第110話「求人票を作らせるわけではありません」
北央採用企画に来て、二ヶ月が過ぎた。
黒須康平の机には、赤いファイルが一冊増えていた。
表紙には、花村の字で短く書かれている。
揉めた表現。
最初にその題名を見たとき、黒須は笑いそうになった。
笑わなかったのは、中身が笑えるものではなかったからだ。
若い人がほしい。
女性向き。
体力に自信のある男性歓迎。
主婦歓迎。
明るく元気な方。
長く勤められる方。
営業メモには、そういう言葉が普通に出てくる。
クライアントが悪気なく言うこともある。営業が聞いたまま短く書くこともある。
制作側が求人票へ移す前に止めることもあれば、忙しさの中で言い換えが甘くなることもあった。
花村は、そのたびに過去原稿の横へ付箋を貼っていた。
このまま出さない。
職務内容へ直す。
理由を営業へ戻す。
判断保留。
黒須は、その赤いファイルを、確認事項を出すための注意語リストにした。
紙で試した求人票準備シートは、簡単な入力フォームに置き換えてある。
過去原稿と応募結果は、まず直近三ヶ月分を整理した。
そこから職種ごとに、応募が多かった求人と修正が多かった求人を参照用データとして加えている。
大きなシステムを作ったわけではない。
社内用の簡単なフォームに、会社名や住所、担当者名を外した参照用データと、外部送信しない生成AIの検証環境をつないだだけだ。
確定原稿として登録したり、掲載へ回したりする機能は、あえて付けなかった。
AIに任せるためではない。
人が見落としやすいところを、先に机へ出すためだった。
*
試作版の画面は、拍子抜けするほど地味だった。
求人票作成支援β。
画面の左側には、求人票準備シートをもとにした入力欄が並んでいる。
職種。
募集理由。
採用予定人数。
勤務地。
勤務時間。
給与。
必須条件。
歓迎条件。
前回求人の有無。
営業メモ。
確認が必要な表現。
未確認事項。
右側には、三つの枠がある。
類似求人。
確認事項。
文案例。
掲載ボタンはない。
送信ボタンもない。
最終原稿を作成、というボタンもない。
花村は画面を見て、まずそこを確認した。
「これ、勝手に求人票にはならないんですね」
「なりません」
黒須は答えた。
「文章案は出ます。でも、求人票の原稿欄へ貼るかどうかは人が決めます」
「AIが出した文章を、営業がそのまま貼る可能性は」
「あります」
黒須は、そこも否定しなかった。
「だから、最初は制作担当だけで使います。営業には、確認事項の欄だけ見せる」
花村は、少しだけ安心した顔をした。
「社長は、嫌がりそうですね」
「すでに嫌がっています」
高瀬が、会議室の入口から言った。
手には紙コップを持っている。
「柳社長は、求人票作成AIという名前にしたがっています」
「それはやめてください」
花村が即答した。
黒須も同じ意見だった。
「名前が仕事を誤解させます」
「分かっています」
高瀬は椅子に座り、画面をのぞき込んだ。
「ただ、社長に見せるなら、何ができるかは分かりやすくしたい。今日は、そのための社内デモです」
会議室には、黒須、高瀬、花村、営業の越智がいた。
柳は十分後に来る予定だった。
黒須は、デモ用に用意した求人票準備シートを開いた。
クライアント名は伏せてある。
実際の案件をもとにしているが、会社名、住所、担当者名は抜いた。
職種。
受付事務。
募集理由。
前任者退職。
勤務時間。
九時から十八時。
給与。
月給二十一万円から。
必須条件。
パソコン入力。
電話対応。
歓迎条件。
医療事務経験。
営業メモ。
院長は若い女性希望。明るい人。長く続く人。前回は応募が少なかった。
花村が、そこを見て眉を寄せた。
「嫌な案件を持ってきましたね」
「実際に近いものの方が、分かりやすいと思いました」
「分かりやすいですけど」
越智が、隣で気まずそうに頭をかいた。
「こういう言い方、あります」
「ありますね」
花村は短く答えた。
黒須は、入力欄の下にある実行ボタンを押した。
数秒の間があった。
右側の枠に、順に文字が表示される。
類似求人。
一年前、受付事務、前任者退職、医療事務経験歓迎。
応募数十二、面接三、採用一。
備考、勤務時間を固定で明記後、応募増。
半年前、受付事務、増員、未経験可。
応募数二十一、面接六、採用二。
備考、教育体制を上部へ移動。
確認事項。
性別を条件にする表現は求人票に使用しない。
年齢を限定する場合は、例外事由の確認が必要。
「明るい人」は、業務上必要な対応内容へ言い換え可能か確認。
「長く続く人」は、定着支援や勤務条件の説明に置き換え可能か確認。
電話対応の件数、来客対応の有無、医療事務経験が必須か歓迎かを確認。
未経験者を受け入れる場合は、教育体制の有無を確認。
文案例。
来院された方の受付、電話対応、簡単な入力業務を担当します。
医療事務の経験がある方は、受付事務の中で経験を活かせます。
花村は、画面を黙って読んでいた。
越智は少し身を乗り出した。
「これ、かなり使えますね」
「このまま求人票に貼るには、まだ粗いです」
花村が言った。
「でも、確認事項は助かります。営業に戻す理由が言いやすい」
「理由」
黒須が聞き返すと、花村はうなずいた。
「今までは、女性向きは書けません、で戻していました。そうすると営業が、じゃあ何て聞けばいいんですか、と言うんです」
越智が苦笑した。
「言います」
「ここに、電話対応の件数とか来客対応の有無とか出ているなら、聞き返す内容が見えます」
花村は、確認事項の枠を指さした。
「この枠だけでも、かなり助かります」
黒須は、ノートに短く書いた。
文案より確認事項。
この一行は、重要だった。
AIを導入する話になると、どうしても文章案に目が行く。
どれだけ自然に書けるか。
どれだけ早く下書きが出るか。
どれだけ人の手を減らせるか。
だが、花村が欲しがったのはそこではなかった。
営業に戻す理由。
足りない情報。
そのまま書いてはいけない言葉を、どう職務内容へ戻すか。
それは、黒須が雨庭書房で見落としたものに近かった。
本文そのものではなく、本文に入る前の判断だった。
「文案例は、いらないですか」
高瀬が聞いた。
「いらなくはないです」
花村は画面を見たまま答えた。
「でも、これが先に出ると、忙しい人は貼ります。確認事項が先に出た方がいいです」
黒須は、すぐに画面の配置をメモした。
確認事項を上。
文案例は下。
初期表示は折りたたみ。
越智が首をかしげた。
「文章案、折りたたむんですか」
「最初は」
黒須は答えた。
「先に不足情報を見る。文章は、その後です」
「社長は、余計に嫌がりそうですね」
「そうですね」
黒須は認めた。
そのとき、会議室の扉が開いた。
柳が、タブレットを片手に入ってきた。
「始まっていますか」
「ちょうど一件、見たところです」
高瀬が席をずらした。
説明中だったため、文案例の枠は開いたままになっている。
柳は画面の右側を見て、すぐにその文案へ目を止めた。
「いいじゃないですか。これなら、たたき台になりますね」
「たたき台にはなります」
黒須は言った。
「ただ、最初に見るべきなのは上の確認事項です」
「確認事項」
柳は画面を見直した。
性別を条件にする表現は求人票に使用しない。
年齢を限定する場合は、例外事由の確認が必要。
「これは、毎回出るんですか」
「該当しそうな言葉が営業メモにあれば出ます」
「営業メモに、そういう言葉を入れなければいいのでは」
花村が、表情を硬くした。
黒須は、先に答えた。
「消すと、確認できなくなります」
「どういう意味ですか」
「聞いてしまった希望は、求人票に移さないための確認対象として残します」
黒須は、確認事項の欄を指さした。
「採否の基準として残すのではありません。職務内容へ言い換えられるか、人が確認するための注意欄です」
柳は腕を組んだ。
「ずいぶん慎重ですね」
「採用の文章です」
黒須は言った。
「早く出すことより、間違った条件を出さないことが先です」
柳は、不満そうだった。
だが、画面から目は離していない。
「もう一件、見せてください」
高瀬が、次のシートを開いた。
職種。
倉庫内作業。
募集理由。
繁忙期対応。
必須条件。
なし。
歓迎条件。
フォークリフト免許。
営業メモ。
重い物あり。体力ある人。学生でも可。短期。
黒須は実行ボタンを押した。
確認事項が表示される。
重量物の有無だけでなく、重さ、頻度、運搬方法を確認。
フォークリフト作業を任せる場合、免許が必須か歓迎かを確認。
短期勤務の期間、更新可能性、勤務日数を確認。
「体力ある人」は業務内容に置き換える。
文案例は、その下に出た。
商品の仕分け、棚入れ、出荷準備を担当します。
一部、十キロ程度の商品を台車へ載せ替える作業があります。
フォークリフト免許をお持ちの方は、入出庫作業で経験を活かせます。
越智が「あ」と声を出した。
「十キロ程度って、どこから出ました?」
花村も画面を見た。
黒須は、すぐに文案例の欄を確認した。
「過去求人の例から引いています」
「今回の案件は、重さ聞いてないです」
「では、この文案は使えません」
黒須は言った。
柳が、そこで眉を寄せた。
「間違っているんですか」
「未確認です」
黒須は、文案例の横にある表示を指さした。
過去例からの仮文案。
未確認事項を確認後に使用。
「これを、もっと目立たせます」
花村が言った。
「画面上の注意表示を赤字にした方がいいです」
「警告ラベルを赤くしましょう」
越智は、画面を見ながら言った。
「でも、これで重さを聞かなきゃいけないって分かりました」
「そこが目的です」
黒須は答えた。
「AIが十キロと書いたから使うのではなく、十キロと書くには確認が必要だと気づくために使う」
柳は、しばらく黙っていた。
社長が望んでいたものは、おそらくもっと派手なものだった。
入力したら求人票が完成する。
担当者が直す時間が半分になる。
明日から掲載本数が増える。
しかし、画面に出ているのは確認事項と未確認の警告だった。
「黒須さん」
「はい」
「これは、求人票作成AIではないですね」
「違います」
黒須は、はっきり答えた。
「求人票を作る人を助ける道具です」
柳は、もう一度画面を見た。
「それで、効果は出ますか」
「出ます」
黒須は言った。
「ただし、効果が出るのは原稿を一発で作れるからではありません」
黒須は、画面の三つの枠を順に見た。
「聞き返しが減る。過去求人を探す時間が減る。危ない表現を早く見つけられる。新人が、何を確認すればいいか分かる」
花村が、小さくうなずいた。
「それは、出ると思います」
黒須は、その一言を待っていたのかもしれない。
柳の目が、花村へ移った。
「現場がそう言うなら、試してみましょう」
高瀬が、そこでようやく息を吐いた。
「対象は」
「制作担当二名、営業二名。新規求人だけ」
黒須は、事前に考えていた範囲を口にした。
「期間は二週間。見る数字は、初稿作成時間、営業への聞き返し回数、修正戻りの回数です。応募数はまだ見ません」
「応募数は見ないんですか」
柳が聞いた。
「二週間では判断できません」
黒須は言った。
「求人票の質が応募に出るには時間がかかります。まずは、仕事の流れが変わるかを見ます」
柳は、少しだけ口元を緩めた。
「前より、ずいぶん慎重ですね」
黒須は返事に迷った。
前より。
その言葉が、どこまでを知ってのものかは分からない。
だが、高瀬は黒須の以前の仕事を知っている。
柳も、何も知らずに黒須を呼んだわけではないのだろう。
「慎重にしないと、また間違えます」
黒須は言った。
会議室が少し静かになった。
花村が、画面の確認事項を見ながら言った。
「二週間なら、やってみます」
越智も、少し遅れてうなずいた。
「営業への聞き返しが減るなら、こっちも助かります」
柳は、タブレットに短く打ち込んだ。
「では、試験運用で」
黒須はノートを開いた。
試験運用。
制作二名。
営業二名。
新規求人のみ。
応募数は見ない。
そこまで書いてから、最後に一行足す。
文案より、確認事項。
AIで文章を出せたことが、成功ではない。
人が確認すべきことを、先に見つけられたこと。
黒須は、画面の右側を見た。
文案例は、折りたたまれたままでもいい。
今度こそ、AIで変えられる。
その言葉に、ようやく小さな根が出た気がした。




