舞台の裏側の話3
──近い内に、お前は王宮を出るか残るか、選択することになる。
ルゼノ王に告げられたことが頭に残って離れない。
異母兄二人とともに王の執務室を出たスカイティアが、誘われるままに移動した先は第一王子の宮殿だ。初めて訪れた第一王子の部屋はシンプルな装飾でありながら、とてもユエに似合っていた。
因みに、ユエの部屋には異母姉であるアルトステラが我が物顔で居座っていた。……何時ものことらしい。
ステラが手ずから入れた紅茶は、少し甘い。寝る前に彼女が好んで飲むらしい。
「ま、陛下も先に伝えたかっただけだから。頭の片隅に入れておく程度で良いと思うよ。何時なんて、正直決まっていないしね」
「でも、近々動き出すのでしょうね。お師匠様達も」
ユエとステラの会話は、まるで何か騒動が起こることを想定していて。
この王宮は勿論、国内外の情報を得ている第一王子と王女のことだ。そう言いきるだけの予兆を掴んでいるのだろう。それが、スカイティアの母親と伯父が関わる事態になることも。
ただ、あっさりとしているな、とは思う。
「……お師匠様?」
「えぇ、私はそうお呼びしていたわ。ルイ先生とお呼びしていたこともあるし」
「レイ殿は王妃の侍女でもあったしね…クラウディアは覚えている?」
「えぇ、彼女のことは良く覚えています」
クラウディアまで母親のことを知っていると言う事実に、スカイティアは愕然と聞き返した。
「クラウディア兄上もご存知だったのですか?」
「あぁ、お前の伯父上は知らないが、母君の方は知っている。一時期、俺の面倒も見てくれた侍女だからな」
クラウディアは何処か懐かしそうに眼を眇めた。
何も知らなかったのは、スカイティアだけだったのか。
「僕とステラは教育係としてルイ殿を師事していた期間があって、その時期にレイ殿は侍女として働いていたんだ。王妃宮殿と、クラウディアのいる第二王子の宮殿で」
「……そう、なのですね」
余りに与えられた情報が意外過ぎて、言葉にならない。
「俺は髪色のことがあったからな、母親は乳母と侍女に仕事を丸投げだったし。その乳母も、俺が乳離れする頃には侍女に任せて、世話を最低限するだけだったな……それを見かねた王妃様が、ご自分の侍女であったレイ殿を俺の元に寄越して下さった、と聞いた」
クラウディアが母親譲りの『赤髪』だから価値がないとばかりに、彼の母親と周囲の人間は冷遇した。その結果が、まだ赤子でしかなかったクラウディアに対する育児放棄。
どれだけ髪色を重要視しているのか、と自分に対する扱いも相まって呆れるしかない。
軈て成長し、武功を立てる騎士となったら、手のひらを反してクラウディアに縁談を押し付け、王位に就けようとするなどという権力への固執がいっそ恐ろしい。妄執だろう。
「……まぁ、そんな子供時代も長くは続かなかったけどね」
ユエとステラがスカイティアの伯父を師事し、クラウディアがスカイティアの母親を侍女としていた頃はきっと問題も大きくはなかったのだろう。決して寛容とは言えずとも、髪色の差別は、表向き鳴りを潜め、商人達が王宮に出入りできるくらいにはなっていたのだから。
「それが、商人達への迫害ですか」
「あぁ…正直、締め出せばよかっただけなのに、強硬に走ったのは陛下が王宮を留守にしていた間だった。指示を出していたのは、王弟だ」
「え…?」
王弟と会ったことがあるのは、この王宮に来て数回程度。その度に目の敵にされ、王と同じ色の目で睨まれたことは良く覚えているけれど。
「民に対する印象は重要だと、尤もらしいことを言っていたけど。それならば猶更、彼らとの縁を切るだけで良かった筈なのにね……ただ、王弟は力を欲した。それこそ、王になりたかったと言えばいいのかな」
「あぁ、王弟殿下は確か…」
クラウディアが思い出したように口にするのを、ユエは肯定した。
「本来ならば、王位に就くのは彼だったんだけどね」
「え?それはどういう…?」
王宮の歴史に詳しくないスカイティアは問いかけて、その答えを理解するだけで精いっぱいだ。
「今の僕とヴァイスみたいな関係っていえばいいかな?」
「陛下と、王弟殿下は異母兄弟。でも、陛下が第一王子だったけれど、陛下は側妃の子供だったの」
「この国で王族は『金髪』であることが重要視されるけど、それ以外の決まりは薄い。王妃の子供が王太子に付くことが一般的ではあったけど……先代王は、陛下を王太子に押された。当時の王妃は渋っていたらしいけど、結局は陛下が王になった」
「……それは」
今尚、繰り返される、王位継承争い。
王弟派などという派閥が未だに健在なのは、王弟が王位を諦めていないからなのか。
そこまで知らされて、スカイティアはぎゅっと拳を握りしめた。
王位争いとは、自分には縁遠いもので、無関係なものだと無意識の内に思っていた。クラウディアに指摘されるまで。
この王宮にいる以上は無関係でいられないのだということを、肝に銘じておかなければいけないと言うのに、何時までも微温湯に浸るように、今の心地よさに身を委ねておきたくて目を背けていた。
「……まぁ、此処までが事実。この先のことは未定だ」
一通り話終えた、とユエは紅茶で口を湿らせた。
「この先のことを思うと、選択肢がある内に考えておけ、というのが陛下が仰りたかったことだよ。レイ殿は何れ迎えに来るだろうけど、その時の王宮情勢によってはスカイティアは王宮に縛り付けられてしまうから」
ユエの断言に、スカイティアは視線を彷徨わせる。
ずっと、家族などいないのだと思っていた。それなのに、突然母親が迎えに来ると言われても、スカイティアの気持ちの整理はつかない。
「先のこと…ですか」
何時までも、この王宮にいる訳にはいかない。ユエが王になるにしても、ヴァイスが王になるにしても。それだけは理解しているけれど、今更、記憶にもない母親に連れられて王宮から抜け出すことを選ぶには、やはり勇気が必要だ。
──けれど、自分だけで生きていける程の力がある筈もなくて。
「陛下が君を隔離していたのは、身を隠させる為と、功績を作らせない為。下手に存在感があると、いなくなった時に悪意や好奇による噂になり易いし、そもそも注目されて何処かの家に取り込まれても、王家としては困るからだ……ただ、もう少し、レイ殿のこと……君の母君達のことは説明してあると思っていたけどね」
何処か不満そうなユエの肩に、ステラが笑って触れる。
「王宮の建て直しから始まったんですもの。陛下もお忙しかったという弁護は、駄目ですか?」
「分かってはいるけどさ……ステラは陛下の肩を持つの?」
「私には、陛下と王妃様には多大な恩がありますからね」
「……君も、王女だから要らないと言われた口だったね」
ステラの「恩」と言う言葉に、ユエは一瞬、忌々しそうに表情を歪めた。
王女として生まれたステラが、母親に冷遇されていたことは周知の事実だ。王女でありながら、政略結婚の駒という価値しか持たない存在であることを許さず、ユエとともに政に参加する女傑と化したステラは、己が利用されるだけの存在でないことを示すための戦いを経た結果だという。
「えぇ、今も夜な夜な夢に出ていらっしゃるくらいには怨念が籠っていますわ」
「……現物を斬って参りましょうか?」
ニコニコと、まるで気にしていないかのように明るく話すステラに、クラウディアは剣の柄に手を添えて据わった目で問い掛ける。……あの、冗談ですよね?クラウディア兄上。目が本気に見えます。
「クラウディア、シュテルインと同じことを言わないで」
クラウディアの目に本気を感じ取ったのはスカイティアだけではなかったようで、ステラの表情もやや硬い。
「え、無言実行じゃないんだ?」
「一度それを指摘して、一週間口を利かなかったら、渋々ですけど、一応行動する前に報告する形になりました。物凄く不満そうでしたが」
ヒカルが能面だという程に表情が動かないシュテルインだが、彼の心の内はそこそこ過激だった。……というか、姉上の前だと表情がちゃんと変わるのでしょうか。
「……シュテルインも、君が口を利いてくれないのは辛かったか」
ユエが珍しく噴出すようにして笑う。
「そもそもシュテルインって、兄上が付けた私の護衛ですわよね?彼の主が私ではなく、兄上であることには変わりないのでしょうけど。それでも知らない間に出て行って、漸く帰って来たと思ったら血の臭いがするんですもの、何事かと思うじゃないですか」
「あぁ、シュテルインも失態を犯したようだね。君が血の臭いに気付かないなんて、どうして思ったんだろう?」
失態って……それを失態というのは酷では、と思っても、この二人にとってはそういう扱いなのだろうな、と納得してしまう。
「……まぁ、シュテルインのことはさて置き。そろそろ解散しようか」
カップを空にして、ユエはその場をお開きにする。
「そうですね、もういい時間だわ」
「姉上、お送りします。スカイティアも、この時間だと外を歩いたことないだろう」
「あぁ、そうですね」
夕方まで森に──現場検証と言う名の散策に──出ていたから、既に窓から望む空には月も星も輝いているが、回廊や部屋の灯がなければ外は真っ暗だろう。
「ふふ、ありがとう。でも、私はシュテルインが外にいるから大丈夫」
「左様ですか。では失礼致します、兄上、姉上」
「お休みなさい、ユエ兄上、ステラ姉上」
挨拶を交わして、クラウディアとともに部屋を出た。
改めて見ると、第一王子の宮殿は人の数が多い。第一王子の宮殿に来るまでは、王に言われたことが頭を占めていて、辺りの景色など見る暇もなく、気にならなかったのに。
「──スカイティア、離れるなよ。此処は兄上の管轄だが油断はするな」
「はい、申し訳ありません」
クラウディアの背に庇われる。それが、酷く心を落ち着かせた。
この時間が、何時か終わりを告げる。そんなことは分かっている。分かっているけど、手放したくないと思うくらい、この心地よい場所が好きなのだ。
もう、孤独な世界には戻れない。もう戻りたくない。
「ティア、どうした?」
知らずに止まっていた足。続かなくなった足音に気付いたクラウディアが、不審に思って振り返る。その深い青い目に嘗て見た、負の感情は露ほどにもない。
──ねぇ、兄上。今はまだ、この温かく優しい世界に甘えていてもいいでしょうか。




