4章 Debris(4)
「……ダメだった」
合流したキケは一言そう言ったきり俯いた。何がどうだめだったのか、なんて聞かなくてもアナンにはわかってしまった。
「……本当の家みたいな場所だったんだ」
とぼとぼと歩みを進めながら、キケは独り言のように話し出した。
「血の繋がりはなくても、親とか兄弟みたいに大事な人達でさ、……それがもう誰が誰だかちっともわからないくらいで……」
段々彼の声は震えて聞き取りにくくなっていく。泣いているのだ、と気づくのに時間はかからなかった。
「……実はさ、ユリアも昨晩村にいるはずだったんだ。でもしきりに咳をしていたから、俺が止めて……」
いつの間にかキケはまた立ち止まっていた。
「なあ……俺はどうしたらいいんだ。ユリアがどんな顔をするか、何て言うか、手に取るようにわかるんだ……」
アナンは答えることができなかった。ユリアが生きていてよかった、とはキケにも本人にも言えるはずがない。
「……ごめん、取り乱して。こんな思いをしてるのは俺だけじゃないのに……」
「キケ」
彼の言葉を遮って、アナンは背をさすった。
「俺はどんなに時間がかかってもまた村を興す。皆の墓も建てるし、……それでここに住む。だから……」
やっと彼はいつものように背筋を伸ばした。
「……そうだな、俺がこんなことじゃダメだよな」
そう言うとキケは自分で自分の頬をぴしゃりと叩いた。
「……うん、なんとか頑張ってみるよ」
振り向いたその表情はいつもの朗らかなそれではない。気付かないふりをして、目をそらすようにアナンは頷いた。
のろのろと歩き出した二人の間に会話はない。ただ、焦げ臭く静かな空気が知らん顔をして流れていく。
ガサリ。
その静寂を断ち切ったのは微かな物音だった。
「……!誰かいるのか」
刹那、キケは背負っていた剣を振るった。鋭い音が空気を切り裂く。
二人の足元の少し先に、切り落とされた木の枝が落ちる。背から水を流された時のような感覚が、神経を支配していった。
キケは昔からこうだった。
ユリアと対になるように持つ右足の印。それがひとたび光れば、士官学校に通うどころか剣術すら教わったことがないのに、そこらの一兵卒より遥かに上手く剣を使うのだ。それは実際見たこともないもので、ちょっとした棒を振り下ろしただけで空気ごと切り裂くような音とともに直接触れていない物体まで真っ二つにしてしまうのである。
もちろんアナンには見慣れたことだが、しかしこんな精神的極限状態ですらそれを成し遂げてしまうとは想像していなかった。魂に染み付いた、とでも言うべきだろうか。
「……剣を下ろしなさい」
どこからともなく声がする。恐らく声の主は若い男だろう。彼は崩れた村の壁の向こうの森にいるようである。
「……え?」
はたとアナンは足を止めた。
樹木が輝いている。
正確に言えば、木々は氷を纏って日の光を受けていた。
キケも異変に気付いたのだろう、男の声を無視して剣を強く握っている。
「……剣を下ろしなさいと言っているでしょう、人間」
先程よりも苛立っているのか、男の語気は更に冷たくなった。キケもまずいと思ったのか、ようやく剣を下ろした。
「……あの、誰なんです?」
どこか人ならざる雰囲気を醸し出す彼に、アナンは慣れない敬語で問うた。だが、むしろそれは悪手だったようである。
「……私を忘れたのですね」
「え? ……いや、その」
忘れたもなにも、アナンはこんな知り合いに心当たりはない。はぐらかしているうちに、彼は小さくため息をついた。
「まあいいでしょう、英雄と言えど所詮は人間です。私はこんな戯言のために貴様らに話しかけたわけではありません」
「……なんなんだ、さっきから」
いつになくぶっきらぼうなキケの口調。どうやらこの男が作ったらしい樹氷、妙に人間を見下したような口調、それに『英雄』。二人は今ひとつ状況が飲み込めない。
「私は忠告しに来てやったのです」
「忠告?」
思ってもみなかった単語をアナンは無意識に繰り返す。
「ええ。……まだわかりませんか、アナン=アイオン。貴様は命を狙われているのですよ」
「え……あ、もしかして、昨夜の……」
彼からの忠告。
逃げるアナンとイスフィを襲った少年。
ようやく二つの事象が繋がった。
同時に彼の頭を疑問符が埋め尽くす。なぜ彼はそんなことを知っているのか、なぜアナンの名がわかったのか。――そしてなぜ自分が、辺境の村の一介の狩人が、命を狙われなくてはならないのか。
「……もう少し詳しく話してくれないか」
「ちょっと、アナン。本当に信じる気か?」
キケはまだ怪訝な目で森の方を睨んでいる。アナンが言葉を発するより先に、男のほうが答えていた。
「賢明な選択をしなさい、人間。……妹がいるのでしょう。また繰り返すつもりですか?」
「え……」
思いもよらない言葉だったのだろう、キケは剣を取り落とした。
「……それは妹に……ユリアに関係があることなのか?」
「ええ。それどころか貴様自身にも、或いは村の巫女にも関わることです」
「……」
しばらく黙りこくった彼は再び剣を拾うようなことはしなかった。
「……わかった、聞こう」
「賢明な選択をしましたね。良いでしょう、話してあげます」
いちいち言動が鼻につくがそんなことを言っている場合ではない。おとなしく二人は彼の話に耳を傾けた。
「簡潔に述べましょう。昨晩の火事は仕組まれたもの、そして仕組んだ者の目的は、……アナン=アイオンの殺害です」
「……え?」
(俺が……?)
場が凍り付く、とはまさにこのようなことを言うのだろう。呆然とする二人のことなどお構いなしに、彼は話を続ける。
「尤も実質的な原因はこのアーダルフルム王国の隣国、デストジュレーム王国での革命です。戦乱の舞台が南下するに従って国境近くのこの村が戦火に巻き込まれた……表向きには偶然の悲劇に見えるでしょう」
「……一旦整理させてくれ。まず、デストジュレーム王国での革命って何のことだ?」
デストジュレーム王国。
アナン達が暮らすアーダルフルム王国の隣国だが、都は遥か北の雪深い場所にある。この南地域は中心地から外れた、いわば辺境といった場所である。実際地図上の国境はこの近辺だが、互いの関所は随分離れていて、戦闘はおろか住民同士の交流さえ滅多にないのだ。
「知らないのですか? つい五日ほど前革命軍が王都を攻撃し、城が落とされたのです。国王夫妻は処刑され、王子は行方不明のまま……」
二人にとっては全くの初耳である。それとこれとがどう結び付くというのか。
「ですが、王都の占領は第二の目的にすぎないはずです。一番の目的は……」
「俺……?」
「……それってさ」
長らく黙っていたキケが口を開く。
「アナンの命を狙った奴と村に火をかけた奴、それにその革命軍は全部同じってことか?」
「意外に物分かりがいいですね。そういうことです」
一国を覆すほどの勢力。それがただの辺境の狩人の命を狙っている。にわかには信じがたいことだった。
(……もしかして、俺は想像以上の大事に巻き込まれているのか?)
「奴らは本気です。民間人に向けて人を灰燼に帰すような兵器を使うくらいには」
「……」
よく考えればわかることだったのだ。
かまどの残り火が短時間で村を壊滅させられるわけがあるものか。
「下手をすれば森まで焼きかねなかったでしょう。尤も、それは私が阻止しましたが……」
凍てついた森を見渡す。これらを声の主がやったことだと言うのなら、彼は相当な実力を持った魔道士なのだろうか。
「……そうまでして俺を狙う意味は何なんだ?」
聞けば聞くほど疑問が増えていく。自分は特別な人間ではないはずだ。少なくともアナンはこの十八年、そう思って生きてきたはずなのに。
「……全ての元凶はある一つの国の存在です」
男はおもむろに切り出した。更に小さな声で、囁くようにその名を告げる。
「……クルーヴァディア」
聞き慣れないはずのその名前。だがアナンには確かに聞き覚えがあるような気がしてならなかった。
「クルーヴァディア……」
炎、瓦礫、騎士、――そして、金色の。
脳裏をよぎるおぼろげな光景。これは記憶というべきものなのか、或いは。
脳を押し流すようななにかに、アナンは動くことができなかった。
「……それって、どこなんだ?」
「それは……」
キケの声に答えかけた彼は、不意に口をつぐんだ。しばらくした後、ガサガサと茂みが動き始める。
「……話の途中ですが、失礼します」
「え⁉」
予想もしていなかった言葉に思わず二人の声が裏返る。男は二人の反応などお構いなしに、淡々と話し続けた。
「やや先に追手の気配を感じます。私も今は追われる身、ここに留まる事はできません」
そう言っているうちにも彼の声は遠のいていく。
「話の続きは……その日がくればいずれわかるでしょう。二人も早いうちにこのあたりから離れなさい。身のためですよ」
それきり声は聞こえなくなった。後にはただ、呆然と立ち尽くす二人と凍りついた木々だけが残されていた。
お読みいただきありがとうございました!
ブックマーク、感想等はお気軽に!
誤字脱字がありましたら報告していただけると幸いです。




