第4話「発注受けるだけの仕事」
「来期から、このポジションはなくなります」
——課長はそう言いながら、新しいシステムのパンフレットをテーブルに置いた。
表紙には「AI搭載クラウド受注管理システム」と書いてあった。
その下に、小さく「業務効率化で人件費を最大40%削減」。
「本社の方針でね。全拠点に導入することが決まった」
課長はパンフレットの角を指先でとんとんと叩いた。
「受注処理はシステムが自動でやる。発注受けるだけの仕事でしょ。システムがあれば誰でもできる」
発注受けるだけ。
その言葉が、耳の奥に引っかかった。
*
私の朝は、受注メールの確認から始まる。
七時五十分に出社して、パソコンを立ち上げる。夜のうちに届いたメールを開く。五十社の得意先から、毎朝二十件前後の発注が入る。
型番、数量、納期。それだけ見ればいい——と思うだろう。
違う。
たとえば、A社の田中さんは型番の末尾を一桁間違えることが多い。旧型番で発注してくるのだ。そのまま通せば違う商品が届く。だから毎回、確認の電話を入れる。田中さん本人は間違えている自覚がない。指摘すると恐縮されるので、「念のため確認ですが」と切り出すのがコツだ。
B社は月末締めだが、二十五日を過ぎると予算の都合で発注を翌月に回したがる。でも在庫が切れると困るから「今月中にお願いできますか」と、少し申し訳なさそうに連絡してくる。そういうときは在庫を事前に確保しておく。
言われる前に確保しておくのだ。二十日あたりから倉庫に声をかけて、B社がよく頼む品番を取り置いてもらう。
C社の担当者は午前中しか電話に出ない。午後は現場に出てしまう。だから急ぎの確認は必ず午前中に済ませる。
D社は必ず見積書が先。口頭で了承をもらっていても、見積書が届くまで発注書を出してこない。E社は逆で、見積書より先に発注書が来る。金額の確認は後回しでいいから、とにかく納期を押さえてほしいタイプ。
五十社。それぞれに暗黙のルールがある。
「いつもの」で通じる関係を、一社ずつ、何年もかけて作ってきた。
電話が鳴る。
「あ、山下さん? いつものお願い」
「はい、前回と同じ内容で。納期は来週木曜で大丈夫ですか?」
「うん、それでいい。助かるよ」
型番を言わなくても分かる。前回の発注履歴が頭に入っているからだ。
この「助かるよ」を聞くたびに、少しだけ背筋が伸びた。
*
営業の見積もりミスは、私が直してきた。
営業が得意先に出す見積書。単価の転記ミス、数量の桁違い、適用する割引率の間違い。月に三件か四件は見つかる。
そのまま出せば会社の信用に関わるから、営業に戻す前にこっそり確認して、赤を入れて、差し替える。
営業はたぶん気づいていない。
見積書が自動的に正しくなっていると思っている。
課長も知らないだろう。
「発注受けるだけの仕事」をしている人間が、営業の尻を拭いていることを。
*
パンフレットを持ち帰って、自分のデスクで読んだ。
受注メールの自動取り込み。在庫データとの自動照合。納期の自動回答。
画面の図を見た。矢印が右に流れていくだけの、きれいなフロー図。
(この矢印と矢印の間に、私がいたんだけどな)
田中さんの型番ミスを、システムは直してくれるだろうか。
B社の「申し訳ないんですけど」に、システムは「大丈夫ですよ、確保しておきますね」と返せるだろうか。
午前中しか電話に出ないC社の担当者に、システムはいつ連絡するのだろう。
パンフレットを閉じた。
引き出しにしまった。
午後、いつものように電話が鳴った。
「山下さん、急ぎで悪いんだけど、明日届けてもらえる?」
「確認しますね。——はい、在庫ありました。明日の午前着で手配します」
「ほんと助かる。いつもごめんね」
電話を切って、出荷伝票を作った。
倉庫に連絡して、配送便の手配をした。
システムのフロー図に、この作業は載っていなかった。「イレギュラー対応」という矢印は、どこにもなかった。
翌日、退職届を書いた。
便箋ではなく、会社の規定様式を使った。事務的なことだけは、手慣れている。
*
引き継ぎ資料の作成に一週間かけた。
得意先リスト五十社。各社の発注パターン、締め日、担当者名、連絡がつきやすい時間帯、過去のトラブル履歴、注意事項。
A4で四十ページを超えた。
書きながら、自分でも驚いた。こんなに多かったのか、と。
毎日やっていると気づかない。一つ一つは小さなことだ。型番の確認、在庫の事前確保、見積もりの赤入れ、納期の微調整。でも積み上げると、四十ページになる。
四十ページ分の「発注受けるだけの仕事」。
課長に提出したとき、厚さを見て少し驚いた顔をしていた。
でも何も言わなかった。「ご苦労さん」だけだった。
*
最終日は十一月の最終金曜日だった。
朝、いつも通りに受注メールを処理した。
在庫を確認して、納期を回答して、急ぎの案件は倉庫に直接連絡した。
得意先に個別の挨拶をしたかった。
五十社、一社ずつ電話して、今までありがとうございましたと言いたかった。
でも、課長に止められた。
「混乱するから、後任が決まってから一括で連絡する」
後任はまだ決まっていなかった。
システムが代わりをするのだから、後任は必要ないということらしい。
昼休み、自分のデスクを片付けた。
引き出しの中に、得意先からもらった年賀状が何枚か残っていた。手書きで「いつもありがとうございます」と添えてあるものもあった。それだけ鞄に入れた。
定時になった。
パソコンの電源を落として、社員証をデスクに置いた。
「お世話になりました」
フロアに向かって頭を下げた。
数人が顔を上げて、軽く手を振った。
ビルを出た。
十一月の風が、コートの隙間から入ってきた。
五十社の得意先は、来週の月曜日に私がいないことを知らない。
「いつもの」と電話をかけてくる人が、知らない声に戸惑う朝が来る。
それを想像したとき、少しだけ胸が痛んだ。
得意先に対してであって、会社に対してではない。
駅に向かって歩いた。
振り返らなかった。
月曜の朝、誰かが受話器を取る。
そのとき初めて分かるだろう——「いつもの」が、どれだけの重さだったか。




