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"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
『パートさんには任せられないから』

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第52話「関口さんの惣菜コーナー」

 裏口の鍵を回す。午前六時。まだ暗い。

 マルミツストア高台店のバックヤードに入って、蛍光灯のスイッチを押す。白い光がパッと広がって、コンクリートの床が照らされる。業務用の冷蔵庫が低く唸っている。昨日と同じ音。

 ロッカーでエプロンを結ぶ。ポケットにメモ帳とボールペンを入れる。九年間、同じ場所に同じものを入れている。


 関口美代子、四十八歳。マルミツストア高台店の惣菜部門パートリーダー。時給一,一五〇円。


 冷蔵庫を開けて、昨日の仕込みを確認する。鶏ムネ肉が十二キロ。豚バラが五キロ。ごぼうとにんじんが下処理済みで容器に入っている。

 今日は木曜日。天気予報は晴れ。最高気温三十二度。

 関口はメモ帳を開いた。八月の木曜日。唐揚げは通常の一・五倍出る。暑い日はさっぱり系のサラダも動く。弁当は五百八十円の幕の内より、三百九十八円の日替わりのほうが出る。

 発注端末を起動して、明日の仕込み量を入力する。鶏モモ肉十五キロ、ムネ肉八キロ。ポテトサラダ用のじゃがいも五キロ。パック容器の在庫が少ない——百二十個の追加発注を入れる。


 六時半。山岸さんが来た。


「おはようございます。暑いわねえ、もう」


「おはようございます。今日は唐揚げ多めにしますんで、油の準備お願いしていいですか」


「はいはい」


 山岸智子、五十五歳。勤続七年。調理担当。関口の次に長い。味付けは任せられる。ただ、発注量をどう決めるかは知らない。「関口さんがいつも入力してるから」と言う。

 七時に小林さんが来た。四十二歳。盛り付けとパック詰め。


「関口さん、明日のシフトなんですけど、息子の部活の試合で午前中だけにしてもらえますか」


「うん、大丈夫。明日は野口さんが朝から入れるから、午後は野口さんに盛り付けお願いする」


「ありがとうございます。いつもすみません」


 小林さんは申し訳なさそうに頭を下げた。シフトの調整は、本来なら正社員チーフの仕事だ。半年前にチーフの松島さんが退職してから、関口がやっている。本社からは「次の人が決まるまでお願いね」と言われた。半年経った。まだ決まっていない。

 関口は不満を言わない。「パートだから、こういうのは一時的なもの」と思っている。



 八時。野口さんが出勤して、四人が揃った。

 フライヤーの油を温める。百八十度。温度計の針が上がるのを待つ間に、関口は鶏肉の下味を確認した。マニュアルには「醤油・酒・生姜」と書いてあるが、関口は夏場だけ少しにんにくを足す。暑い日は濃い味のほうが売れる。マニュアルには書いていない。九年間で覚えたことだ。

 九時。開店。

 惣菜コーナーの照明がつく。ガラスケースの中に、朝一番のサラダとポテトコロッケが並ぶ。パック詰めは小林さんがやる。値札シールを貼るのは野口さん。関口はフライヤーの前に立つ。

 十時。携帯が鳴った。


「あ、関口さん? 佐藤です。明日ね、ムネ肉がいいの入ったんだけど、キロ単価が二十円安いの。どうする?」


「じゃあ、十五キロに増やしてもらえますか。明日金曜なんで、唐揚げ多めに出るから」


「了解。朝七時に届けるね」


 電話を切る。鶏肉業者の佐藤さんとは五年の付き合いだ。佐藤さんの電話番号は関口の個人携帯に入っている。店の代表番号にかけても、ピーク時は誰も出られない。だから佐藤さんはまず関口の携帯にかけてくる。急ぎの話は、そのほうが早い。



 十一時半。ピーク。

 レジに列ができる。惣菜コーナーの前に人が集まる。唐揚げパック、コロッケ、幕の内弁当、日替わり弁当。

 関口はフライヤーと盛り付け台の間を行き来しながら、棚の減りを見る。唐揚げが半分になった。追加を揚げる。コロッケはまだある。サラダが少ない——小林さんに声をかける。


「ポテサラ追加お願い。あと三十パックくらい」


「はーい」


 十二時。制服の高校生が来た。毎日来る男の子。


「唐揚げ弁当ください」


「はい。いつものね」


 男の子は五百円玉を出した。唐揚げ弁当は四百九十八円。お釣りは二円。関口は渡しながら「いってらっしゃい」と言った。

 この子は隣の高校の部活帰りに毎日来る。名前は知らない。でも「唐揚げ弁当の子」として覚えている。毎日来てくれる子がいると、明日も同じ数を仕込もうと思える。


 十二時半。七十代のおじいさんが来た。杖をついている。


「五百八十円の幕の内ください」


「はい。今日はかぼちゃの煮物が入ってますよ」


「ああ、いいねえ。かぼちゃ好きなんだ」


 毎日来る。月曜から金曜まで。一人暮らしだと言っていた。この人のために、幕の内弁当は毎日五個は残すようにしている。十四時を過ぎても売れ残ったら値引きシールを貼るが、この人が来る十二時半には必ずある。



 十三時半。ピークが過ぎた。

 関口はバックヤードに戻って、今日の売上をメモ帳に書き込む。唐揚げ五十二パック。コロッケ三十一。弁当は幕の内が十八、日替わりが二十四。サラダ四十七パック。

 廃棄になりそうなのは、コロッケが四パックと、春巻きが三パック。夕方の値引きで売り切れるかどうか。


(明日は金曜か。唐揚げは三倍仕込む。コロッケは少し減らす)


 メモ帳に走り書きする。「金唐3倍」。自分にしか分からない略語。九年分のメモ帳は、もう三冊目になっている。最初の二冊はエプロンのポケットに入らなくなって、バックヤードの棚に置いてある。


 十四時。午後の仕込みを始める。夕方のピーク——十六時から十八時——に向けて、揚げ物を追加する。

 山岸さんが煮物を作っている。味見をする。


「山岸さん、今日の肉じゃが、ちょっと甘いかも。醤油もう少し足していいですか」


「あら、そう? いつも通りに作ったんだけど」


「じゃがいもが新しいぶん、甘みが出てるのかも。ほんの少しだけ」


 関口が醤油を足す。味が締まる。マニュアルには「醤油大さじ三」と書いてある。関口は大さじ三と三分の一入れた。この差を説明しろと言われても、たぶんうまく言えない。舌が覚えているとしか。



 十七時半。閉店三十分前。

 値引きシールを貼る。コロッケ四パック、春巻き三パック、煮物二パック。三割引。

 十八時の閉店までに、コロッケは二パック売れた。残り二パック。廃棄。今日の廃棄率は三・五パーセント。先月の平均は四・八パーセント。悪くない。


 閉店後。フライヤーの油を濾して、調理台を拭いて、床をモップがけする。野口さんが黙々と洗い場を片付けている。


「お疲れさまでした」


「うん。お疲れさま」


 野口さんは六十歳。寡黙な人だ。関口のことを「ミヨちゃん」と呼ぶ。九年間のうち三年間の付き合いだが、この呼び方をするのは野口さんだけだ。


 十八時半。ロッカーでエプロンを外す。メモ帳をポケットから出して、明日の発注確認をもう一度見る。佐藤さんのムネ肉十五キロ。OK。浜田商店の野菜は木曜定休だから今日の注文が明後日届く。サラダ用のきゅうりが足りない。帰りにLINEで浜田さんに追加を頼む。

 エプロンをロッカーに入れる。メモ帳はエプロンに戻さず、鞄に入れた。家で明日のシフト表を確認するためだ。パートの勤務時間外にシフトを考えている。時給は発生しない。



 帰宅。十九時。

 玄関の靴が二足。正男が先に帰っている。珍しい。火曜と木曜は残業の日だ。

 台所に入ると、正男がテーブルに座っていた。ビールの缶が置いてある。まだ開けていない。


「ただいま。今日早いね」


「……うん。ちょっと話がある」


 関口はエプロンを外して、冷蔵庫から麦茶を出した。グラスに注いで、正男の向かいに座った。


「大阪の話、正式に決まった。十月から」


 関口はグラスを持ったまま、二秒ほど黙った。

 大阪。転勤の話は春からあった。でも「まだ分からない」と聞いていた。


「……十月」


「うん。彩花はもう東京で一人暮らしだし、俺とお前の二人だから。向こうでアパート探さないと」


 関口は麦茶を一口飲んだ。

 十月。あと二ヶ月。パートだから、一ヶ月前に言えばいい。引き継ぎも——パートだから、特にないだろう。次の人がすぐ覚える。マニュアルもあるし。


(九年か)


 九年。長かった。でも、パートだ。どこに行っても、また惣菜の仕事は見つかる。


「分かった。店長に言わなきゃね」


 正男は少しほっとした顔をした。

 関口はグラスを置いて、鞄からメモ帳を出した。明日のシフト表。小林さんの午前シフト。野口さんの午後カバー。佐藤さんのムネ肉十五キロ。

 明日のことを考えている。二ヶ月後のことは、まだ考えられない。


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