夜会の結末
闇に染まった窓辺に寄りかかる、痩身痩躯の影。それは、白い外套を頭から被った、女性であった。
まさか、此処まで登って来たのか?或いは、最初から潜んでいたのか?
幻想的な姿をしていると思う。背中に流した金の髪と外套下から覗く青い双眸が、一つ一つのパーツが整ったその端正な顔立ちが、まるで何処かで見た絵画に描かれた女神のようで。それは、まるでこの窮地を救いに来た大天使の如く、何処か神々しさも兼ね備えた姿をしていた。
……あれだ、ユエ様に対してお伽噺の王子様を強制的に思い浮かべさせられるような。中身は為政者の王子様だけど、見た目は本当に御伽話を体現した見た目なのね。
王宮と言うのは、中々美形率が高いものである。地位や財産、美貌等々政略的価値のある要素を兼ね備えた者同士が婚姻を結ぶ以上、それなりが平均値なのだろう。カナリアも性格と趣味を覗けば、顔はそれなりである。とはいえ目の前の女性は、その印象からしても整い過ぎた美貌の持ち主ではあるが。
美形の真顔は怖いと言うが、笑っていても怖いのは何故だろう。カナリアが霞む程の美形さんはただそこで笑っているのに、妙に迫力があるのだ。
「誰…?いえ、どうして…?衛兵は…?」
「王太子殿下の騎士やルゼノの騎士が取押さえているわ。ただの私兵が正規の騎士に勝るとでも?」
くすくすと笑う声が、部屋に響く。まるで全てを見透かしているかのような女性の台詞だ。ゆっくりと窓から部屋の中央──スカイティアが倒れた位置やってくる。
カナリアの様子からして、彼女がエリステオ伯爵の手の者ではないことは確かでも、だからといって敵でない確証は何処にもない。しかし、今ヒカルにできることは精々警戒心を剥き出しにして、様子を伺うことだけだ。
「あらまぁ、ルゼノの第三王子は薬でも盛られましたか…まったく、エリステオ伯爵はカナリア嬢を大層甘やかされたと聞き及びましたが……こんな手段に出られるとは」
呆れたとばかりに溜息を吐く彼女は深青の目を眇めて、カナリアを捉えた。
「カナリア…!?外に…!」
部屋の外に出て行った筈のエリステオ伯爵が慌てた様子で戻ってきた。その部屋の中に招かれざる客を見つけ、彼の表情は強張った。
「あら、主犯の登場ね」
「ば、馬鹿な…!まさか…」
愕然と目を見開いた、まるで信じがたいものを見たようなエリステオ伯爵だったが、彼が何か言葉を紡ぐ前に女性は軽やかな身の熟しで移動し、伯爵を蹴り飛ばした。……まさか女性から蹴りが出るとは思わなかったが、思わずそのクリーンヒットに感嘆してしまう。
「お、お父様…!?」
唐突な出来事に、カナリアの悲鳴は喉に詰まったように掻き消える。女性は動かなくなった伯爵を確認すると、カナリアを手刀であっさりと気絶させた。……物凄い早業だ。手慣れている。
事の成り行きを見ていることしかできなかったが、警戒は緩められない。彼女が何処の誰なのか、ヒカルは知らない。いくらエリステオ伯爵の仲間でないとしても、彼女がライゼルスの強硬派団体と無縁とは限らないのだ。
「ごめんなさい、少し眠っていてね?」
「え…?」
不意に微笑みかけられたかと思うと、白い布を口と鼻に当てられた。思わず吸ってしまった甘い匂いが鼻孔を通って、目を見開く。
「…!?」
「ヒカ、ル…!?」
スカイティアの悲鳴に似た呼掛けに応答はできない。
「──大丈夫、ただの睡眠薬よ。眠りなさい、目が覚める頃には終わっているわ」
瞼が落ちて視界が暗転する前に見えたのは、何処かの誰かを彷彿とさせられる、綺麗な青い瞳の女性の顔だった。
◆◇◆◇◆
「──此方はこれで片が付いたかな」
カシャン、と軽やかな音を立てて、赤髪の王子は剣を鞘に収めた。辺りにはルゼノの騎士とライゼルスの騎士が混在し、捕縛された貴族や彼らに雇われていた私兵が床に倒されていた。
場所は、夜会が開かれていた大広間である。しかし、華やかだった今宵の花々は恐怖に呑まれて萎れていた。……何も知らずに巻き込まれたのは哀れだが、それがライゼルス王家打倒を目論む輩の家に連なる者達ならば、同情もしようがない。
今宵招かれていたのは、ライゼルスの不穏分子勢力であった。事情を知らぬ者達もいたようだが、この場の責任者であるライゼルスの王太子アレクシスは全てを知った上で、不穏分子の勢力を削ぐ為、この夜会を開いていた。
ルゼノの賓客は、予定通りの囮である。クラウディアは嬉々として剣を振るった。昼間は練兵場で親善試合を見ているだけで、身体を動かしたくてしかたなかったのだ。
「レーウィス、スカイティアは如何した?」
「騒動前に不調を悟られて、別室に案内されたそうです」
「は…?護衛は?」
「申し訳ありません、ただ今捜索中です」
レーウィスにも貴族の一員としての義務がある。スカイティアの傍を離れたことを一方的に責めることはしないが、異母弟は薬物への耐性が少なく、クラウディアならば顔色一つ変えない代物でもお陀仏になる。……我ながら毒に慣れた体が悍ましいし、脆弱な弟が心配で仕方ない。
「……ヒカルが付いてはいるだろうが」
妙に聡い少年である。スカイティアを庇って行動するだろうことが容易に想像できるが、できることは限られる。
……あれ?おかしいな。何故、年下のヒカルが年上のスカイティアを護衛することになっているのだか。
「クラウディア殿下、レーウィス殿、本当に申し訳ない…!」
夜会の中盤に差し掛かり、突如暴れ出した男は麻薬に手を染めていたという。グラスに仕込まれた薬物は耐性があれば動けるが、そうでない者にとっては身体の自由を奪われる厄介な代物だ。その騒ぎに乗じて、私兵を投入し、王宮の制圧を目論んだと言うのだが、結果は見ての通り。打倒・王家失敗である。
自国で暗殺者を相手にしてきたクラウディアにとって、正面から来る敵を倒すなど簡単なことである。隠れる気がない上に、薬物の効果に重きを置いた作戦など、対クラウディアでは悪手でしかない。
流石にルゼノではないのでクラウディアの王子権限は弱いが、ルゼノの代表として恥じる結果は残せないとばかりに、敵を狩りまくった。……勿論、護衛には止められた。クラウディアに止まる気は毛頭なかったが。
「アレクシス殿下、説明は受けておりましたし、そう何度も謝罪を頂かなくてもライゼルスの誠意は伝っておりますので」
来訪初日の段階で、第三王女ルカリアを通して予測される反王家派の行動は報告を受けていた。アレクシスから国の問題に巻き込むことを申し訳なく思うと何度も告げられたが、此方とて囮になることを承諾してライゼルスに来ているのである。
「そう言って頂けると、助かります……本当にクラウディア殿下はお強いですね」
「光栄です、殿下」
「お兄様、クラウディア殿下、少々宜しいでしょうか?」
アレクシスの傍らに現れたルカリアは外回りの報告をしに来たらしい。
「スカイティア殿下とヒカル殿が発見されました」
「二人は何処に?」
「現在は騎士に保護されております。室内には反王家派のエリステオ伯爵と娘のカナリア嬢が一緒にいたとのことですが……全員気を失った状態で発見されたと」
「気絶して?」
薬を盛られただろうスカイティアとヒカルが意識を無くしているのは、まだ分かる。しかし、何故に誘拐した本人であろう人物が揃って気絶しているのか。
……スカイティアを庇うヒカルの決死の抵抗に相手が力尽き、それを確認してヒカル自身が力尽きたのだろうか。その可能性が高い気がする。まぁ、何にしても起きたら聞くしかない。
「スカイティア様とヒカル殿には解毒の処置を。お話を聞くにも、体調の回復を待たれた方が宜しいかと存じます」
「そうですか……流石に、あの薬を使われたらヒカルも動けないだろうな」
クラウディアは一口口に含めれば、大抵の薬物の程度は知れる。クラウディアは薬が効いた振りをして、襲い掛かって来た──隣国の王子ならば人質になると判断したのだろう──敵を殴り倒したのだが、スカイティアだったならば簡単はいかなかっただろう。
やはり、スカイティアには体力を付けさせることを優先するか。馬術ならば体術にも必要な筋力も付くし。薬物耐性も、徐々にしておかないと。流石にこの事態は不味い。
クラウディアは反省点と改善点など、今後の優先事項を頭の中に浮かべた。クラウディア自身は兎も角、スカイティアに今後必要な事柄が分かっただけでも、ライゼルスに来た甲斐があった。ルゼノでは王や異母兄達による庇護がどれだけ有効だったかも、身に染みた。人間があっさりといなくなることを知っている以上、備えは必要だ。
「取り敢えず、無事なのですね?」
「はい、重ね重ねお詫び申し上げます」
「構わない、それを承知での来訪ですので」
無事ならば問題はないが、スカイティアが別室で襲撃を受けたとなると無事だったのは奇跡だ。
「……レーウィス、スカイティアとヒカルについてやっていてくれ」
「はい。クラウディア様もお気をつけて」
「残党のことか?」
すべて狩り尽くした心算だが、と辺りを伺う。捕えた貴族も私兵も既に意気消沈し、戦意など喪失している。
まぁ、警戒するに越したことは無いか、とクラウディアはレーウィスに了承した。
「それから先程まで活き活きとしたお顔で活躍されておりましたが、それが本来ならば許される行為でないことはご存知ですよね?」
「敵を狩って何が悪い?」
「……帰国したら、ユエ様とステラ様のお説教が待っておりますので」
「何故だ?」
レーウィスの言葉に、流石に眉を顰めた。囮になる仕事は全うしたというのに、何故に説教が待っていると言うのか。……スカイティアから目を離したからだろうか。それならば仕方ない、一緒に説教を受けるとしよう。
「レーウィス殿、今回は我々が騒動に巻き込んでしまって…」
「はい、それは重々承知しておりますし、アレクシス王太子殿下への責は問われないでしょう。しかし、これはルゼノの王子としての問題ですので」
アレクシスが庇いに出て来るが、レーウィスの虫の居所の悪さはライゼルスの問題ではないらしい。
「……ルゼノの王子として恥じる結果は出していないと思うが?」
「その認識がいけません。貴方は守られる側であることを、そろそろ弁えて頂きたいのですが」
「…………レーウィス」
にこやかな笑みを浮かべつつ有無を言わせないレーウィスの迫力に、クラウディアは勿論、何故だか──まぁ、招いた側とすれば責任を感じるところか──アレクシスとルカリアも表情を若干強張らせる。
レーウィス、言いたいことはそれか。それは、ルゼノにおける『赤髪』の王子の立場の認識を他国で用いるなということか。……そうだな、他国で「自国では髪色を理由に軽んじられています」と宣言をしているようなものだしな。
ずっとルゼノから出たことがなくて、ルゼノの第二王子としてと言うより、騎士としての生き方に慣れ過ぎて。己の身分を忘れた訳でなくても、自分より尊い身分がいるから、身分の低い自分が盾になることは当たり前だと思っていた。
しかし、それを良しとしないのが、このレーウィスだ。第一王子ユエルディーネの腹心にして、彼と同じくルゼノのあり方に憤る人間の一人。
「……分かった、すまない」
「国に帰ったら、我々も含めて全員説教対象ですね」
「……そうなのか」
……それは間違いなく、俺が敵を狩り捲ったせいだよな?すまない、巻き添えで。
「取り敢えず、後は大人しくしていてくださいね?……シュナイザー伯爵も、くれぐれも宜しくお願い致しますね」
「えぇ、そう念を押されなくても大丈夫ですよ」
「……左様ですか」
何処からか現れたシュナイザー伯爵に、レーウィスは珍しく怪訝な表情を隠そうとしなかった。信じていいですよね?とばかりに語るレーウィスの目に、クラウディアはただ首を傾げた。
何故、そんなにもシュナイザー伯爵を警戒するんだ?既に制圧した以上、何も問題はない筈だが。
「何ですか、その表情は」
「何でもありません、スカイティア様とヒカルの様子を見て参ります」
レーウィスは不穏な空気だけを残して、夜会会場から出て行った。
クラウディアはシュナイザー伯爵に一先ず謝罪をしようと振り返り、そこで目を瞠った。シュナイザー伯爵は捕縛された貴族の一人の襟首を掴み、腹に足を乗せて圧迫している。呻く男を睥睨するその若草色の目が妖しく光った。
「……シュナイザー伯爵?」
「あぁ、折角ですから吐いて頂こうかと」
吐く?尋問ですか?……いえ、幾ら敵対したとはいえ、貴族を足蹴にするのは如何かと思うのですが?そもそも、それってシュナイザー伯爵の領分でしたっけ?
その場にいた者が愕然としたのも仕方ない。シュナイザー伯爵は切れ者ではあるが、騎士としての経歴はない。武道家でなくとも身を守る術は持ち合わせているだろうが、それでも物腰柔らかそうな老紳士が、事もあろうか隣国の貴族──反逆者ではあるが──を足蹴にして、尋問。普通は、咎められる。しかし、今回ばかりは巻き込んだということもあり、ライゼルスも不問にしてくれるだろう。
「──ライゼルスは二代前から奴隷の所有が禁じられていた筈。それなのに何故、今我が国の小姓となっているヒカル殿が奴隷として飼われていたのですか?」
「「「!?」」」
シュナイザー伯爵の問いにその場が騒然とした。ライゼルスでは奴隷の所有は認められていない。
「そ、それは…っ!」
息を呑む男を睥睨したまま、シュナイザー伯爵は冷淡に言葉を紡いだ。
「えぇ、貴方方は奴隷の合法化、そして貴族が所有する私兵の数の制限を廃止することを目的としていますよね。……私兵の数は兎も角、奴隷は違法。市場などある筈がない。つまり、裏で取引をしていたと?そういったことがライゼルスの貴族の間で横行していたということですか?」
「っ…!」
「まぁ、聞くまでもありませんか。ヒカル殿に確認を取ればいいだけのこと……罪状が増えたところで、何も困りませんものね?」
冷酷な眼差しで、冷たい眼差しが、彼の心情を表している様で。
「王を、法を軽んじるのも、いい加減にしなさいな。それが認められるならば、仮に貴方が何処の誰に…あぁ、例えば奴隷に殺されても、大して罪には問われないことになるだけですよ?身分制度を、法をひっくり返すならば、その覚悟もできていますよね?」
──まぁ、罪人に堕ちた貴方には今更かもしれませんけどね。
嗤うシュナイザー伯爵の言葉に、男は漸く自分の立場を理解したようだった。




