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"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
『AIで自動化できるでしょ』

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第19話「順調」

 四月の第一月曜日、赤羽健太郎は社長室の窓から工場を見下ろしていた。


 新しく搬入されたNC旋盤が三台、並んで稼働している。中古ではない、フルスペックの最新機種だ。総額一億二千万円の投資だった。銀行から追加融資を受けて、思い切って踏み込んだ。

 AI品質管理システムの端末も、現場の各工程に配置された。加工条件の自動最適化、寸法の自動測定、異常の早期検出。すべてリアルタイムでデスクのモニターに反映される。

 健太郎はデスクに戻って、ダッシュボードを開いた。


 稼働率、九十二パーセント。

 不良率、〇・三パーセント。

 先月比、生産性十八パーセント向上。


 数字はきれいだった。

 前月までは、沢田に依頼しなければならなかった難加工を、NC機械が黙々と処理している。属人化の解消というのは、このことだ。誰が操作しても、設定されたプログラム通りに加工が進む。ベテランの不在で工程が止まる、という事態が消えた。



 午前十時、取締役会があった。

 役員は健太郎を含めて四人。先代からの生え抜きが二人、健太郎が連れてきた外部役員が一人。


「先月の数字です」


 経理部長が、A4のレポートを配った。


「生産性は前年同月比で十八パーセント向上。人件費は十二パーセント削減。営業利益率は三・二ポイント改善しています」


 役員たちが頷いた。

 生え抜きの専務——父の代からの番頭格——が小さく言った。


「なるほど。数字は出てますな」


 その言い方が、健太郎には少し引っかかった。肯定でも否定でもない、保留のニュアンス。


「専務、何か懸念でも」


「いえ、いい数字ですよ。ただ——先代の時代は、職人の手で支えられていた部分が大きかった。その部分が、機械に置き換わったわけで。しばらく様子を見ないと、本当の評価は」


「もう三ヶ月経ちました」


「三ヶ月は、まだ短いでしょう」


 健太郎は、そこで言葉を抑えた。

 専務は六十を過ぎた男で、先代に仕えた年月が健太郎の生きてきた年月より長い。真っ向から反論すれば、現場の古参に伝わる。古参を敵に回すのは得策ではない。

 健太郎は「承知しました」とだけ返した。


 会議のあとで、外部役員——経営コンサルの経歴を持つ五十代の男——が健太郎に耳打ちした。


「社長、専務のようなタイプは必ず出てきますよ。変革には抵抗勢力がつきものです。数字で押し切ればいいんです」


 健太郎は頷いた。その通りだ、と思った。

 先代の源蔵は職人を人間扱いしすぎた。一人の職人が抜けただけで工場の精度が変わる、そんな属人化した会社を、息子の自分の代で強い会社に作り替える。それが自分のミッションだ。


 沢田が辞めて、もう三ヶ月。数字は改善している。専務の危惧は、ただの保守的な感傷だ。



 四月の下旬、新規顧客の開拓が進んだ。

 健太郎は自ら営業に同行して、医療機器の新規案件を獲得した。月産五百個、単価三万円。赤羽精工としては中規模の受注だが、取引実績を積めばさらに広がる。

 若い営業担当の井上が「社長、すごいですね」と尊敬の目で見てくる。


 「これからの赤羽精工は、自動化と機動力で勝負していく」


 健太郎は社員向けの月例報告会で、そう語った。パワーポイントの資料には、三ヶ月間の数字の推移がグラフで示されていた。右肩上がりのライン。

 拍手は、控えめだった。

 現場の職人たちの顔は、あまり変わらなかった。それでも、健太郎は気にしなかった。数字が正しさを証明している。それで十分だった。



 五月半ば、現場の副工場長・岡田から社長室に報告が上がってきた。


「新規のロット、材質の硬さが規格より少しブレてるものがあります。AIの加工条件が追いついてない感じです」


「具体的にはどれくらいブレてる?」


「硬度で五から八パーセント。仕上げ面の粗さが、いつもより荒いです」


「測定値は公差内か」


「公差内です。ただ、いつもよりギリギリで」


 健太郎はダッシュボードを確認した。

 公差内。異常検知システムは警告を出していない。


「それは許容範囲だ。AIの学習データを増やせば、次のロットからはもっと精度が出るはずだ」


「……はい」


 岡田は何か言いたそうにしていたが、結局「分かりました」と言って社長室を出ていった。

 健太郎は、岡田の背中を見ながら思った。古い職人は、機械が人間より優れていることを認めたくないのだろう。プライドの問題だ。

 数字は公差内。それが事実だ。



 六月の第一週、社長室のデスクで健太郎は東邦エアロからのメールを開いた。

 差出人は品質管理部長の小田島。件名は「ロット番号K-四〇三の抜き取り検査結果について」。


 メールを読んだ。


「弊社で受け入れ検査を行ったところ、一部製品に公差外れの疑いが認められました。御社での検査結果との照合をお願いしたく、該当ロットの検査記録をご送付ください」


 健太郎は少し眉をひそめた。

 抜き取り検査。ロット単位でランダムに選んで測定する方式だ。東邦エアロは納入された部品のうち、数パーセントを検査している。そこで疑いが出たという。


 (抜き取りだろ。再検査で問題ないはずだ)


 健太郎は品質管理課長を呼んだ。該当ロットの検査記録を確認させた。

 記録上、全品が公差内だった。AIの自動測定データと一致している。


 健太郎は小田島に返信を打った。


「弊社の検査記録では該当ロットは全品公差内です。念のため、弊社でも再測定を実施いたしますが、結論としては問題ないものと考えております」


 送信ボタンを押した。

 この件は、三日もあれば片付くだろう、と思った。



 ところが、三日後。

 東邦エアロから再度メールが来た。


「弊社側で第三者機関に再測定を依頼しました。結果、複数個において公差を超える寸法ズレが確認されました。御社の検査記録との齟齬について、詳細な調査をお願いいたします」


 第三者機関。

 健太郎は画面を見つめた。

 東邦エアロが、自社の検査だけでなく、外部の測定機関にまで出している。つまり、疑いの段階ではなく、確信に近づいているということだ。


 健太郎は品質管理課長をもう一度呼んだ。


「うちの測定、本当に間違いないんだろうな」


「AIの自動測定は、校正済みの測定器でやっています。数値はデジタルで記録されていて、人為的なミスは考えにくいです」


「じゃあ、向こうが間違ってるってことか」


「……」


 課長は答えなかった。



 週末、健太郎は自宅で電話を受けた。

 東邦エアロの役員からだった。


「赤羽社長、週明けすぐに、当社本社にお越しいただけますか。品質管理部長も同席します」


 相手の声は、いつもより低かった。


「何か、問題が?」


「対面でお話しします」


 電話が切れた。

 健太郎は受話器を握ったまま、しばらく動けなかった。


 リビングでテレビを見ていた妻が、健太郎の顔を見た。


「どうしたの」


「……東邦エアロに、呼ばれた」


 声が、少しかすれていた。

 窓の外では、梅雨入り前の雨が降り始めていた。

 健太郎は、三ヶ月間見てきた右肩上がりのグラフを、頭の中で思い返していた。

 数字はきれいだった。

 数字は。

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