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"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
第24章『今度こそ、AIで変えられる』

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109/111

第109話「まず、探せるようにしましょう」

 黒須康平が辞任届を出したのは、北央採用企画を訪ねた三日後だった。


 雨庭書房の社長室は、以前と同じ匂いがした。

 古い紙と、革張りの椅子と、少し濃いコーヒーの匂い。


 社長は封筒を見ても、すぐには手を伸ばさなかった。


「処分が不満か」


「違います」


 黒須は答えた。


「では、なぜだ」


 黒須は、膝の上に置いた手を一度だけ握った。


「AIの可能性を、まだ捨てられません」


 社長の眉が、わずかに動いた。


「それを、うちで続けるのは難しいと?」


「はい」


 黒須は、そこで言葉を選んだ。


 雨庭書房に恨みがあるわけではない。

 社内が古いとも思わない。

 むしろ、前回の件で慎重になったのは当然だった。


「出版で使える部分はあります。議事録、コメント分類、販促文案。便利にはなると思います」


「なら、残って進めればいい」


「便利な範囲でなら、進められます」


 黒須は社長を見た。


「ただ、私がやりたいのは、AIで仕事の流れそのものを変えることです」


 黒須は一度言葉を切った。


「そのためには、AIに向いた仕事と、AIを入れる前に整えるべき仕事を分ける必要があります。雨庭書房では、私がAIと言うだけで前回の失敗に戻ってしまう」


 社長は何も言わなかった。


「それは、私がそうしたからです」


 黒須は続けた。


「だから、別の場所でやり直したいと思っています」


 社長はようやく封筒を手に取った。

 中身を抜き、短く目を通す。


「採用支援会社、と聞いた」


「はい」


「AIで求人票を作るのか」


「いいえ」


 黒須はそこだけはすぐに答えた。


「求人票を作らせる前に、求人票を作る仕事を整えます」


 社長は少しだけ息を吐いた。

 それが笑いなのか、呆れなのか、黒須には分からなかった。


「前より地味だな」


「その方が失敗しにくいです」


 社長は机の上で辞任届をそろえた。


「引き継ぎはしてもらう」


「もちろんです」


「黒須くん」


「はい」


「巻き返しのためだけなら、やめておけ」


 黒須はその言葉を正面から受けた。


「はい」


 社長はそれ以上は言わなかった。


 退任日は月末になった。

 北央採用企画には退任後に入る。

 高瀬には、正式に移ってから一ヶ月の現場整理を始めると伝えた。


 制作管理部の引き継ぎ資料を作り、進行中の企画ごとに担当者を分ける。

 AI活用方針の小さな検証は、相原と間宮へ引き継ぐことになった。


 宮田とは、最後の日の夕方に廊下で会った。


「北央採用企画に行くと聞きました」


「耳が早いね」


「島村部長が言っていました」


 宮田は少し迷ってから言った。


「また、AIですか」


「また、AIだ」


 黒須は答えた。


 宮田は困ったように笑った。

 責める顔ではなかった。


「今度は本文じゃないんですよね」


「本文ではない」


「なら大丈夫です、とは言えませんけど」


「言わなくていい」


 黒須は言った。


「私も、もう言わない」


 宮田はそこで小さくうなずいた。


「頑張ってください」


「ありがとう」


 黒須は雨庭書房の廊下を見た。

 見本誌の箱。壁に貼られた販促資料。締切前の編集者が歩く足音。


 嫌になって出ていく場所ではなかった。

 ただ、自分がここで持てる言葉は、もう少なくなっていた。



 北央採用企画での黒須の肩書きは、業務改善室長になった。


 柳は最初、AI推進室長という名を出した。


「分かりやすいでしょう」


「今は、分かりやすすぎます」


 黒須はそう断った。


「AIの名前を先に出すと、現場はAIの話だと思います」


「AIの話ではないんですか」


「最初は違います」


 柳は不満そうだったが、高瀬が横から入った。


「業務改善室で行きましょう。社内にも、その方が説明しやすい」


 そうして黒須の席は、会議室の横に置かれた。

 窓際でも役員室でもない。

 複合機と書類棚に近い席だった。


 初日の朝、黒須は全体朝礼で挨拶をした。


「業務改善室の黒須です。AIを使う前に、求人票を作る仕事を整理します」


 事務所の反応は薄かった。


 営業担当は予定表を見ている。

 制作担当は締切の近い原稿を開いている。

 電話は朝礼の途中でも鳴った。


 黒須は、それでいいと思った。

 歓迎されに来たわけではない。


 ただ、嫌がられる理由は分かっておく必要がある。


 黒須は最初の三日間、ほとんど提案しなかった。

 営業に同行し、制作の席の横に座り、求人票がどう作られていくかを見た。


 午前十時、営業の越智が戻ってくる。


「花村さん、これ急ぎ。今日中に初稿ほしい」


 花村は画面から目を離さずに聞いた。


「職種は」


「配送助手」


「募集理由」


「人が足りない」


「足りないのは分かってます。欠員ですか、増員ですか」


「そこまで聞いてない」


 花村は、深く息を吐いた。


「必須条件は」


「普通免許。あと、体力ある人がいいって」


「普通免許はAT限定可ですか」


「たぶん」


「たぶんで書けません」


 越智は頭をかいた。


「じゃあ、聞いてくる」


 その会話だけなら、短い。

 だが、同じ確認が一日に何度も起きていた。


 黒須はノートに書く。


 募集理由が曖昧。

 必須と歓迎が混ざる。

 免許条件が未確認。

 前回求人の所在不明。


 午後、別の制作担当が共有フォルダを開いていた。


「あれ、去年の介護スタッフってどこでしたっけ」


「介護の中」


「介護、三つあります」


「最新版って書いてあるやつ」


「最新版が二つあります」


 黒須は、その画面を見ながら何も言わなかった。


 何かを教える前に、どこで詰まっているかを見なければならない。


 四日目の午後、黒須は花村に声をかけた。


「十分だけ、時間をもらえますか」


「今ですか」


「今でなくても構いません」


 花村は画面右下の時計を見た。


「十分なら」


 黒須は印刷した一枚の紙を机に置いた。


 求人票準備シート。


 そう書いてある。


「入力項目を増やす話なら、先に言っておきますけど、現場は嫌がります」


「増やす項目と、減らす確認を分けたいと思っています」


 黒須は言った。


 シートには十項目だけが並んでいた。


 職種。

 募集理由。

 採用予定人数。

 必須条件。

 歓迎条件。

 勤務時間。

 給与。

 勤務地。

 前回求人の有無。

 確認が必要な表現。


 花村は紙を見た。


「少ないですね」


「最初から増やすと使われません」


「でも、これだと足りないです」


「足りないところを、教えてください」


 黒須は赤ペンを出した。


 花村は少し迷ってから、紙の余白を指さした。


「募集理由は、もっと分けたいです。欠員補充だけだと広すぎます」


「前任者退職、産休代替、増員、新店舗、資格者補充、繁忙期対応」


「それでかなり違います」


 黒須は赤で書き足した。


「あと、勤務時間は固定かシフトかを分けたいです。介護と飲食は、そこがぼやけると応募後に揉めます」


「固定、シフト、夜勤あり、夜勤専従」


「夜勤専従は別ですね」


「分けましょう」


 花村の声が、少しずつ仕事の声になっていく。


「確認が必要な表現、というのは何ですか」


「そのまま求人票に入れる前に、人が見直す言葉です。例えば、若い人、女性向き、体力がある人、明るい人」


 花村はうなずいた。


「営業メモには出ます」


「出ると思います」


「それを禁止にするんですか」


「メモから消す必要はありません」


 黒須は言った。


「ただ、そのまま求人票には書かない。職務に必要な条件へ直せるか、人が確認する欄にします」


 花村は、少しだけ考えた。


「配送助手なら、若い男性、じゃなくて、重量物の運搬あり、とかですか」


「はい。さらに、どの程度の作業か確認した方がいい」


「一人で持つのか、台車を使うのか」


「そこです」


 花村は、シートをもう一度見た。


「これ、営業に書かせられますか」


「営業に聞いてみます」


「嫌がりますよ」


「嫌がると思います」


 黒須は答えた。


「ただ、後で何度も聞き返されるよりは、最初に十項目だけ埋める方が早いかもしれません」


「かもしれません、ですね」


「はい。まだ、かもしれません」


 花村は、初めて少し笑った。



 翌日の夕方、黒須は営業の越智に同じシートを見せた。


 越智は、紙を見た瞬間に顔をしかめた。


「これ、営業が書くんですか」


「全部でなくても構いません。分かる範囲で」


「分かる範囲なら今も書いてます」


「今のメモは、人によって書き方が違います」


「そりゃ、相手によって話が違うんで」


 越智の声には少しだけ苛立ちがあった。


 黒須は言い返さなかった。

 営業の仕事を軽く見るとこの仕組みは動かない。


「相手によって違うから、同じ項目で聞きたいんです」


「同じ項目で聞けないこともありますよ。社長が早口でまくし立てて、あとからメールで送るって言って、そのメールが来ないとか」


「ありますか」


「あります」


 越智は即答した。


「あと、現場が言っている条件と、人事担当が言っている条件が違うこともあります」


「それはどこに残していますか」


「メモに」


「そのメモが制作に渡るときに短くなる」


 越智は黙った。


 否定しないということは、あるのだろう。


「では、こうしましょう」


 黒須はシートの一番下に欄を足した。


 未確認事項。


「分からないことは、分からないまま書いてください。制作側が何を聞き返せばいいか分かるようにします」


 越智は紙を見た。


「空欄だと怒られそうなんですよ」


「空欄と未確認は分けます」


「違いますか」


「違います。空欄は忘れた可能性がある。未確認はまだ決まっていないと分かる」


 越智はそこで少しだけ表情を変えた。


「それなら書けます」


「ありがとうございます」


「でも、これAIなんですか」


「今は違います」


「じゃあ、なんで黒須さんがやるんですか」


 黒須はすぐには答えなかった。


 それは北央に来てから何度も向けられた問いだった。

 AIを入れる人だと聞いていたのに、ファイル名と入力項目の話ばかりしている。


「AIが読める形にするためです」


 黒須は言った。


「その前に人が探せる形にします」


 越智は納得したような、していないような顔をした。


「まず、人ですか」


「まず、人です」



 一週間後、北央採用企画の共有フォルダに新しい階層ができた。


 職種別。

 年度別。

 掲載済み。

 作業中。

 使用しない。


 完璧ではない。

 過去ファイルをすべて移すには時間がかかる。

 ファイル名も、一日でそろうものではない。


 それでも、新しく作る求人票だけはルールを決めた。


 日付。

 会社名。

 職種。

 募集理由。

 担当者。


 花村はそのルールを見て言った。


「長いですね」


「長いです」


「でも、探せますね」


「探せます」


 その日の午後、越智が急ぎの案件を持ってきた。


「前に似た求人ありましたっけ。フォークリフトの倉庫作業」


 花村は共有フォルダを開いた。

 職種別。

 物流。

 フォークリフト。


 三つのファイルが出てきた。


 去年の求人。

 今年春の求人。

 応募数が多かった求人。


 花村は思わず画面を見たまま止まった。


「ありました」


 越智がのぞき込む。


「早いですね」


「早いです」


 花村は自分で言ってから少し笑った。


 応募数が多かった求人には、備考が紐づいていた。


 写真を現場作業中のものに変更。

 勤務時間を早番遅番で分けて記載。

 資格取得支援を上部へ移動。


 花村はその三行を見て、原稿の前半を書き換え始めた。


「これ、AIじゃないのに助かりますね」


 越智が言った。


 花村は画面から目を離さずに答えた。


「AIじゃないから助かるんじゃないですか」


 黒須は二人の後ろでその会話を聞いていた。


 否定ではない。

 少なくとも仕事の流れの中に入ってきた言葉だった。


 花村が黒須を振り返った。


「黒須さん」


「はい」


「この備考、過去の求人全部に付けるのは無理です」


「全部はやりません」


「じゃあ、どれから」


「まずは直近三ヶ月分からです。次に、応募が多かったものと、修正が多かったものを職種ごとに広げます」


 花村はうなずいた。


「それならやれます」


 黒須はノートに小さく丸をつけた。


 やれます。


 その言葉は、導入します、よりも重かった。


 AIはまだ画面に出ていない。

 文章案も生成していない。

 求人票を自動で作ったわけでもない。


 それでも、探す時間は少し減った。

 聞き返す言葉は少しそろった。

 現場の経験が、担当者の記憶から一枚の備考へ移り始めた。


 黒須はノートの端に書いた。


 AIの前に、人が使える形。


 今度はその順番を崩さなかった。

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