城下町の喫茶店
緑の蔓に彩られた赤煉瓦の壁。何処か物語の中に出て来そうな外観が特徴的な、落ち着きのある小さな喫茶店。その店の扉の前には『準備中』の文字が記された看板が掛っている。
その看板を超えて扉を開ければ、カランカラン、と軽やかな鐘が音を立てた。
「あぁ、いらっしゃい。ヒカル君」
「こんにちは、マスター。此方が御届け物です」
ルゼノ第三王子付小姓ヒカルはルゼノ王都にある、この店に出動中だ。出動とは言っても、喫茶店で働いている訳ではなく、第一王子ユエルディーネの御遣いである。
笑みを浮かべて迎えてくれる喫茶店のマスターは、まだ若い青年だ。カウンターの向こうでグラスを磨いていた彼に王子からの手紙と小包を渡すと、何時ものように手紙を確認して、小包をカウンターの向こう側に移動させる。
「どうもありがとう、何時も悪いね」
人懐っこそうな微笑を浮かべたマスターはヒカルをカウンター席に招くと、何時ものように一杯ご馳走してくれる。
遠慮?しないよ?だって辞退すると、マスターの顔が子犬がしょげ返るような表情になるんだもん。マスターはクラウディア様の忠犬ぶりとは別のイヌ科の何かだと思う。
子供は遠慮するなとばかりに、マスタはーは帰りに土産も持たせてくれる。その気前の良さも、回数を踏めば慣れるもので今では遠慮なく頂いて帰るようになった。スカイティアも貰って帰った菓子は気に入っている。
マスターと王子との関係性?何も聞かないよ?そんなの聞いたら、厄介そうじゃない。突き進んだ先で問題にぶち当たることには慣れたよ。巻き込まれもあるけど、自ら突っ込んでいくのは自重します。
此処は城下町の一角ではあるが、隠れ家のようにひっそりと佇む喫茶店。その上、『金髪』とは程遠い『赤銅色』の髪が印象的なマスターが、第一王子であるユエと手紙のやり取りをしているのだから、只者ではないのだろうことは予想できるが、突っ込んだら藪蛇だ。此処は「触らぬ神に祟りなし」と思って避けます。
「ヒカル君も大変だね、こんな所まで」
「いえ、閉じ籠っているより余程いいですよ」
第三王子の宮殿は広く、近くの馬場の利用も可能だ。しかし、そればかりでは飽きるし、ヒカル自身は運動不足にも感じる。最近はヒカルも馬場で馬に乗るようになったのだが、それだけでは運動に不足なるのは当然である。
でもね、俺用の馬ってどういうこと?財源は何処から出てるの?小姓に馬を与えるとか、褒賞にしても高すぎでしょう。
事の経緯は第四王子誘拐事件の解決後、久しくスカイティアとともに馬場へ出たら、何故だかスカイティアの馬の横に二回りほど小さな馬が並んでいたことにある。
『ヒカル用の馬だよ。陛下から、褒賞だって』
その馬は第一王子ユエルディーネ曰く、第四王子救出による功績に対しての王からの賜り物。……いや、何故そうなった?
『褒賞?馬を、ですか?』
『ほら、スカイティアも乗馬はクリアしたから、今度はヒカルも一人で乗れるようになった方が良いかなって』
『……小姓が馬に乗れるようになる必要性は?』
『将来的に長距離移動になった時用?』
そんな不確定事項の為ですか。まぁ、「備えあれば憂いなし」とは言いますけど?
だからって、小姓モドキに馬を与えるなんてやりすぎだし。馬は可愛いけど。
そんなこともあって、馬場への出入りは多くなったが、それはそれ。回想終了。
「マスターは、この店を開いて長いんですか?」
「もう十二、三年くらいかな?先代のマスターが店を離れないといけなくなって、引き継いだんだ」
「え、マスターって幾つです?」
「何歳に見える?」
若く見えるマスターは、十数年前にはこの店にいたらしい。精々二十代半ばかと思っていたが、その時期に店を引き継げたということは、もっと上の筈だ。どうやら三十歳を超えるらしい。
「三十代前半?」
「まぁ、計算するとそうなるよね~。その辺りだと思って」
カウンターでグラスを磨いているマスターは年齢不詳の顔に笑みを浮かべ、答えは不明とした。若草色の瞳が悪戯っ子のように輝いて幼くも見えるし、眼鏡を掛ければ落ち着いた大人のように見える。城下の何処かに紛れ込んでも、その印象の差異が要因で分からない気がする。
「……マスターって、もしかして情報屋なんですか?」
「どうして、そう思う?」
きょとん、とした表情はやはり子供の様で。しかし、面白そうに眼を眇めた瞬間、悪戯っ子のような、何処か反応を窺うような様子を見せる。
「お店は人が集まるし、マスター自身が人懐っこそうに見せたり、落ち着いたバーテンダーに見せても、人から話は聞き易いでしょう?此処は昼間は喫茶店だけど、夜はお酒も出しているみたいだし……お酒で口が軽くなりそうですよね?」
「あははっ、はっきり言うね?」
「それに、この店って不定期に休みますよね。城下に買い物に来た時、昼間なのに営業していなかったんですけど、店の中には複数の人影がありましたし」
マスターはユエの知人で、城下における第一王子の〈耳〉という認識だが、間違いではないだろう。……あ、やべぇ、結局突っ込んだ。
「そうだね、半分正解で、半分不正解かな」
「何が正解で、何が不正解?」
「情報屋ではあるが、それは何もユエ様だけの為にいる訳ではない」
「つまり、第一王子他の〈耳〉ですか」
嘗てルゼノの王都を震撼させる情報を齎した〈黒の予言者〉のような立場ということか。……マスター、渡す情報と相手は良く吟味して下さいね?
「どうやら、〈黒の予言者〉のことは知っているみたいだね?」
「えぇ、有名ですし」
というか、この黒髪が忌避される理由の根源だし。
いえ、〈黒の予言者〉様に恨みなどありはしません。寧ろ恨むべきは自分の無知無能を棚に上げて、避難警報を怠った当時のお偉い様方ですけど?
「黒猫が横切ると、不幸が訪れるっていうよね」
「黒猫が不吉の象徴とされた話ですか」
何処かで聞いた話に、ヒカルは双眸を眇めた。
黒猫や黒い鴉は不吉の象徴とされる。カラスが集まる場所には死骸があるとか。そもそも喪服が黒色などの暗色系統だから、『黒』を纏うそのものが縁起が悪い印象になっていると言うか。
「それ、正確には『幸福の象徴である黒猫が去ることで、幸せが逃げる』ってことらしいよ」
マスターに何でもないことのように告げられた話に、思わず半目になる。
「……解釈が真逆じゃないですか」
「そうそう、国によって【幸福の印】が異なるから一概には言えないけどね……ほら、少し前に騒動があっただろう?『黒髪』を持つ者がルゼノ王都で見かけられたってことで、また王都に禍が起きるんじゃないかって」
クラウディア様が喝を入れた、アレか。『黒髪』の人間が目撃されたことで王都がざわめき立ち、騎士団が警戒に当たる必要に駆られた案件だ。
「……黒猫と同じ扱いですか」
「彼らは禍を防ぐ為に…その警告しに来てくれているのに、彼らが禍を齎しに来たなんて噂するとは、随分と見当違いなことを言うじゃないか」
まるで当時のことを怒るように、吐き捨てるような口振りだ。彼もまた当時の事件によって、何かを抱える人物なのかもしれない。
「マスターは何か知っているのですか?」
「ヒカル君はさ、ユエ様からこの喫茶店や僕のことをなんて聞いて来たの?」
「知人が喫茶店を開いているから、そこに手紙を届けて欲しい、と」
「詳しいことは聞いていないんだね」
マスターは少し考えるように悩むと、何かに気付いたようにはっとして時計を見上げた。すると、慌ててメモ用紙にペンを走らせた。
「ごめん、今日は駄目だった。これ、ユエ様に宜しく」
「お忙しいのですね…分かりました」
突っ込まない方が良いだろう、とヒカルは渡された紙の中身を見ないようにして懐にしまった。
店の休日イコール客人と会う日という方式ならば、納得だ。ヒカルがユエに使いに出される日は決まって、店の前には『準備中』の看板が掛っているのだから。
「すまない、この話はまたゆっくりね」
「はい、ご馳走様でした!」
礼を述べて、ヒカルは早々に店を後にしようと席を立つ。懐の手紙を確認して、扉に手を掛けた。
「――おや、珍しい」
軽やかな鐘の音とともに聞こえた、低くて綺麗な声。陽射で丁度影になった顔は見えなかったが、目を凝らすと、陽射しを紡いだような金の髪が見えた。
ぱちぱち、と瞬いて、その顔を見上げると、何故か既視感を覚えた。
秀でた額に、思慮深そうな深青色の瞳。金を紡ぎ出したような濃い金髪。王城で見るには珍しくない組み合わせだが──。
「いらっしゃいませ、アーベント伯爵。お早いご到着ですね」
カウンターを超えて──ヒカルを見送りに来たのか、それとも客の出迎えか──出入り口まで来たマスターは恭しく客人らしき金髪の貴人に挨拶を述べる。
(アーベント、伯爵…?)
何処かで聞いたことがある名前だ。何とか記憶を掘り起こそうとすると、該当するものがおぼろげに出て来た。それは確か…そう、ヒカルが誘拐された事件に遡る。
『レーウィス……?あぁ、あのアーベント家の倅か。あちらこちらに取り入っているようだが、あんな若造に儂が劣ると?まったく、これだから奴隷は……』
ヒカルを誘拐し、第一王女アルトステラを脅迫した何某伯爵腹狸の台詞である。……名は忘れた。覚える気もないけど、そもそも名乗られていないし。
(今更だけど、若造に劣るって……そもそも王女に追い落とされてるじゃないか。負け惜しみというか、何と言うか)
それはさて置き。つまり、今この喫茶店で鉢合わせしたのは、レーウィスの父親ということになるのか。
(ヘラーザの時も既視感を覚えたけど……レーウィス殿って、ご両親のどちらにも似ているんだな)
レーウィスはどちらかと言えば母親の要素が濃いが、親子と言われれば納得できるくらいには父親にも似ている。遺伝が確りと受け継がれている子供だったようだ。
(ん?待って、この人がレーウィス殿の父親だとしたら…)
はた、と気づいて、ヒカルは表情筋を引き締める。
「あぁ、所用が早く済んだのでね。邪魔をしてしまったかな?」
「いえ、まさか。どうぞ。……ヒカル君、またおいで」
「はい、失礼致しました」
ヒカルはマスターに再度礼を述べ、恐らくレーウィスの父親であろう貴人にも失礼のないように距離を取ってから店を後にした。
「あの人が、レーウィス殿の…?」
帰り道の最中、ヒカルはぼやいた。
城下でも、表通りは人がごった返すような雑踏だが、裏通りの小道は閑散としている。髪色を隠す必要があるヒカルにとっては、この道が王城まで戻る近道となる。人目がないから、足の長さが足りないヒカルでも歩く速度が自由だ。人に流されることもなく、走ることも可能。
ぶつぶつと一人呟くのは、先程遭遇した男性──アーベント伯爵のことだ。レーウィスの父親だと言うことは、ほぼ間違いないだろう。容姿も印象もよく似ている。
しかし、彼はヘラーザの夫──元・夫というべきか。ヘラーザから聞いたアーベント伯爵の印象は冷酷で、非常に貴族らしい貴族というものだった。レーウィスの弟として生まれた子が『黒髪』だったから、その赤子を切り捨てた男。そして、ヘラーザを捨てるように離縁した男。
(ヘラーザは、今も彼を恨んでいるのだろうか…)
ヘラーザは女神のように美しい、と誰かが言った。
奴隷商館のような場所に現れる女神などいるものか、と鼻で嗤った。彼女の、案じる様な愁いを帯びた眼差しが向けられていることなど、気づかずに。
「……あれ」
裏街道の小道は閑散としていて、人気は全くない。だからこそ物音や声がすれば、すぐに気付く。
「──だから、ヘラーザ」
「でも…」
一組の男女の声が進行方向とは外れた小道の奥から聞こえて、ヒカルは足を止めた。静寂に包まれていた通路に響くのは、何処かで聞き覚えのある声だ。
そっと声がする方を覗き込めば、場違いな程に美しい、煌びやかな金の髪が風に靡いていた。
瓦礫の様な廃墟に佇む、一組の男女と思われる人影。手前で金色の髪を棚引かせる女性がヘラーザだ。道理で、聞き覚えのある声だと思った。
背景の崩壊した建物は、過去に津波にでも襲われたのだろうか、と彼らが佇むその方角に海があることを思い出して、ヒカルはその原因に当たりを付ける。
「……忠告はしたよ。……なら、今…」
微かにしか聞こえないが、余り穏やかな会話ではなさそうだ。邪推するようだが、相手はヘラーザの恋人だろうか。
レーウィスの父親と別れてどれくらい経ったかは知らないが、夫と離縁したならば、他の男と逢瀬を交そうと不倫には該当しない。仮に、ヘラーザに新しく恋人や夫がいたとしても、誰にも咎められはしないだろう。……レーウィス殿は複雑だろうけど。
先程アーベント伯爵と邂逅し、更にその元・妻のヘラーザを見かけるとは今日はどういう日だ。
これは見なかったことにしよう、とヒカルは踵を返した。
俺は何も見てない。何も知らない。ただ願うは、過酷な境遇にあったヘラーザに安寧が訪れていますように、ということだけだ。




