第108話「この状態でAIを入れたら失敗します」
北央採用企画の事務所は、駅前の大通りから一本入った雑居ビルの五階にあった。
一階には歯科医院と調剤薬局が入っている。エレベーターの横の案内板には、北央採用企画株式会社と黒い文字で貼られていた。
黒須は、その前で一度足を止めた。
採用支援。
求人広告。
企業説明会。
採用ページ制作。
雨庭書房とは違う業界だった。
ただ、まったく遠い仕事でもない。
採用広報の冊子を作ったとき、黒須は何度も求人原稿を読んだことがある。
会社をよく見せすぎると、入社後に辞める。控えめに書きすぎると、応募が来ない。条件を並べるだけでは、人は動かない。
文章の仕事ではある。
けれど、小説ではない。
会社の条件がある。
募集する職種がある。
過去の応募結果がある。
使ってはいけない表現がある。
黒須は、胸の内でそこまで並べてから、エレベーターに乗った。
五階で扉が開くと、すぐ右手に小さな受付台があった。
奥の事務所から電話の声が聞こえる。
「はい、掲載開始は来週月曜で進めます。修正は本日の十七時までにいただければ、初回掲載に間に合います」
別の席では、女性社員が画面を見ながら言った。
「介護スタッフ、夜勤ありと夜勤専従で原稿を分けますか。はい、応募者が見る条件が違いますので」
電話は多い。
キーボードの音も多い。
だが、机の上には紙も多かった。
求人票の出力紙。
赤字の入った校正紙。
営業担当の手書きメモ。
付箋を貼ったファイル。
黒須は、それを見ただけで少し分かった。
ここは、忙しい。
そして、探すための時間がかなり混じっている。
「黒須さん」
奥から高瀬が出てきた。
紺色のジャケットに、ノーネクタイ。以前より白髪が少し増えている。
「遠いところ、ありがとうございます」
「こちらこそ」
黒須は名刺を出した。
雨庭書房の名刺だった。
高瀬は、その名刺を受け取ってから、目を落とした。
そこに書かれている肩書きを見たのだろう。
制作管理担当取締役。
「まず、社内の状況を見ていただきたいんです」
「分かりました」
高瀬は会議室へ案内した。
六人掛けの小さな部屋だった。
壁際には、過去の求人広告を綴じたファイルが並んでいる。背表紙には年度と媒体名が書かれていたが、途中から手書きになっていた。
机の上には、ノートパソコンと紙の資料が置かれている。
「社長も同席します」
高瀬が言った。
その言葉の直後、五十代半ばくらいの男性が入ってきた。
丸い眼鏡をかけ、手には薄いタブレットを持っている。
「黒須さんですね。北央採用企画の柳です」
「黒須です」
柳は名刺交換を済ませると、椅子に座る前に言った。
「単刀直入に聞きます。求人票は、AIで作れますか」
高瀬が小さく肩をすくめた。
何度もその話をしている顔だった。
黒須は、すぐには答えなかった。
社長の質問は乱暴だ。
だが、責めるほど的外れでもない。
求人票には定型がある。
職種、仕事内容、応募資格、給与、勤務時間、休日、待遇、勤務地、応募方法。
項目だけを見れば、AIに向いている。
ただ、完成させるとなると話は変わる。
「作ることはできます」
黒須は言った。
柳の顔が少し明るくなった。
「ただし、そのまま出すのは勧めません」
明るくなった顔が、すぐに戻る。
「やはり、そうですか」
「求人票は、採用の入口です。書き方を間違えれば、応募が来ないだけでは済みません」
黒須は、机の上の営業メモへ目を落とした。
「職務に必要な条件なのか、ただの思い込みなのか。そこを人が判断しなければならない」
柳はタブレットを机に置いた。
「うちは中小企業のお客様が多い。どこも人手不足です。求人票を早く作れるなら、それだけでも助かる」
「早く作ること自体は、できると思います」
黒須は、机の上の資料を見た。
「ただ、その前に確認したいことがあります」
「何でしょう」
「求人票を作るとき、最初に何を見ますか」
柳は高瀬を見た。
高瀬は、会議室の扉の方へ声をかけた。
「花村さん、少し入れますか」
扉が開き、三十代前半くらいの女性社員が顔を出した。
「今ですか」
「五分だけ。求人票の作り方を説明してほしい」
「五分で終わる話じゃないですけど」
花村はそう言いながらも、資料を持って入ってきた。
社長がいるためか、表情が硬い。
「こちら、雨庭書房の黒須さん。AI導入の相談で来てもらっています」
「AIですか」
花村の声が、少し低くなった。
黒須は、その反応を見逃さなかった。
「今日は、導入を決めに来たわけではありません」
「そうなんですか」
「まず、求人票を作る仕事がどうなっているかを見たいと思っています」
花村は、まだ警戒を解かなかった。
だが、椅子には座った。
「最初に見るのは、営業メモです」
花村は持ってきた紙を机に置いた。
会社名。
募集職種。
勤務地。
給与。
勤務時間。
募集人数。
急ぎ度。
そこまでは、黒須にも分かる。
その横に、手書きのメモがいくつもあった。
前任者が辞めた。
経験者希望。
できれば近場。
社長は明るい人希望。
現場は落ち着いた人希望。
前回応募少ない。
写真差し替え。
「この手書き部分は、誰が書くんですか」
「営業です。クライアントから聞いたことを、その場で書いてきます」
「表記は決まっていますか」
「決まっていません。人によります」
花村は、少し早口になった。
「増員と書く人もいますし、追加募集と書く人もいます。欠員補充を、急募とだけ書く人もいます」
花村は、メモの端を指で押さえた。
「経験者希望も、必須なのか歓迎なのか、後で聞き直すことがあります」
黒須はうなずいた。
「過去の似た求人は、どう探しますか」
「共有フォルダです」
花村はノートパソコンを開いた。
画面にフォルダが表示される。
2023求人。
2023求人修正。
掲載済み。
掲載済み_古い。
介護。
介護_最新版。
介護_使う。
確認中。
柳が目をそらした。
「これ、全部使っているんですか」
黒須が聞くと、花村はため息をこらえるように答えた。
「使っているというか、探しています」
「探す」
「はい。前に似た求人があったはず、という記憶で探します。ファイル名が会社名だけのものもあるので、開かないと分かりません」
花村は、画面を操作した。
一つの求人票が開く。
製造スタッフ。
製造職。
工場内作業。
軽作業スタッフ。
似た職種でも、表記がそろっていない。
「応募結果は、求人票と一緒に残っていますか」
「別です」
「どこに」
「営業管理表です」
花村は、別のExcelを開いた。
行が長く続く表だった。
掲載日、会社名、媒体、応募数、面接数、採用数、担当営業、備考。
備考欄には、短い言葉が並んでいる。
写真弱い。
給与低い。
夜勤で離脱。
勤務地遠い。
仕事内容分かりにくい。
社名伏せ希望。
「この備考は、求人票を作るときに見ますか」
「時間があれば」
花村は正直に言った。
「でも、急ぎの原稿だと、そこまで見られません。営業に聞いて、前回の原稿を探して、直して出します」
会議室が、少し静かになった。
黒須は資料に目を落とした。
ここでAIを入れればどうなるか。
おそらく、求人票らしい文章は出る。
読みやすい文も出る。
しかし、元の情報がばらばらなら、ばらばらな理由もそのまま飲み込む。
欠員補充なのか。
増員なのか。
資格者の補充なのか。
離職が続いているのか。
条件が弱いのか。
職場の魅力をどう言い換えるのか。
それらを先に分けなければ、AIはきれいな文章で曖昧さを包む。
「黒須さん」
柳が口を開いた。
「どうでしょう。できそうですか」
高瀬も黒須を見ていた。
花村は身構えている。
黒須は、資料から目を上げた。
ここで「できます」とだけ言えば、前回と同じになる。
「この状態でAIを入れたら失敗します」
黒須は言った。
柳の表情が曇った。
花村は、驚いたように黒須を見た。
「やっぱり、現場の仕事はAIには無理ということですか」
花村が言った。
「違います」
黒須は首を横に振った。
「AIに向いている部分はあります。かなりあります。ただ、今のままでは、AIが読む材料が整っていません」
「材料」
「求人票を作る前の情報です。職種、募集理由、必須条件、歓迎条件、過去の応募結果、修正で揉めた表現」
黒須は、花村の営業メモを指さした。
「今は、それが人の記憶と手書きメモと別々のファイルに散っています」
「これをAIに丸ごと読ませても、求人票らしい文章は出ます」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、なぜ募集するのか、何を強く出すべきか、どこを確認すべきかは曖昧なままです」
柳は、腕を組んだ。
「では、AIはまだ早いと」
「いきなり求人票を作らせるのは早いです」
黒須は答えた。
「でも、AIの前にやることはあります」
高瀬が、そこで身を乗り出した。
「例えば」
「まず、求人票を作る前の入力シートをそろえます」
黒須はノートに線を引き、項目を書き始めた。
職種。
募集理由。
採用予定人数。
必須条件。
歓迎条件。
勤務条件。
前回の応募数。
前回の採用結果。
訴求したい点。
確認が必要な表現。
「営業が聞いてくる項目をそろえる。求人票のファイル名も、職種と募集理由で探せるようにする」
黒須は、書いた項目を高瀬の方へ向けた。
「過去の応募結果と求人票を紐づける。ここまでやれば、AIに渡せる材料ができます」
花村が、画面のフォルダを見た。
「それ、AIじゃなくて、普通の整理ですよね」
「そうです」
黒須は即答した。
花村がわずかに眉を上げた。
「まず、普通の整理が必要です」
柳は、納得したような、物足りないような顔をした。
「それで、AI化と言えるんですか」
「最初からAI化とは言わない方がいいと思います」
黒須は言った。
「求人票を作る仕事を、誰でも確認できる形にする」
黒須は答えた。
「その後で、過去求人の候補表示、補充理由の文案例、注意が必要な表現の警告を入れる。そこまで進めば、AIは使えます」
高瀬が、ゆっくりとうなずいた。
「現場には、そっちの方が通りそうですね」
「通るかどうかは、分かりません」
黒須は、花村を見た。
「入力項目を増やすだけなら、嫌がられると思います」
「嫌です」
花村はすぐに言った。
柳が咳払いをしたが、花村は引かなかった。
「ただでさえ急ぎの原稿が多いんです。営業メモの書き直しまで制作側でやるなら、今より遅くなります」
「制作側でやる必要はありません」
黒須は言った。
「営業が聞く項目を決める。制作は、足りないところだけ戻す。最初は面倒でも、同じ確認を何度もする時間は減るはずです」
花村は、まだ納得していない顔だった。
だが、完全に拒んでいる顔でもなかった。
「それ、本当に減りますか」
「すぐには減りません」
黒須は答えた。
「最初の一ヶ月は、たぶん増えます」
柳が顔を上げた。
「増えるんですか」
「増えます」
黒須は、そこをぼかさなかった。
「でも、そこで整理しないと、AIを入れても現場の負担は減りません。むしろ、AIが出した文章を直す仕事が増えるだけです」
会議室に、電話の音が聞こえてきた。
事務所の誰かが出る。
掲載日、修正、確認、という言葉が薄く届く。
花村は、画面を閉じた。
「AIで楽になるって話かと思っていました」
「楽になる部分はあります」
黒須は言った。
「ただ、楽になる前に、楽にできる形へ変える必要があります」
花村は返事をしなかった。
代わりに、机の上の営業メモを一枚めくった。
「募集理由って、どこまで分けますか」
黒須は、その質問を聞いて、短く息を吐いた。
反対ではない。
仕事の話になった。
「まずは、欠員補充、増員、新規事業、新店舗、資格者補充、繁忙期対応。その六つでどうでしょう」
「資格者補充は、分けた方がいいです。保育士とか、施工管理とか、資格がないと話にならない求人があります」
「では、残しましょう」
「あと、前任者退職と欠員補充は同じですか」
黒須は、すぐに答えなかった。
花村の方が、この仕事を知っている。
ここで黒須が決めることではない。
「現場では、分けた方がよさそうですか」
「分けたいです。前任者退職だと、引き継ぎありかどうかを聞くので」
「では、分けましょう」
黒須は、ノートの項目を書き直した。
前任者退職。
増員。
新規事業。
新店舗。
資格者補充。
繁忙期対応。
柳が、そのやりとりを見ていた。
「黒須さん」
「はい」
「これは、どれくらいでAIまで行けますか」
黒須は、高瀬と花村を見た。
早い、と言えば社長は喜ぶ。
だが、喜ばせるための期間を言えば、また順番を間違える。
「まず二週間、現場の項目整理です」
黒須は言った。
「次に一ヶ月、入力シートとファイル整理の試験運用。その後、過去求人の候補表示と文案例の生成を小さく試す」
柳の顔を見てから、黒須は続けた。
「AIらしいものが見えるのは、正式に入ってから早くても二ヶ月ほど先だと思います」
「二ヶ月」
柳は不満そうだった。
「求人票作成AIという言い方をしたいなら、もっとかかります」
「では、最初は何と呼べばいい」
黒須は、少し考えた。
「求人票作成支援の整理プロジェクト、でしょうか」
花村が、そこで初めて小さく笑った。
「地味ですね」
「地味な方が、失敗しにくいです」
黒須が言うと、高瀬も笑った。
柳だけは、まだ笑わなかった。
それでも、タブレットに何かを打ち込んでいる。
「分かりました」
柳は言った。
「入っていただけるなら、まず二週間、現場の項目整理を見てください。その結果で、次を決めましょう」
高瀬が、ほっとしたように肩を下ろした。
花村は、営業メモをまとめながら黒須に言った。
「本当に、AIを入れる前にこんなことをするんですね」
「します」
「前の会社でも、そうしていたんですか」
黒須は、そこで一瞬だけ黙った。
雨庭書房の会議室。
止まった長編。
赤線を引いた資料。
それらが、短く胸の中を通った。
「前の会社では、順番を間違えました」
花村は、それ以上聞かなかった。
黒須も、それ以上は言わなかった。
会議室の外では、また電話が鳴っている。
求人票の締切は待ってくれない。
黒須はノートを閉じた。
今度こそ、AIで変えられる。
その言葉は、まだ早い。
今はまだ、求人票を探せるようにするところからだった。




