ヒカルの過去2
「──奴隷達の墓です」
エリステオ伯爵邸の敷地の隅には、嘗ての仲間達が埋まっている。
そう告げただけなのに、同行者一行は静まり返った。
「「え…?」」
漸く愕然と声を漏らしたスカイティアとアレクシスに、ヒカルは補足する。
「まぁ、墓と言うにもお粗末な、ただの遺体が埋まっている場所ですが。態々掘り返したりしないでしょうから、あれば確定です」
そう告げて、ヒカルは屋敷の庭園へと向かう。定期的に剪定された庭園は美しいが、それを過去に思うことは無かった。
視界に映る景色にとともに記憶を辿る。その全てが、カナリアと伯爵に支配された生活だった。
「待って、ヒカル。一人で先に進まないで!?」
「え、速かったですか?」
「そうじゃなくてね?」
スカイティアの慌て振りに、ヒカルは首を傾げる。勝手に進んだことを咎められたのかと思えば、そうではないらしい。
「……ヒカル殿、順を追って欲しいのだが、君がエリステオ伯爵邸にいたのは間違いないんだね?」
「えぇ、思い出したくもない記憶ですが」
「それはすまない」
ライゼルスの王太子であるアレクシスに謝罪され、ヒカルは首を振る。
アレクシス王太子殿下、逐一謝らないでくださいな。荒んだ時代を経て強くなった心算ですし、当事者でない方に謝罪されるのは違うのです。……あぁ、俺の言葉が皮肉っぽいのか。
「一言余計でしたね。それで、何でしょう?」
話を進めましょう、と促せば、アレクシスはヒカルではなくクラウディアに声を掛けた。
「クラウディア殿下、ヒカル殿のこれは正常な反応なのか?」
「えぇ、通常運転です」
「……そうか」
何処か疲労を感じさせるような応答に、ヒカルは首を傾げた。
何故にそんなにもお疲れなのでしょうか。事件解決を急ぐ理由は分からなくもないですが、王太子が倒れては不味いでしょうに。……というか、意図せずともクラウディア様とアレクシス殿下は仲良くなられたようですね。それは僥倖。
「……聞きたいことが増えたが、一先ず、その墓とやらも見ておきたい」
「王太子殿下がご覧にようなものではないと思いますが、ご覧になるなら鼻と口を覆っておいた方が宜しいかと。掘り返さなければ恐らく大丈夫でしょうけど、腐敗した遺体は悪臭を放ちますからね」
「……随分と詳しいな」
「その手の仕事をするのも、奴隷ですから」
寧ろ、後始末の為の人員と言っても過言ではない。あの伯爵も悪趣味だが、娘の方も大問題であった。
何処の誰の代わり知らないが、容姿が似た──黒髪黒目の若い男や子供。意中の男を重ねたのであろう『ルーイ』と呼ばれる奴隷達が集められた、彼女のコレクション部屋は何とも異様であった。
多い時で、八人くらいだろうか。年齢がまちまちだったが……それぞれカナリアの望む対応をするように集められた、疑似的な恋人役だ。カナリアが望んだことができなければ、最悪首を刎ねられる。……あぁ、意中の男に似ていると言う理由で選ばれたのに、意中の男本人ではないからと言う理由で理不尽に始末された男もいた。
ヒカルの先導のもと、エリステオ伯爵邸の敷地の片隅にやって来た。
剪定された庭園とは裏腹に、打ち捨てたかのような土だけが溢れた一角。目印などありもしないが、却って何もないそれこそが、彼らがいた証明。
「土の山がひとつ?」
「一度大量に処分されましたから、纏めて埋めたのでしょう。掘った穴に入りきらなかったから、上から土を掛けたのかと」
指示を受けた騎士がスコップを持ってきた。掘るらしい。
「……君の知り合いも此処に?」
「えぇ…まぁ、あの部屋にいた者は殆ど知り合いでしたよ。顔だけで選ばれたある子供は、言葉の発音が違うと言う理由で二日で処分されましたが」
「っ…!そうなのか…」
息を呑むアレクシスに、騎士が声を掛けた。土を掛けただけの奴隷達の墓はあっさりと掘り返され、彼らの遺体が現れたらしい。鼻を突く腐臭に、貴族で育ったであろう騎士達は顔を顰める。
「あぁ、その服……今お話ししていた子供が来ていたものですね」
確かに、覚えている。彼の声も姿も。たどたどしい言葉で伯爵と娘の名を呼ぶ彼に眉を顰め、用心棒の男に連れて行かれた。その先は話の通り。
「全て、掘り返せ。一人残らずだ」
絞り出すようなアレクシスの声に、ヒカルはそっと息を吐く。
アレクシスは誠実な人柄だ。アレクシスから見た彼らは奴隷ではなくとも、王太子が気に掛けるような地位ある者達ではない。それでも、彼らの死を悼んでくれる優しさは好ましい。
……いや、別にユエ様達がそういう優しさがない訳じゃないよ?ちょっとアレな部分が目につくだけで。
罠を張った夜会で不穏分子を一斉に捕縛するくらいには、アレクシスも法に乗っ取った判断をする王族らしい人間だ。それは、国の頂点に軈て立つ人間として必要な行動力だ。冷酷に見えても、人間としての情が確かに感じられる彼はユエとステラが信用し、溺愛する異母弟達を預けるに値する人物なのだろう。
「ヒカル殿、申し訳ないが。彼らのことを詳しく教えてくれないだろうか」
「えぇ、勿論です」
遺体を掘り返すにも時間が掛る為、場所を変えようと伯爵邸の中に入る。華美な装飾に懐かしさを覚えた。しかし、屋敷で働いていたであろう使用人の姿はない。
「働いていた使用人達は預かっている状況だ。この屋敷も、出入りしていた人間も捜査対象だからね」
「成る程……では、屋敷には誰もいないのですね」
「あぁ、案内役に連れてくることも考えたが、君の話を聞きたかったからね」
「左様で。大人数を連れて来ても邪魔でしょう」
伯爵邸はその規模もあり、働いている人数も多い。その使用人全員を監視しているとなると、かなりの人員を割いているだろう。……まぁ、王太子だし、動かせる人員は多いのだろうが。
「しかし、私が案内できる場所は限られていますよ」
「あぁ、知っている範囲で構わない。正直、君と伯爵との関係は予想外だったからね」
「では、私が住んでいた部屋に行きましょうか」
ヒカルが与えられていた部屋は二階だ。階段を上がり、大広間の扉を開ける。記憶に違わない、華やかな部屋だ。
「此処は…」
「娘のカナリア嬢の部屋も兼ねているのですよ。私は、当時いた奴隷の中でもお気に入りだったようでして」
ヒカルは奴隷として飼われながらも、一般的な労働力ではなく愛玩人形のような扱いであった。
カナリアの意中の男が好んでいたのであろう色や意匠の服を着せられ、珍しい茶葉と食事は申し分なくも、自由はない。全てをカナリアが望むままに染められていく生活は衣食住は足りても、何時処分されるかわからない恐怖に包まれていた。
どれだけ彼女の意中の男を演じようと、彼女が見ていたのはその意中の男であって、ヒカルではない。それは他の奴隷も同じことだ。それが、まるで人格は勿論、存在の否定であったことは誰の目にも明らかだった。
「どうにも私には理解できない趣味を持っているようだな、カナリア嬢は」
「まぁ、趣味嗜好は人其々ですが、私にも理解はできません」
性別・身分の垣根の問題を超えて、例え同じ階級の令嬢であってもカナリアの趣味を理解し、賛同できる者は多くないだろう。
「その達観し過ぎた思考力が、空恐ろしい。あの親子に何か言ってやることは無いのかい?」
「言いたことなら沢山ありますが、権力の伴わぬ者の発言は意味を持ちませんでしょう」
「今なら罵詈雑言でも浴びせられるよ?今の彼らは罪人だからね。隣国の小姓とはいえ、客人である君の方が明らかに立場は上だ」
「……特別、必要性は感じませんが」
アレクシスの提案は、ヒカルの情報提供への配慮だろうか。今回ライゼルスの不穏分子排除に加勢したのはルゼノとライゼルスの利害が一致したからであり、ヒカルとエリステオ伯爵のことは別件だ。
「では、代わりに何か願いはないか?私の叶えられる範囲ならば、叶えよう」
「願い、ですか」
特に何も求めてはいないが、強いて願うならば──。
「アレクシス殿下、庭の発掘が終わりました」
「……そうか。ヒカル殿、確認を頼めるだろうか」
アレクシスと、何故だか報告しに来た騎士の案じる視線が痛いが、ヒカルは承諾した。
……あの、心配して下さらなくても大丈夫です。寧ろ、願い出るなら遺体の確認だったのですから。
報告に来た騎士によると、掘り起こされた遺体の数は二十体に上ると言う。庭先に降りて、布を掛けられた遺体と対面した。因みに、クラウディアとスカイティア、そしてレーウィスもいる。護衛騎士を数えるのは止めたが。
……クラウディア様は兎も角、スカイティア様は止めておいた方が良いのではないですかね。絶対、耐性がないでしょうに。
土中では腐敗する速度が落ち、人間と骨の境のような状態の遺体が多いと言う。肉が削げ落ち、人相が分からない者は持ち物で分からないかと問われ、顔を見せて貰えた遺体はなかった。腐敗途中の遺体は見せられない、と。
それでも鼻を衝く腐臭に表情を顰める者も少なくなく、それが彼らが生きていた証明なのだから悲しいものだ。
「……二十体の内、私が屋敷にいた間に埋められたのは六人です。持ち物で特定できるのは、四人しかいませんが」
始末された子供と同じく処分された時期と身に纏う衣服や装飾品が分かれば、その遺体が誰だか分かる。
「この金の飾りはシャオラン。このブレスレットはマオ……エメラルドはジョン・レイが最後に着けていたものですね」
カナリアから『ルーイ』と呼ばれる意中の男と重ねられた奴隷達は皆、仲間だった。全員がカナリアからは一様に『ルーイ』と呼ばれていたが、仲間内では別の呼称をそれぞれ使っていた。それが本名なのかは分からないけれど、彼らはもういない。
「あぁ……この意匠はルシル様のものです」
最後の遺体の前に置かれた、濃紺色の布切れに刺繍された意匠はエリステオ伯爵家の家紋だ。
「ルシル?確かエリステオ伯爵の甥も同じ名前では…」
「えぇ、彼が俺を助けてくれました」
「それはどういう…?」
困惑した様子のアレクシスに、ヒカルは目を眇めた。振り返る過去は、生々しくも悍ましいものだったが、彼の無念を晴らすには安いものだ。
(……今更だと言われるかもしれないが)
嘗てヒカルがエリステオ伯爵邸にいた頃に出会ったルシルは、王宮に務める新米の文官だった。
彼は昔からエリステオ伯爵の娘への溺愛振りに頭を悩ませていた。しかし、まさか奴隷を集めていることは知らず、ただ疎遠になっていたこの屋敷に所用で訪れた際、その溺愛の不可解な方向性に気付いたのだ。
最初は精神的に幼い面のあるカナリアに対し、特別な役割を与えられた使用人という程度の認識をしていたルシルだったが、その役割を与えられた者が金で買った奴隷達であり、カナリアの要求に応えられなかった場合には処分されていたことを知った。
「伯爵を問い詰めた結果、帰らぬ人となりました」
「助けられた、と言うのは?」
「問い詰める前に、逃げ道を示してくれました。万一にも自分が戻らなかったら、この屋敷にある隠し通路から外に逃げて助けを求めろ、と」
本当はライゼルス王家に知らせるべきだったのに、できなかった。アレクシスのような王族がいるならば、信じていればよかったのに。
でも、信じられなかった、ルシル以外が。カナリアの気に入りであるヒカルに手を伸ばしてくれたのは、彼だけだったから。
屋敷にいる者は雇用主である伯爵に逆らえないのだと、今なら分かる。しかし、当時はどうしても同じ立場である者以外が信じられなかった。
だから、逃げた。走って、何処か知らない場所に行きたかった。
奴隷であった仲間は皆、庭に埋められた。埋められるところを見ているしかなかった自分が恨めしかった。そんな自分が何処までも、醜悪で汚い人間だと思った。
──そんな俺を知る人間が、誰もいない場所に行きたかった。
振り返れば振り返るだけ、生々しくも悍ましい自分の醜悪さしか残らない。彼を見殺しにして、他の者達を見捨てた自分だけが生き残った。彼に託された伯爵家の告発という任務からも目を背けて逃げ出した。
──これを卑怯と言わずに、何と言う?
「彼自身が告発することはしなかったのかい?」
「さて、そこは彼の心境ですから私が語れることは何も。ですが、もしかしたら彼自身は賭けていたのかもしれません。伯爵家当主の王家への忠誠心を」
結果は、儚く裏切られたけれど。
もし、エリステオ伯爵家の悪行がもっと早くに明るみに出ていたら、先日のような事態は避けられたのだろうか。……スカイティア様が狙われるような事態は避けられたのか。
今更振り返ったところで時間は戻らないし、彼らが帰って来る訳でもない。
それでも、目を背け続けることだけはしたくないから。
「私が、あの家の問題の発覚を遅らせたようなものです。申し訳ありませんでした」
せめて、彼の前で謝罪しよう。今更遅いと言われようとも、罵倒と誹りも幾らでも受けよう。
ヒカルにとって今ライゼルスに来た意味があるとしたら、きっと過去の一件へのけじめをつけることだから。




