佐野が気にしたのは、自動掃除機能より、操作が分かりやすいことだった。
安西は本体価格と標準工事費を入れ、佐野の前に見積もり画面を出した。
「小野寺さんに見てもらわないで、ここで買い替えを決めてもいいのかしら」
「もちろんです。うちで買えますよ。六畳用なら在庫がありますし、設置工事もこちらで手配できます」
自分でも、自然な言い方だったと思う。
客を奪うつもりで言ったわけではない。佐野が困っている。緑町店には在庫がある。設置の手配もできる。延長保証も、メーカー修理の窓口も一本化できる。
便利な方を案内するのは、店員として当然だった。
「家を見てもらってないけど、大丈夫?」
「設置の状況は、ここで分かる範囲を伺います。追加の工事が必要なら、当日、工事担当が現地を確認して、作業の前にご説明します」
「小野寺さんに悪いかしら」
「別のお店で買い替える方もいらっしゃいます。小野寺電器さんにも、うちの設置工事で協力していただいていますから、気にされなくて大丈夫ですよ」
「そうなの」
佐野はしばらく迷ったあと、頷いた。
「じゃあ、お願いしようかしら。暑くなってからじゃ困るし」
「ありがとうございます」
安西は、注文入力に進んだ。
住所、電話番号、設置希望日、現在のエアコンの年式。佐野は一つ一つ答えた。
続いて、安西は工事確認の画面を開いた。
「今のエアコンと同じ場所への交換ですね」
「ええ。同じところにつけてもらえれば」
「室外機は、どちらに置かれていますか」
「庭の端です。昔、小野寺さんがそこがいいって」
「室内機と同じ一階で、地面に置いてあるんですね」
「ええ。昔は息子の部屋だったんですけど、今は私が昼間にいる部屋で」
安西は画面に沿って、「既設機と同じ位置」「配管穴あり」「室内機と室外機は同じ階」「室外機は庭側に平地置き」と入力した。
表示された項目だけなら、標準工事の範囲だった。
工事希望日は、翌週の水曜日午前に空きがあった。佐野はその日なら家にいると言った。
「では、工事日の前日に確認のお電話が入ります」
「はい。お願いします」
佐野は礼を言って、売場を出ていった。
亀田が、隣で小さく息を吐いた。
「助かりました。小野寺さんに見てもらうつもりだと言われて、こちらで勧めていいのか迷いました」
「お客様が値段を見に来たなら、うちでできることを説明すればいいの。小野寺さんを悪く言う必要もないし、遠慮する必要もない」
「でも、商店街の方って、まだ小さい店に頼むんですね」
「昔からの付き合いがあるんでしょう」
安西はタブレットに戻った。
佐野の注文が成約数に加わる。午前だけで四台。タブレットの達成率が、また少し上がった。
昼過ぎ、バックヤードの工事受付端末に、佐野の案件が割り振られた。
担当工事店の欄には「小野寺電器」と表示されていた。
安西は、少しだけ手を止めた。
「小野寺さんが行くんだ」
声に出すと、隣の事務スタッフが顔を上げた。
「佐野様ですか。あの辺りは小野寺さんが早いです。場所も分かっているみたいなので」
「そう」
安西は画面を閉じた。
客はホクトデンキで買い、設置は小野寺電器が行く。そういうことは珍しくない。量販店の工事は、全部を自社の社員がやるわけではない。地域の協力工事店に依頼する。
仕組みとしては知っていた。
ただ、佐野が言っていた「小野寺さんのところで見てもらってから」という言葉と、端末に出た「小野寺電器」の文字が、少し妙な形で重なった。
夕方、修理受付カウンターの方で声がした。
「安西さん、工事店さん来てます」
安西が向かうと、作業服姿の男性が報告書を持って立っていた。
小柄だが、背中はまっすぐだった。白髪混じりの短い髪。胸元の名札には「小野寺電器 小野寺誠一」とある。
「お世話になっております。ホクトデンキ緑町店の安西です」
「小野寺です」
小野寺は、短く頭を下げた。
手には、別件の完了報告書が数枚あった。
「佐野様の件、来週水曜で入っています」
安西が言うと、小野寺はすぐに頷いた。
「佐野さんの家なら、先に見ておいた方がいいです」
「一階六畳と伺っています。室外機も庭側で」
「庭側ですけど、前の配管穴は低いんです。今の機種だと少し取り回しが悪い。あと、あそこは縁側の下を通すので、雨のあとだと作業しにくい」
安西は、工事確認の画面を思い出した。
既設機と同じ位置。配管穴あり。室内機と室外機は同じ階。室外機は庭側に平地置き。
項目はすべて埋めた。それでも、配管穴の高さも、縁側の下を通ることも出てこなかった。
「追加工事になりそうですか」
「大きくはならないと思います。でも、標準だけだと思って行くと、当日説明が長くなります。佐野さん、そういうのをその場で決めるのが苦手なので」
「苦手」
「一回、見積もりの紙を持って帰って、ご家族に電話したがる方です」
小野寺の言い方は淡々としていた。
個人情報を余計に話している感じではない。客の生活を、仕事上必要な範囲で覚えている。そんな口調だった。
「では、工事前に一度、下見を入れますか」
「入れられるなら、その方がいいです。月曜の夕方、配達の帰りなら寄れます」
「月曜なら、佐野様にも先に見積もりをお渡しできますね」
「水曜の当日に止まるよりは、先に見た方がいいでしょう」
安西は、工事受付端末を開いた。
事前下見は通常有料だが、今回は工事店から追加工事の可能性が申告されている。当日の再訪問を避けるため、店側負担の事前確認として処理することにした。お客様に新たな費用はかからない。
「分かりました。店側の事前確認として登録します。佐野様には、こちらから月曜のご都合を確認します」
「お願いします」
小野寺は報告書を渡し、帰ろうとした。
安西は、その背中に声をかけた。
「あの、佐野様は、小野寺さんに見てもらってから決めるおつもりだったそうです」
小野寺は振り返った。
「そうですか」
「こちらで買い替えたことを、小野寺さんに悪いんじゃないかと気にされていました」
小野寺は、少しだけ目を細めた。
「気にしなくていいんです。同じものなら、安く買える方で買えばいい」
安西は、返事に迷った。
小野寺の声には、常連客を取られたという響きも、勝ち負けの色もなかった。
「ただ」
小野寺は続けた。
「買えることと、付くことは違いますよ」
修理受付の奥で、プリンターが小さく鳴った。
安西は、その音を聞きながら、小野寺の言葉を頭の中で繰り返した。
買えること。
付くこと。
売場に戻ると、亀田が次の客に説明していた。
「こちら、在庫ございます。設置も最短で来週です」
客は安心したように頷いている。
安西は、壁面に並ぶ白いエアコンを見上げた。
商品はある。価格も出ている。保証もつけられる。設置日も、画面上には空きがある。
だから、買える。
安西はそう思い、タブレットの販売実績を更新した。
今日の数字は、順調に伸びていた。




