表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
『AIで自動化できるでしょ』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/22

第21話「弟子」

 朝六時。三島鉄工所の裏口を開けて、沢田は中に入った。


 赤羽精工では鉄のシャッターを下から六十センチ上げて身をかがめて入っていた。ここは裏口から入れる。場所は変わった。でも、時間は変えなかった。


 工場の蛍光灯を点けた。

 三島鉄工所は、赤羽精工より少し小さい。旋盤は七台。沢田が割り当てられた機械は、入口から三台目だ。中古の機械だ。三島が「これが一番調子いい」と言って割り当ててくれた。


 電源を入れた。主軸が低く唸り始める。

 試運転で十五分、機械を温める。場所が変わっても、この手順は変えなかった。冷えた機械では、ミクロンの精度は出ない。


 沢田が三島鉄工所に移ってから、半年が経った。



 六時半、三島章吾が入ってきた。

 社長が朝一番に工場に出てくる会社だった。ここは、先代からの古い町工場の、古い空気が残っていた。


「沢田さん、おはよう」


「おう」


 三島は沢田より一歳下だが、社長業は長い。工場の隅々まで目を配る。今朝も、機械の並びと、各工具箱の位置を確認して回っている。


「今日、若い三人、沢田さんに付ける」


「ああ」


「拓海、この前の難削材で相当手こずったらしい。本人、落ち込んでる」


 拓海は二十七歳の若手だ。赤羽精工の水野と同じくらいの年頃だった。


「落ち込むのはいい。諦めなきゃ、そのうち削れる」


「沢田さんにそう言われると、あいつも安心するだろう」


 三島は笑って、自分の執務に戻っていった。



 七時半、若手三人が出勤してきた。


「沢田さん、おはようございます」


 拓海が、少し硬い声で挨拶した。

 その後ろから、中堅の佐々木、一番若い真由が続く。佐々木は三十四歳、真由は二十二歳の女性職人。女性で旋盤を担当する職人は業界でも珍しい。三島が「手先の感覚がある」と見込んで入れた子だ。


「拓海、あの難削材、まだ残ってるか」


「はい、あと三本」


「俺が見る。やってみろ」


 拓海が緊張した顔で、機械の前に立った。

 沢田は、少し離れたところで腕を組んだ。佐々木と真由も、手を止めてこちらを見ていた。


 拓海の刃物の送りを、沢田は耳で聞いていた。

 キュルキュル、という音がわずかに混じった。刃先が材料に噛みすぎている。


「止めろ」


 拓海が機械を止めた。


「音を聞いてたか」


「……はい」


「キュッて鳴った。あれは刃先が食い込みすぎてる。送りを半分に落として、切込みを三分の一だ」


「三分の一ですか」


「最初はそれでいい。削れ始めたら、少しずつ上げていけ。材料に教えてもらえ」


 拓海は頷いて、機械を再起動した。

 今度は、音が違った。シャーッという滑らかな音が続いた。切粉が、短く螺旋状に落ちた。


「……できました」


 拓海の声が、少し上ずっていた。

 佐々木と真由が、拓海の手元を覗き込んでいた。



 その日の午前の終わり、真由が新聞を抱えて工場に入ってきた。

 朝の納品で銀行に行った帰りに、コンビニで経済紙を買ってきたらしい。


「沢田さん、これ……」


 真由が、経済面のページを開いて差し出した。

 沢田は作業着の手をウエスで拭いて、新聞を受け取った。


「赤羽精工、民事再生法申請」


 見出しは、それだった。

 本文は、短かった。先代からの町工場、自動化投資の失敗、主要取引先離脱、三十人の雇用の行方。そのあたりが、事務的な文字で並んでいた。


 沢田は、黙って読んだ。

 読み終えて、新聞をたたんだ。


「……沢田さんの、前の会社ですよね」


 真由が、遠慮がちに聞いた。


「そうだ」


 それだけ返して、沢田は新聞を作業台の端に置いた。

 真由は、それ以上聞かなかった。

 拓海と佐々木も、黙って自分の機械に戻っていった。


 沢田は、自分の機械の前に立った。

 削りかけの部品があった。公差プラマイ十ミクロン。いつも通りの仕事だ。

 削り始めた。


 岡田は、どうしているだろう。

 水野は、どうしているだろう。

 考えても、答えは出なかった。今、自分にできるのは、目の前の一本を削ることだけだった。



 午後、三島が難しい案件を持ってきた。


「医療機器メーカーからの特急だ。公差プラマイ五ミクロン。五本」


 図面を見た。精密シャフト。赤羽精工で東邦エアロ向けに削っていたものと、似た形状だった。


「NCで出るか」


 三島が、沢田に聞いた。


「出ない」


 沢田は即答した。


「この材質で、この形状だと、NCじゃ仕上げ面が荒れる。手で削るしかない」


「頼めるか」


「やる」


 沢田は刃物台の前に立った。

 拓海、佐々木、真由が、いつの間にか後ろに集まっていた。


 材料を固定した。センターを出す。刃物を選んだ。

 粗削り、中仕上げ、仕上げ。

 削り始めた。


 仕上げの刃物を送り込むとき、沢田は息を止めた。

 機械が鳴いた。シャーッ、という滑らかな音。四十年、ずっと聞いてきた音。場所が変わっても、いい削りの音は同じだ。


 一本目を削り終えて、精密マイクロメーターを当てた。

 十五・〇〇〇。

 ジャスト。


 佐々木が、小さく息を吐いた。真由が、「すごい……」と漏らした。


「沢田さん」


 拓海が、迷いながら声を出した。


「これ、やっぱり、NCとAIじゃ、ここまで出ないんですね」


 沢田は、二本目の材料をチャックに固定しながら、手を止めずに答えた。


「"AIで自動化できる"らしいよ。そう言われて辞めた」


 怒ってはいなかった。

 皮肉でもなかった。

 ただ、事実を言った。


 拓海が黙った。

 佐々木も真由も、何も言わなかった。

 沢田は、二本目を削り始めた。



 昼休み、沢田は一人で工場を出た。


 三島鉄工所から歩いて五分。商店街に入って、少し奥まで進んだところに、紺色ののれんがかかっている店がある。

 「よしえ食堂」。


 退職直後、一度だけ通り過ぎたことがあった。そのときは入らなかった。

 最近は、週に二、三回、ここで昼を食べている。カウンター六席、テーブル二つの小さな店。店主らしい女性が一人と、年下の女性が一人、それから時々奥で皿を洗っている静かな年配の男が見える。


 のれんをくぐった。


「いらっしゃい」


 カウンター越しに、五十代半ばの女性が笑った。沢田と同じくらいの年齢に見える。

 空いていたカウンターの端に座った。


「今日のおすすめは」


「サバ味噌だよ。身が厚いの入ってる」


「じゃ、それで」


 女性は厨房に戻って、盛り付けを始めた。

 奥で、別の女性——ホール担当らしい——が「はーい」と元気な声で返事をしていた。


 トレーが置かれた。

 サバ味噌、味噌汁、白いご飯、小鉢のひじき煮。

 沢田は手を合わせて、味噌汁を一口飲んだ。


 出汁の香りが、鼻に抜けた。

 しばらく、椀を見ていた。


「……美味いな」


 小さく呟いた。

 カウンターの向こうで、女性が少し笑った。


「ありがとうございます」


 サバに箸を入れた。身が厚い。骨の周りの脂がのっている。白いご飯と一緒に口に入れる。味噌の甘さと、サバの脂が、混ざった。


 女性が、布巾でカウンターを拭きながら言った。


「お客さん、最近よく来てくれるね」


「近くの三島さんとこに移ってな。昼はここだ」


「三島鉄工所さん」


 女性は、小さく頷いた。


「あそこ、いいとこよ。社長さん、いい人だって聞いてる」


「ああ」


 沢田は、それ以上言わなかった。

 女性も、聞かなかった。


 静かに食べた。小鉢のひじきは、しっかり味が染みていた。こういう煮物は、時間をかけた人間の仕事だ。機械では作れない。

 食べ終わって、会計を済ませた。


 店を出るとき、のれんが風に揺れた。

 振り返ると、女性がカウンターの中で、次の客の出汁を引いているのが見えた。

 朝の厨房と同じ匂いが、店の奥から流れてきていた。



 三島鉄工所への道を、沢田は歩いていた。


 工場に戻れば、拓海と佐々木と真由が待っている。三本目の精密シャフトを、今日中に仕上げなければならない。

 若い職人たちが、機械の音を聞き分けるようになるまで、まだ何年もかかる。何年かければ、身体が覚える。四十年は要らない。二十年もあれば、一人前になる。沢田がそうだったように。


 歩きながら、ふと思った。


("誰でもできる仕事"と言われて辞めた人は、みんなどうしているのだろう)


 誰のことを考えているのか、自分でも分からなかった。ただ、世の中にはそういう人が、たぶんたくさんいる。

 答えは、出なかった。


 でも、一つだけ、言えることがあった。


(——少なくとも、俺はここにいる)


 工場のシャッターが、見えてきた。

 沢田は歩くペースを、少し上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ