表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
第19章『本文は作れるんじゃないですか』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/111

第82話「本文は作れるんじゃないですか」

 管理画面の数字は、きれいだった。


 無料公開から三日。『月曜日の魔法郵便 雨見坂の青い手紙』の読了率は七十八パーセントで止まっている。掌編とはいえ、最後まで読まれた数字としては悪くない。


 平均滞在時間は四分二十六秒。

 離脱が多いのは本文ではなく、最後に置いた文庫フェアの告知部分だった。


 つまり読者は、読んでから離れている。

 宣伝としては十分だった。


 コメント欄にも、荒れた言葉はなかった。


「月曜の朝に読みたい」


「短いのに、ちゃんと泣きそうになった」


「雑貨店の空気が好き」


「これ、続きありますか?」


 俺は四つ目のコメントで、指を止めた。


 続き。


 短編フェア用の無料掌編に、読者が続きという言葉を置いている。それは編集者として、かなり強い反応だった。


 書店員向けの社内フォームにも二件だけ反応が入っていた。

 駅前店の担当者は、フェア台の横に置くQRカードに向いていると書いた。郊外店の担当者は、紙の本を買う前に雰囲気が分かるのがいい、と短く送ってきた。


 どちらも、売上を約束する言葉ではない。

 でも編集部の机では、そういう小さな反応が次の企画を通す燃料になる。


 俺はコメントを報告用メモに貼りつけた。

 貼りつけたあとで、少しだけ手が止まる。


 この短編は、最初から最後まで作家が書いたものではない。


 プロットは俺が作った。

 雨見坂という町名も、郵便局跡の雑貨店も、月曜だけ届く青い手紙も、最初の企画書には俺が書いた。


 その企画書を、閉域環境のアカネ・ドラフトへ入れた。

 外部学習に使われない契約。固有名詞リストと禁止事項を添付。生成物は編集部で責任確認。


 社内規定の確認欄には、間宮編集長の電子印がある。

 法務の承認印もある。


 それでも、画面に出てきた本文案を初めて読んだとき、俺は椅子の背に体を預けた。


 読める。


 主人公の日向こよりが、月曜の朝に差出人不明の手紙を見つける。

 宛名は、十年前に仲違いした友人。こよりは届けるか捨てるかで迷い、最後は坂の上の古いアパートへ向かう。


 文章は平らだった。

 でも、平らなまま読めた。


 原稿用紙に換算すれば十二枚程度。

 この長さなら、人物の迷いは一つでいい。手紙も一通でいい。こよりが何を怖がっているかを全部説明しなくても、最後まで走れる。


 俺が直したのは、台詞の温度と町の匂いだった。


 雨見坂のパン屋から出るバターの匂い。

 雑貨店のレジ下に置いた古いゴム印。

 青い封筒を持ったときの、少しざらついた紙の感触。


 坂を上るこよりの息を、一箇所だけ乱した。

 友人の部屋番号を押す前に、指先を一度引っ込めさせた。


 あとは、こよりが最後に言う台詞を変えた。


 アカネの案は「遅くなってごめんね」だった。

 悪くない。悪くないが、届かなかった言葉を届ける話としては、少し正面すぎた。


 俺はそれを消して、「捨てなくてよかった」にした。


 その一行で、短編は急に小説の顔をした。



 昼休み前、笠井が俺の席へ来た。


 片手にコンビニの袋を下げ、もう片方の手でスマホを持っている。


「宮田さん、これ本当にAI原案なんですか」


 画面には、リュミエール文庫の公式アカウントが表示されていた。短編公開の告知に、普段より多い反応がついている。


「原案はな」


「普通に読めました」


「普通に読めるように直した」


「でも、ゼロから書いてもらうより早いですよね」


 笠井の言い方に悪気はなかった。

 若手編集者として、締切に追われる気持ちも分かる。フェアのたびに番外編を作家へ頼み、断られ、無理を言い、原稿を待つ作業は軽くない。


 俺は赤字入りのPDFを開いた。

 画面の余白には、俺のコメントが二十七個並んでいる。


 ここは説明しすぎ。

 こよりの視線を封筒へ戻す。

 友人の名前は最後まで出さない。

 坂の途中で立ち止まる理由を入れる。


「早いけど、何もしなくていいわけじゃない」


「そこは分かります」


 笠井はそう言いながら、コメント欄をのぞき込んだ。


「でも、これだけ直してこの反応なら、使いどころはありますよね」


 俺は答えなかった。


 使いどころはある。

 それが、この話の面倒なところだった。


 使いどころがまったくないなら、会議は簡単だ。

 駄目でした、で終わる。


 でもこれは、読めた。

 読者も読んだ。書店員も反応した。販促担当からも、フェア台のQRカードに流用できないかと問い合わせが来ている。


 俺の机の端には、短編の印刷ゲラが置かれている。

 赤字の量は多い。

 それでも、真っ白な紙から十二枚を立ち上げるよりは、確かに早かった。



 会議室のテーブルには、紙の資料が六部並んでいた。


 黒須取締役は、いつも紙を読む。画面より紙。数字に赤丸をつけるとき、ペン先で軽く二度叩く癖がある。


「読了率、七十八パーセント」


 黒須は赤丸をつけた。


「制作期間、実働四日。外部作家への原稿料なし。編集工数は宮田さんの十一時間半」


「十一時間半は、安くありません」


 間宮編集長がすぐに言った。

 声は静かだが、資料の端を押さえる指に力が入っている。


「今回は無料公開の短編です。読者の期待値も、文庫一冊分とは違います」


「分かっています」


 黒須は顔を上げた。


「前回の校閲事故で、私は校閲を軽く見てはいけないと学びました。そこを削る話はしていません」


 会議室の空調が、紙の端をかすかに持ち上げた。

 俺は手元のボールペンを回すのをやめる。


「ただ、校閲を削らないなら、別の工程で費用を抑えなければならない。作家の新作依頼も、刊行点数の維持も、今のままでは厳しい」


 黒須の言い方は、乱暴ではなかった。

 だから余計に、反論が会議室の中で乾く。


 間違った人間が大声で押し切るのなら、止めやすい。

 正しい数字を持った人間が、半分だけ正しいことを言うと、資料の上で言葉が滑る。


 黒須は二枚目の費用比較表を出した。


 作家へ短編を依頼する場合。

 企画相談、依頼、契約、初稿待ち、戻し、再稿、校閲、公開準備。


 アカネ原案を使う場合。

 企画入力、出力確認、編集修正、校閲、公開準備。


 項目の数だけなら、後者の方が少ない。

 そして表に書かれた金額も、後者の方が軽い。


「短編は、企画原案として使えました」


 俺は口を開いた。


「ただ、あれは俺がかなり触っています。人物の台詞、結末、固有名詞、町の描写。アカネの本文をそのまま載せたわけではありません」


「その編集工数込みで、十一時間半でしょう」


 黒須は資料を指で叩いた。


「通常の短編なら、依頼、契約、初稿待ち、戻し、再稿。もっとかかる」


 その通りだった。

 通りだから、俺は次の言葉を探すのに少し遅れた。


 間宮編集長が代わりに言った。


「素材として使えることと、本文制作を任せられることは違います」


「任せる、ではありません」


 黒須はペンを置いた。


「編集部が責任を持って使う。なら、本文も作れるんじゃないですか」


 会議室の端で、複合機が一枚だけ紙を吐き出した。

 誰かが印刷を取りに来ないまま、白い紙は排出口に引っかかっている。


 俺は、その白い紙を見ていた。


 本文。


 その言葉は、企画書より重い。

 でも数字の表の中では、ただの工程名に見えた。



 夕方、俺の机に中編企画のフォルダが置かれた。


 表紙には、間宮編集長の字で「テスト範囲」と書かれている。

 赤いボールペンの字だった。


「電子限定。三万字以内。紙の文庫にはしない。著者名義は霧谷灯」


 間宮編集長は、俺の机の横に立ったまま言った。


「霧谷灯は編集部管理の企画名義です。外部ライターを入れるなら、補筆範囲と権利処理を契約書に残す。アカネの生成物は閉域環境内。ここは絶対に崩さない」


「分かっています」


「それから、宮田さん」


 編集長はフォルダの上に手を置いた。


「短編が読めたのは、あなたが直したからです。そこを忘れないでください」


 俺はうなずいた。


 フォルダを開くと、一枚目に『月曜日の魔法郵便 迷子の消印』とあった。


 青い消印。

 月曜だけ届く手紙。

 坂の町。


 短編の時と同じ匂いが、紙から立ち上がった気がした。


 いけるかもしれない。


 そう思ったのは、たぶん俺がいちばん早かった。

 だから後で振り返ったとき、俺は黒須取締役だけを責められなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ