21章 Circulation
「……二千年ぶりだね。会いたかったよ、フラン」
フラン。
呼ばれ慣れない名がラーシュの頭の中で反響する。
フラン。
あの日見た夢が繋がっていく。腑に落ちた。言葉にするには大きすぎるけれど、なんだかそんな気がした。
(フラン)
かつてのラーシュのことをその名で呼ぶ人はたくさんいた。ノスタシオンもメルディナも、他の皆も。薄い靄が掛ったまま、記憶が脳を流れていく。
あの頃の君の名前はなんだっけ? 聞きなれない響きだった気がする。
君とはどこで出会ったんだっけ? こんな風に街中でだったかもしれない。
そもそも君はどんな人だった? 確かあの頃も踊りや歌が上手だったはずだ。
もう少しで、もう少しでたどり着けそうなのに。運命の赤い糸を手繰り寄せようと心の中で藻掻く。そう、運命の、
(赤)
「あ……」
赤。その光景だけははっきりと思い出せた。
あの男が君を殺した。緑の髪の男が僕らを裏切った。片眼鏡の男が君の心臓を撃った。
最期まで隣にいた。その手は握れなかったけれど。
(この記憶は、二人の……)
「ラーシュ!」
息が詰まりそうな思考はイスフィの声によって搔き消された。密かに安堵を噛み締めながら、彼は何でもないように笑ってみせる。
「……これはどういう状況だ……?」
直接的に言えば、アナン達は混乱していた。実際、ラーシュとメルディナのやり取りはこちらまで届いていなかったのだから仕方ない。
「えーと、何から話せばいいかな? 自己紹介でもした方がいい?」
その提案を聞いて前に進み出たのはキケだった。なるほど、こういう時に頼りになる男だ。
「じゃあ俺からやろう。俺はキケ=オルティスだ」
口の中でキケの名前を繰り返すと、メルディナは意味ありげに呟いた。
「へえ、今はそういう名前なんだね」
「え?」
「ああ、ごめんごめん。ただの独り言だよ。続けてもらえる?」
「そ、そうか。ええと、こっちが妹のユリアで、そこにいるのがアナンで……」
キケの紹介を聞き流しながら、アナンは失礼にならない程度にメルディナを見ていた。彼女の容姿は――少なくともアナン自身の経験から言えば珍しい部類に入る。都に出れば異国の者もそう珍しくはないのだろうけれど。……もちろん胸元をジロジロ眺めることなんてしていないということはアナンの名誉のために書いておくべきだろう。
(……ん?)
アナンもまたラーシュと同じように腹部の印に目を留めた。恐らく皆が持っている痣のような印と同じ類のものだろう。
ここ最近の諸々から、アナンはある考えに到達していた。
(この印を持った人が皆クルーヴァディアにいた人の記憶を持っているんだとしたら……)
『今は』と言った彼女の発言にも納得がいく。
(ヒューゴーは確かエトムントとしての俺を知っている風だったが……それじゃあ、キケやユリアも……?)
慣れない考え事をこね回しているうちにキケの紹介は終わっていたようで、やっとメルディナが口を開いた。
「紹介ありがとう。ボクはメルディナ。南方から来た踊り子だよ」
そう言うと彼女はくるりと一回りしてから軽くお辞儀をして見せた。布と髪が軽くはためく。
「……メルディナ殿。そなた、もしかして……」
その様子を見ていたサナがおもむろに切り出した。
「そうだよ」
彼女の声を遮って、メルディナは短く答えた。
「ふふ、覚えていてくれたみたいだね。君とは数年前に会ったね、ヒの国のお嬢さん。……それに、クルーヴァディアの話もしたっけ」
クルーヴァディア。
彼女のその言葉で場の空気は一気に変わった。故郷で印を持った少女に会ったことがあるというサナの話。その少女というのがメルディナなのだろう。
「……教えてくれないか。お前はクルーヴァディアの全貌を知っているんだろう」
アナンは沈黙を割くように口を開いた。緑色の瞳がこちらを見上げる。読み取れそうで読み取れない感情が瞳孔の向こうで揺れた。
「……故人の記憶を引き継ぐことがある。そう言ったら、君たちは信じる?」
「……!」
明らかに動揺が走った。微かに目を細める者、瞬きを繰り返す者、目を反らす者。それでも皆わかっていた。
彼女は何かを知っている。
「記憶を引き継ぐ……生まれ変わるということであるか?」
「そうか、サナの国にはそういう考え方が根付いているんだっけ。うん、そうやって理解してくれて構わないよ」
サナは何か腑に落ちたようだったが、キケやユリアはまだ呆然としている。表現はどうであれ、死者と生者が重なることはない。それは少なくとも彼達の間での当たり前だった。それを覆すものをアナンが受け入れられたのは、そのとき既にエトムントが彼の中にいたからだろうか。記憶の上での死と生の交わりという可能性を受け入れる文化の者が。
「うーん、キケとユリアはあまり納得できないとでも言いたげな顔をしているね。まあそれも仕方ないかな。どう説明しようか……」
しばらく悩むような仕草を見せて、メルディナは再び話し出した。
「じゃあ、ボクの故郷の話をしようか」
「はあ……」
これはかつての記憶を持っているアナン達にもよくわからない話の飛躍だった。ただノスタシオンだけが顔色ひとつ変えずに腕を組んでいる。
「ククルゥレ島って知ってる?」
「ええと、大陸の南にある島のことかい?」
ぽかんとした皆とは反対に、ラーシュはすぐに反応した。これが王子の教養力だろう。
「そうそう。ラーシュは知っているんだね、嬉しいな。……おっと、話が逸れたね。そこがボクの故郷なんだけど……」
ラーシュは話の先が読めたという顔をしているし、ノスタシオンは端からわかっていたようだが、アナン達は彼女の説明を待つより他にない。
「簡単に言えば、ボクらは一族全員が祖先達の記憶を共有しているんだ」
「え?!」
信じがたい話にイスフィが声をあげた。
「それはつまり、そなたの曾祖父殿や曾祖母殿の記憶がそなたや同じ一族の者全てに伝わっているということであるか?」
「そういうこと。だから、ひいおじいさまの初恋の人とか、ひいおばあさまが子供の頃に作った秘密基地の場所とか、ボクも島中の人も皆知っているんだよ」
……プライバシーも何もあったものではない。淡い恋が後世まで伝承されてしまう見知らぬ人々に、アナンは密かに同情した。
「……変わった一族もいるもんだな」
そう呟くキケはまるで御伽噺でも聞いた後のような顔をしている。反対に言えば、目の前のメルディナや、更には隣にいるアナン達がその当事者であるということは想像の範疇ですらないのだろう。
「……それだけじゃないよ」
「え?」
メルディナの声は確かに皆に届いているのに、どういうわけか耳元で囁かれたような心地がする。
「ボクにはもう一つの記憶がある。ククルゥレ族の者以外の記憶が」
この場所でその言葉の意味はきっと二つある。
記憶が戻らない者には更なる混乱を。
そして、記憶を持つ者には確信を。
「……まあいいや、今はこの言葉の意味がわからなくても大丈夫だよ。それより、もっと大事な話をしようか」
彼女の話はどうにも読めない。近づいたと思ったら遠ざかり、遠ざかったと思ったら近づいていく。波のようだ、とアナンは思った。
「大事な話って?」
「目下の話。……つまり、《リンカーネイション》の話」
場の空気が変わったのはアナンにもわかる。あの夜に対峙したルドルフの声が脳裏を過った。掴み切れないという点では彼が一番だろう。どうしてクルーヴァディアの復活を望むのか、その行為が阻止されることにどんな意味があるのか、そして彼らの企みは何がどう問題なのか。
「……」
ノスタシオンがゆっくりと瞼を閉じた。そういえば、クルーヴァディアの名を最初に告げたのは彼だった。彼もまた何かこれ以上の情報を知っているのだろうか。
「彼らの目的はクルーヴァディアを復活させること。そして、その途中でかなり不味い事態になるかもしれない。……いや、確実になる。もっと直接的に言えば、」
メルディナの瞳は真っ直ぐアナンを見つめていた。
息を吸う。鼓動が高鳴る。その様子一つ一つが何度も何度も瞼の奥で繰り返される。
「……世界が滅びることになる」
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