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"誰でもできる仕事"をしていた私が辞めたら、会社が止まった【連載版】  作者: 霧原 澪
第24章『今度こそ、AIで変えられる』

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108/111

第108話「この状態でAIを入れたら失敗します」

 北央採用企画の事務所は、駅前の大通りから一本入った雑居ビルの五階にあった。


 一階には歯科医院と調剤薬局が入っている。エレベーターの横の案内板には、北央採用企画株式会社と黒い文字で貼られていた。


 黒須は、その前で一度足を止めた。


 採用支援。

 求人広告。

 企業説明会。

 採用ページ制作。


 雨庭書房とは違う業界だった。

 ただ、まったく遠い仕事でもない。


 採用広報の冊子を作ったとき、黒須は何度も求人原稿を読んだことがある。

 会社をよく見せすぎると、入社後に辞める。控えめに書きすぎると、応募が来ない。条件を並べるだけでは、人は動かない。


 文章の仕事ではある。

 けれど、小説ではない。


 会社の条件がある。

 募集する職種がある。

 過去の応募結果がある。

 使ってはいけない表現がある。


 黒須は、胸の内でそこまで並べてから、エレベーターに乗った。


 五階で扉が開くと、すぐ右手に小さな受付台があった。

 奥の事務所から電話の声が聞こえる。


「はい、掲載開始は来週月曜で進めます。修正は本日の十七時までにいただければ、初回掲載に間に合います」


 別の席では、女性社員が画面を見ながら言った。


「介護スタッフ、夜勤ありと夜勤専従で原稿を分けますか。はい、応募者が見る条件が違いますので」


 電話は多い。

 キーボードの音も多い。

 だが、机の上には紙も多かった。


 求人票の出力紙。

 赤字の入った校正紙。

 営業担当の手書きメモ。

 付箋を貼ったファイル。


 黒須は、それを見ただけで少し分かった。


 ここは、忙しい。

 そして、探すための時間がかなり混じっている。


「黒須さん」


 奥から高瀬が出てきた。

 紺色のジャケットに、ノーネクタイ。以前より白髪が少し増えている。


「遠いところ、ありがとうございます」


「こちらこそ」


 黒須は名刺を出した。

 雨庭書房の名刺だった。


 高瀬は、その名刺を受け取ってから、目を落とした。

 そこに書かれている肩書きを見たのだろう。


 制作管理担当取締役。


「まず、社内の状況を見ていただきたいんです」


「分かりました」


 高瀬は会議室へ案内した。


 六人掛けの小さな部屋だった。

 壁際には、過去の求人広告を綴じたファイルが並んでいる。背表紙には年度と媒体名が書かれていたが、途中から手書きになっていた。


 机の上には、ノートパソコンと紙の資料が置かれている。


「社長も同席します」


 高瀬が言った。


 その言葉の直後、五十代半ばくらいの男性が入ってきた。

 丸い眼鏡をかけ、手には薄いタブレットを持っている。


「黒須さんですね。北央採用企画の柳です」


「黒須です」


 柳は名刺交換を済ませると、椅子に座る前に言った。


「単刀直入に聞きます。求人票は、AIで作れますか」


 高瀬が小さく肩をすくめた。

 何度もその話をしている顔だった。


 黒須は、すぐには答えなかった。

 社長の質問は乱暴だ。

 だが、責めるほど的外れでもない。


 求人票には定型がある。

 職種、仕事内容、応募資格、給与、勤務時間、休日、待遇、勤務地、応募方法。

 項目だけを見れば、AIに向いている。


 ただ、完成させるとなると話は変わる。


「作ることはできます」


 黒須は言った。


 柳の顔が少し明るくなった。


「ただし、そのまま出すのは勧めません」


 明るくなった顔が、すぐに戻る。


「やはり、そうですか」


「求人票は、採用の入口です。書き方を間違えれば、応募が来ないだけでは済みません」


 黒須は、机の上の営業メモへ目を落とした。


「職務に必要な条件なのか、ただの思い込みなのか。そこを人が判断しなければならない」


 柳はタブレットを机に置いた。


「うちは中小企業のお客様が多い。どこも人手不足です。求人票を早く作れるなら、それだけでも助かる」


「早く作ること自体は、できると思います」


 黒須は、机の上の資料を見た。


「ただ、その前に確認したいことがあります」


「何でしょう」


「求人票を作るとき、最初に何を見ますか」


 柳は高瀬を見た。

 高瀬は、会議室の扉の方へ声をかけた。


「花村さん、少し入れますか」


 扉が開き、三十代前半くらいの女性社員が顔を出した。


「今ですか」


「五分だけ。求人票の作り方を説明してほしい」


「五分で終わる話じゃないですけど」


 花村はそう言いながらも、資料を持って入ってきた。

 社長がいるためか、表情が硬い。


「こちら、雨庭書房の黒須さん。AI導入の相談で来てもらっています」


「AIですか」


 花村の声が、少し低くなった。


 黒須は、その反応を見逃さなかった。


「今日は、導入を決めに来たわけではありません」


「そうなんですか」


「まず、求人票を作る仕事がどうなっているかを見たいと思っています」


 花村は、まだ警戒を解かなかった。

 だが、椅子には座った。


「最初に見るのは、営業メモです」


 花村は持ってきた紙を机に置いた。


 会社名。

 募集職種。

 勤務地。

 給与。

 勤務時間。

 募集人数。

 急ぎ度。


 そこまでは、黒須にも分かる。


 その横に、手書きのメモがいくつもあった。


 前任者が辞めた。

 経験者希望。

 できれば近場。

 社長は明るい人希望。

 現場は落ち着いた人希望。

 前回応募少ない。

 写真差し替え。


「この手書き部分は、誰が書くんですか」


「営業です。クライアントから聞いたことを、その場で書いてきます」


「表記は決まっていますか」


「決まっていません。人によります」


 花村は、少し早口になった。


「増員と書く人もいますし、追加募集と書く人もいます。欠員補充を、急募とだけ書く人もいます」


 花村は、メモの端を指で押さえた。


「経験者希望も、必須なのか歓迎なのか、後で聞き直すことがあります」


 黒須はうなずいた。


「過去の似た求人は、どう探しますか」


「共有フォルダです」


 花村はノートパソコンを開いた。

 画面にフォルダが表示される。


 2023求人。

 2023求人修正。

 掲載済み。

 掲載済み_古い。

 介護。

 介護_最新版。

 介護_使う。

 確認中。


 柳が目をそらした。


「これ、全部使っているんですか」


 黒須が聞くと、花村はため息をこらえるように答えた。


「使っているというか、探しています」


「探す」


「はい。前に似た求人があったはず、という記憶で探します。ファイル名が会社名だけのものもあるので、開かないと分かりません」


 花村は、画面を操作した。

 一つの求人票が開く。


 製造スタッフ。

 製造職。

 工場内作業。

 軽作業スタッフ。


 似た職種でも、表記がそろっていない。


「応募結果は、求人票と一緒に残っていますか」


「別です」


「どこに」


「営業管理表です」


 花村は、別のExcelを開いた。

 行が長く続く表だった。


 掲載日、会社名、媒体、応募数、面接数、採用数、担当営業、備考。

 備考欄には、短い言葉が並んでいる。


 写真弱い。

 給与低い。

 夜勤で離脱。

 勤務地遠い。

 仕事内容分かりにくい。

 社名伏せ希望。


「この備考は、求人票を作るときに見ますか」


「時間があれば」


 花村は正直に言った。


「でも、急ぎの原稿だと、そこまで見られません。営業に聞いて、前回の原稿を探して、直して出します」


 会議室が、少し静かになった。


 黒須は資料に目を落とした。


 ここでAIを入れればどうなるか。


 おそらく、求人票らしい文章は出る。

 読みやすい文も出る。

 しかし、元の情報がばらばらなら、ばらばらな理由もそのまま飲み込む。


 欠員補充なのか。

 増員なのか。

 資格者の補充なのか。

 離職が続いているのか。

 条件が弱いのか。

 職場の魅力をどう言い換えるのか。


 それらを先に分けなければ、AIはきれいな文章で曖昧さを包む。


「黒須さん」


 柳が口を開いた。


「どうでしょう。できそうですか」


 高瀬も黒須を見ていた。

 花村は身構えている。


 黒須は、資料から目を上げた。

 ここで「できます」とだけ言えば、前回と同じになる。


「この状態でAIを入れたら失敗します」


 黒須は言った。


 柳の表情が曇った。

 花村は、驚いたように黒須を見た。


「やっぱり、現場の仕事はAIには無理ということですか」


 花村が言った。


「違います」


 黒須は首を横に振った。


「AIに向いている部分はあります。かなりあります。ただ、今のままでは、AIが読む材料が整っていません」


「材料」


「求人票を作る前の情報です。職種、募集理由、必須条件、歓迎条件、過去の応募結果、修正で揉めた表現」


 黒須は、花村の営業メモを指さした。


「今は、それが人の記憶と手書きメモと別々のファイルに散っています」


「これをAIに丸ごと読ませても、求人票らしい文章は出ます」


 そこで一度、言葉を切る。


「でも、なぜ募集するのか、何を強く出すべきか、どこを確認すべきかは曖昧なままです」


 柳は、腕を組んだ。


「では、AIはまだ早いと」


「いきなり求人票を作らせるのは早いです」


 黒須は答えた。


「でも、AIの前にやることはあります」


 高瀬が、そこで身を乗り出した。


「例えば」


「まず、求人票を作る前の入力シートをそろえます」


 黒須はノートに線を引き、項目を書き始めた。


 職種。

 募集理由。

 採用予定人数。

 必須条件。

 歓迎条件。

 勤務条件。

 前回の応募数。

 前回の採用結果。

 訴求したい点。

 確認が必要な表現。


「営業が聞いてくる項目をそろえる。求人票のファイル名も、職種と募集理由で探せるようにする」


 黒須は、書いた項目を高瀬の方へ向けた。


「過去の応募結果と求人票を紐づける。ここまでやれば、AIに渡せる材料ができます」


 花村が、画面のフォルダを見た。


「それ、AIじゃなくて、普通の整理ですよね」


「そうです」


 黒須は即答した。


 花村がわずかに眉を上げた。


「まず、普通の整理が必要です」


 柳は、納得したような、物足りないような顔をした。


「それで、AI化と言えるんですか」


「最初からAI化とは言わない方がいいと思います」


 黒須は言った。


「求人票を作る仕事を、誰でも確認できる形にする」


 黒須は答えた。


「その後で、過去求人の候補表示、補充理由の文案例、注意が必要な表現の警告を入れる。そこまで進めば、AIは使えます」


 高瀬が、ゆっくりとうなずいた。


「現場には、そっちの方が通りそうですね」


「通るかどうかは、分かりません」


 黒須は、花村を見た。


「入力項目を増やすだけなら、嫌がられると思います」


「嫌です」


 花村はすぐに言った。


 柳が咳払いをしたが、花村は引かなかった。


「ただでさえ急ぎの原稿が多いんです。営業メモの書き直しまで制作側でやるなら、今より遅くなります」


「制作側でやる必要はありません」


 黒須は言った。


「営業が聞く項目を決める。制作は、足りないところだけ戻す。最初は面倒でも、同じ確認を何度もする時間は減るはずです」


 花村は、まだ納得していない顔だった。

 だが、完全に拒んでいる顔でもなかった。


「それ、本当に減りますか」


「すぐには減りません」


 黒須は答えた。


「最初の一ヶ月は、たぶん増えます」


 柳が顔を上げた。


「増えるんですか」


「増えます」


 黒須は、そこをぼかさなかった。


「でも、そこで整理しないと、AIを入れても現場の負担は減りません。むしろ、AIが出した文章を直す仕事が増えるだけです」


 会議室に、電話の音が聞こえてきた。

 事務所の誰かが出る。

 掲載日、修正、確認、という言葉が薄く届く。


 花村は、画面を閉じた。


「AIで楽になるって話かと思っていました」


「楽になる部分はあります」


 黒須は言った。


「ただ、楽になる前に、楽にできる形へ変える必要があります」


 花村は返事をしなかった。

 代わりに、机の上の営業メモを一枚めくった。


「募集理由って、どこまで分けますか」


 黒須は、その質問を聞いて、短く息を吐いた。


 反対ではない。

 仕事の話になった。


「まずは、欠員補充、増員、新規事業、新店舗、資格者補充、繁忙期対応。その六つでどうでしょう」


「資格者補充は、分けた方がいいです。保育士とか、施工管理とか、資格がないと話にならない求人があります」


「では、残しましょう」


「あと、前任者退職と欠員補充は同じですか」


 黒須は、すぐに答えなかった。


 花村の方が、この仕事を知っている。

 ここで黒須が決めることではない。


「現場では、分けた方がよさそうですか」


「分けたいです。前任者退職だと、引き継ぎありかどうかを聞くので」


「では、分けましょう」


 黒須は、ノートの項目を書き直した。


 前任者退職。

 増員。

 新規事業。

 新店舗。

 資格者補充。

 繁忙期対応。


 柳が、そのやりとりを見ていた。


「黒須さん」


「はい」


「これは、どれくらいでAIまで行けますか」


 黒須は、高瀬と花村を見た。


 早い、と言えば社長は喜ぶ。

 だが、喜ばせるための期間を言えば、また順番を間違える。


「まず二週間、現場の項目整理です」


 黒須は言った。


「次に一ヶ月、入力シートとファイル整理の試験運用。その後、過去求人の候補表示と文案例の生成を小さく試す」


 柳の顔を見てから、黒須は続けた。


「AIらしいものが見えるのは、正式に入ってから早くても二ヶ月ほど先だと思います」


「二ヶ月」


 柳は不満そうだった。


「求人票作成AIという言い方をしたいなら、もっとかかります」


「では、最初は何と呼べばいい」


 黒須は、少し考えた。


「求人票作成支援の整理プロジェクト、でしょうか」


 花村が、そこで初めて小さく笑った。


「地味ですね」


「地味な方が、失敗しにくいです」


 黒須が言うと、高瀬も笑った。


 柳だけは、まだ笑わなかった。

 それでも、タブレットに何かを打ち込んでいる。


「分かりました」


 柳は言った。


「入っていただけるなら、まず二週間、現場の項目整理を見てください。その結果で、次を決めましょう」


 高瀬が、ほっとしたように肩を下ろした。


 花村は、営業メモをまとめながら黒須に言った。


「本当に、AIを入れる前にこんなことをするんですね」


「します」


「前の会社でも、そうしていたんですか」


 黒須は、そこで一瞬だけ黙った。


 雨庭書房の会議室。

 止まった長編。

 赤線を引いた資料。


 それらが、短く胸の中を通った。


「前の会社では、順番を間違えました」


 花村は、それ以上聞かなかった。


 黒須も、それ以上は言わなかった。


 会議室の外では、また電話が鳴っている。

 求人票の締切は待ってくれない。


 黒須はノートを閉じた。


 今度こそ、AIで変えられる。

 その言葉は、まだ早い。


 今はまだ、求人票を探せるようにするところからだった。

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