ライゼルスの王女
「──今頃、お兄様とヒカル様のお話は着いたでしょうか」
ライゼルス王城の一角、隣国ルゼノの客人を招いた建物の庭先でライゼルス第三王女ルカリアとルゼノ第二王子クラウディアは向かい合って茶を嗜んでいた。
今ルゼノ一行が滞在している部屋の一室で、ライゼルスの王太子アレクシスとルゼノの小姓ヒカルが対話中である。その部屋で同席しているスカイティアとレーウィスは、ヒカルの保護者枠である。
(……スカイティアはヒカルの主人ではあるが、保護者になれているのか謎だな)
エリステオ伯爵家の問題に関しては、ヒカルとアレクシスが話すしかない。この場合、身分差とか言っていられない。ヒカルが王族に関わることなど今更なのだが、此処は最近一部に於いて変貌を遂げているルゼノではなく、隣国ライゼルス。だからこそ一応、表向きはヒカルの主人であるスカイティアに話を通すという形になっている。スカイティアが部屋にいるのは、寧ろその為であったりする。
そんなところに大人数いても邪魔だろうということでシュナイザー伯爵はもともとの仕事上、帰国前の最後の調整をしに王宮の方へ向かい、クラウディアは休憩も兼ねて主催の一人、ルカリアと懇談していた。
「えぇ、恐らくは。万一ヒカルに失言があれば、その寛大なお心で取り成して頂くと大変助かりますが」
「まぁ!ヒカル様でしたら、そのようなことはないと思いますが。他ならぬクラウディア殿下の頼みでしたら、私からお兄様に進言致しますわ」
クラウディアに微笑みながら、ルカリアは承諾する。
「感謝致します、ルカリア殿下」
「それくらいお安い御用ですわ……その、クラウディア殿下」
「何か?」
快諾され、ほっと息を吐いたクラウディアだったが、目前で表情を改めたルカリアに首を傾げた。
「もし、宜しければ私のことを『ルカ』と呼んで頂けませんか?」
「宜しいのですか?私が、ユエ兄上達と同じようにお呼びしても」
「はい。その代わりと言っては何ですが、私は『クラウ』様とお呼びしても宜しいですか?」
「構いませんよ、ルカ殿下」
唐突なルカリアの提案だったが、クラウディアは納得した。
聞えてくる、低い草を踏みしめる足音と掠れる布地の音。
(どうやら、第三王女殿下は自ら自国の動きを牽制して下さるようだな)
クラウディアは紅茶のカップで口元を隠して忍び嗤う。ルカリアと目配せをして、軈てやって来る最後の敵を待ち構えた。
「──あら、随分と楽しそうね。ルカリア」
聞こえてきた、良く通る声。光沢を持つ明るい茶髪を揺らし、装飾品で全体を飾り立てた女性がやってくる。
「まぁ!メイフィアお姉様、どうされました?本日はご友人とのお茶会とお聞きしていましたが…」
「えぇ、残念ですけど急遽中止になりまして…」
ルカリアが席を立ち、異母姉であるライゼルス第二王女メイフィアと対峙する。
明度の高い茶髪に吊り上がった深い緑色の瞳、王妃譲りの美貌を鼻に掛けた傲慢さを持つ王女。未だ婚約者がおらず未婚なのは何処かの国の王妃の座を狙っているからだという噂のある、野心家だ。国内外から縁談の申し出が後を絶たないという話を夜会で聞いたが、少なくともクラウディアにとっては魅力的な王女には映らない。
女性の美醜など分からない心算だったが、これは好みの問題だろうか。どう見ても、傲慢さが顔に出ている。自国で猫を被れとは言わないが、少なくとも外交の一環でやって来ている隣国の王子の前に、何の先触れもなく訪れるとはルゼノを格下に見ているにも程がある。
クラウディアも外交で訪問している以上、問題を起こすことはルゼノの恥だと思うし、事を荒立てずに済ませられるならそれを望むが。
「ところで、其方はルゼノの王子殿下ではありませんこと?失礼致しましたわ、私…」
「クラウ様、此方は私の姉であり、ライゼルス第二王女メイフィアと申します」
メイフィアの視線がクラウディアに映った所で、ルカリアがやや強引に異母姉の言葉を遮るようにして紹介する。あくまでもルゼノの使節を招いたのは第三王女ルカリアであると示し、クラウディアを愛称で呼ぶことで仲の良さを強調する、といったところか。
「……此方はルゼノ第二王子クラウディア殿下ですわ。お姉様」
「お初にお目に掛かります、メイフィア王女殿下」
「っ!ご丁寧に……メイフィアですわ、お会いできて光栄です。クラウディア様」
異母妹に出端を挫かれたことで表情を一瞬顰めたメイフィアだったが、流石に取り繕う頭はあるようだ。
「ルカ様、ご紹介を頂きありがとうございます」
「こうしてお会いできたのも、何かのご縁でしょう。是非とも仲良くして頂きたいですわ」
「ルゼノとライゼルスの友好は是非とも続けて行きたいですね」
仲良くしたいのは国としてであって、お前とではない(意訳)と告げて、クラウディアはルカリアと微笑み合う。見る者が見れば、既に親しい間柄であることは分かるだろう。
メイフィアの何処か不満に満ちた視線を感じ、「どうしました?」とわざと何も分からぬとばかりに首を傾げれば、彼女は首を振って否定した。
異母姉妹というのは何処も問題だが、先日の夜会による反王家派──要するに現王太子であるアレクシスに反する派閥──の捕縛で彼女の地位は揺らいでいる。
数多あるという求婚相手の中で選んでおけばよかったのに、野心を抱いて虎視眈々と狙っていた王妃という地位を得るための力が削がれて焦っているのだろう。つまり、ライゼルス国内での候補であった有力貴族が失脚したという証左だ。
「……そ、そういえば、クラウディア様のお母上は確かシーザス公爵家ご出身、ですわよね」
「えぇ、そうですが」
ルゼノの三大公爵家の一角、シーザス公爵家。肥沃な大地を割り振られた初代シーザス公爵は嘗て王家の忠臣だった。代々王家の剣として仕えて来たと言うのに、今は王家を軽んじる野心家一族となっていた。
時代の流れとともに薄れ、軈て消え去った王家への忠誠心は、分不相応な野心へと変り果てる。嘗て初代シーザス公爵が王家より下賜された肥沃の大地による恩恵が、他家への優越感とともに更なる欲望を掻きたてたのだろう。虎視眈々と王家の乗っ取りを企て、王が代替わりする度にその正妃の座を狙って妃を送り込み、次の王の座を狙うのは他家とも変わりないことだが。
(まぁ、それも終わりを告げる)
既にシーザス家は首輪付。度重なる罪の重さにより、彼らの私財は徐々に凍結されていく。その先に待ち受けるのは没落の一途を辿る未来だけだ。最後には初代の公爵により繁栄した領地すらも没収されるだろうから、初代に何と顔向けすればいいのやら。
「シーザス公爵家の領地の方には帰られているのですか?」
「いえ」
そもそも帰る理由などない。
クラウディアが短く答えれば、メイフィアは羽扇を構えて鷹揚に首を傾げた。
「まぁ、どうしてですの?とても素晴らしいところだとお聞きしますのに」
「私は王子であると同時に国を守る騎士ですから、これでも忙しい身なのですよ」
序に言えば、あの一族はルゼノ王家の敵であり、既に王家から見放されて処罰を待つ者がいるだけ。あの領主が大人しくしている筈はないが、既に動けない状況にあるのだろう。……まぁ、国外に漏らす情報ではないので言わないが。
「そ、そうなのですね。クラウディア様のお噂はかねがね……是非、一度ゆっくりとお聞きしてみたいと思っていましたのよ」
「そうですか」
そっけなく答えるクラウディアに、メイフィアは歯噛みしそうになって扇で口元を隠した。クラウディアに言外にも「仲良くする気はない」と示されながら、此処まで食い下がるのだから立場の危うさを理解しているのだろう。……まぁ、彼女自身に処罰らしい処罰が下るかはライゼルスの判断であり、客人であるクラウディアは関与できないが。
「まぁ、もうこんな時間ですわね。クラウ様、申し訳ありません。折角、お休みの時間を割いて頂いたのに…」
会話の切れ目にルカリアが割って入り、メイフィアに「これ以上は無駄」と言外に告げる。クラウディアに取り入ろうにも、既にルカリアという壁がある。ルゼノに取り入る為の鍵はルカリアだと周囲に示されたのだ。
「いえ、ルカ様、これも何かのご縁でしょう。ユエ兄上とステラ姉上にも、ルカ様並びにアレクシス王太子殿下のお話を沢山できます」
「まぁ!光栄ですわ、お二人に宜しくお伝えください」
ライゼルスにとって、王太子アレクシスと第三王女ルカリアは港を有するルゼノに対して失えないカードとなる。それは王太子アレクシスの王位継承を邪魔できないカードにもなるのだ。
……アレクシス王太子殿下を快く思わなくても、ルゼノと事を構えたくないと思う勢力は多いからな。アレクシス殿下の手腕を疑う訳ではなく、ただライゼルスとの友好的な関係をルゼノも望むだけだ。平穏が一番である。
「では、メイフィア殿下、これで失礼致します」
「お送り致しますわ、クラウ様」
「え、えぇ、それでは失礼致しますわ…」
ぎり、と唇を噛み締め、メイフィアはその場に立ち尽くす。その睨み付けるような視線を感じながら、クラウディアとルカリアは別棟へと向かった。
「──これで余計なことを考えなければいいのですが」
やや挑発的な対応ではあるが、メイフィアは自分の立場を理解できないほど愚かではない。そこまで愚かならば、先日の夜会にもノコノコと現れ、一緒にお縄についていただろう。……まぁ、あの捕り物のお蔭でクラウディアも説教対象になったが。いや、自業自得なのだから文句は言えない。
「えぇ、その後の対応は私達にお任せを。そこまでご心配を頂いて、ありがとうございます」
「これも、ルゼノとライゼルスの友好の為ですから」
「勿論、存じておりますわ。ですが、個人的にもクラウ様が仲良くして下さると嬉しいです」
ルカリアの紫紺の瞳が煌めいて、クラウディアを捉える。メイフィアのような高圧的な印象はなく、美人だが、それを鼻に掛けた印象もない。国外初の友人が隣国の王女と言うのも不思議なものだが、これも土産話になるだろう。
「えぇ、勿論。私の方こそ光栄です、ルカ様」
「もし、ご迷惑でなければ、帰国されてからもお手紙をお送りしたいのですが」
「えぇ、是非。今後のことも知りたいですし、ユエ兄上やステラ姉上も喜ぶかと…」
「……クラウ様って、本当にご兄弟を大切にされているのですね」
はて、そう見えるのか。勿論、庇護し続けてくれる異母兄達に感謝しているし、大切にしたいとは思っているが。……その内、ヒカルに「ユエ様とステラ様に似てきましたね」とでも言われそうだ。
「そう見えますか?」
「はい、とても」
「アレクシス殿下も、ルカ様を大切に思われているかと存じますが」
同腹の兄妹という者がいないルゼノの王族では、同じ血の流れる兄妹は仲の良いものなのかと思わず和むが、先のメイフィアのように異母姉妹というのも当然いる訳で、必然的に同腹同士の結束が強くなるのだろうか、と邪推もする。
「えぇ、お兄様はとても大切にして下さいますわ」
「それは何より」
此処で「兄弟は仲の良い方が望ましい」とか、言える立場ではない。何より過去の自分は如何なのだと言われてしまうだろう。
(あぁ、それこそヒカルやレーウィスに生温かい目で見られそうだな)
何気ない話を紡ぎながら滞在する建物について、クラウディアはルカリアに礼を述べた。しかし、主催とはいえ女性に送られては騎士の名倒れである。このまま王宮に回ってもいいが、それよりも今ならば彼女の実兄がいるかもしれない。
「あぁ、アレクシス殿下がまだいらっしゃるか聞いて参りましょう。いらっしゃれば、ご一緒に戻られる方が…」
「クラウ様、私はライゼルスの第三王女です」
「はい、存じておりますが?」
今更何の確認だろうか、と首を傾げるクラウディアに、ルカリアは意味深に微笑んだ。
「その王女の二つ名を、お忘れですか?」
「……〈ライゼルスの狩人姫〉ですよね」
狙った獲物は逃がさない〈狩人〉。故国の第一王女アルトステラも〈冷静で聡明な王女〉〈気高い星の王女〉と評され、またその手腕を褒め称えられる反面、畏怖される存在だが、この目の前にいる王女もまた自国で称賛され、畏れられる異名を持つ程の手腕を持つ。
だが、それは詰まるところ。
「お慕いしております、クラウ様」
飾らぬ、実直な言葉である。〈ライゼルスの狩人姫〉の次の獲物は、どうやらルゼノの第二王子クラウディアであったようだ。
(さて、どうしたものか)
頭の中に巡る選択肢の中から、果たして自分は何を選択したのか。
クラウディアはその後、どうやって〈狩人姫〉と別れたのか覚えていなかった。




