第四王子の覚悟
『──君は王になる心算があるのかい?』
第一王子にして異母兄であるユエルディーネに問われた時、ヴァイスルナハルトは答えられなかった。それ以来ヴァイスの頭には何時だって、異母兄の言葉と青い目があった。
それらは、実質的な王太子である彼の重荷を肩代わりする覚悟があるか?と問うている。
けれど、その答えを、ヴァイスはまだ出せていなかった。
「……あら、こんな所で寝ていると風邪を引くわよ?」
「姉、上」
庭の隅にある東屋で本を読んでいる内に眠っていたらしい。日除けにした心算はなかったが、顔を覆っていた本を退かすと、第一王女である異母姉アルトステラがいた。寝ている内に飛んで来たらしい木の葉を白い指で摘まみながら、彼女は明るく笑う。
「あら、流石は兄上。私が勧めた本、ちゃんと見つけて下さったのね」
身体を起こしたヴァイスの腹の上を本がずり落ちそうになり、ヴァイスが慌てて押さえようとすると、その前にステラが本を拐った。題名を一瞥すると、くすくすと笑う。
「ユエ兄上に『王になる覚悟があるのか』とでも、聞かれたのかしら?」
「どうして、僕が…」
異母兄からそう問われたことを知っているのか。
ステラには確かに宣言をした。けれど、シュナイザー伯爵曰く、ステラがそれを周囲に溢したような様子はないらしい。だから、ユエにはまだ伝えていないものだと思っていた。しかし、この姉にして、あの兄である。互いに思惑があれば、ステラからユエに伝えようとも互いに黙秘したかもしれない。
「だって、浮かない顔をしているもの」
「……まるで、僕が兄上と喧嘩をしたように仰いますね」
「あら、そんな風に聞こえた?」
飄々と、彼女は躱した。彼女の確信を得ない言葉は何時だって、ヴァイスを掻き乱す。
「……姉上は、もし王女にも王位継承権があったら、と思いませんか?」
「そうねぇ……あったらあったで変わることもあるでしょうけど。私がすべきことは変わらないから、どうかしら?」
不明瞭な答えは、彼女らしい。しかし、ヴァイスの心を掻き乱す内容ではない。彼女らしい、のだ。
第一王女アルトステラは、側妃の中でも最も地位が高い公爵家の血を引く王女である。王女でありながら政に留まらず、馬術や剣術など多種多様な才能を発揮する類稀な姫だ。彼女もまたユエに負けず劣らず外交で負け知らずの外交官であり、特にユエと一緒に会談を設けられたら、その国は周囲の国に哀れまれる程だ。……しかし、内政では女性であるが故、面白くないと思う者が多い。
「こう申し上げては何ですが、姉上はもう少し猫を被るべきでは?」
「あら、それはどういう意味かしら?」
本を弄ぶようにパラパラと開いていた異母姉に、ヴァイスは予てからの懸念を告げる。
「だって、余りにも王女らしくないではないですか。女性とは男性を立ててこそ、淑女らしいと言われるのでは?」
「……ヴァイスは私に何処かの殿方に唯々諾々と従う人形、或いは奴隷となるべきだというの?」
「そんなことは言っていません!ただ、姉上は明らかに挑発していますよね?」
ステラの普段の行動は極端だ。兄妹の前では常に楽しそうだが、臣下の前ではいつも〈冷静で聡明な王女〉を演じている。笑わないし、怒らない。常に冷淡で、興味引かれるものなど何もないとばかりに冷たく臣下を見据え、公平で正しい裁きを下す。
だからこそ、異母姉は貴族に恨まれる。彼女が貴族から取り上げた既得権益は数知れない。
そんな彼女が興味を示せば、それが彼女の弱点だと言わしめるものだ。そうすれば、ステラを脅す材料になる、と勘繰って動く者もいる。……あの『黒髪』の彼が誘拐された時のように。
「それはその必要がある相手だけよ、無駄にはしていないわ」
「ですが…!」
「あのね、ヴァイス。貴方だって分かっているでしょう?」
──正攻法だけでこの国を支えるのは無理なのよ。
彼女は暗にそう言っている。それは、ヴァイスとて幼いながらに理解している。
ルゼノの害悪となる輩を排除すべく動く第一王子と第一王女。その姿を見て育ったヴァイスは彼らを支えられるように生きたいと思った。
(だから、王になるのは僕ではなくてユエ兄上だと、思っていた)
しかし、それは異母兄が望んだことではなく、周囲からの期待から仕方なくそうなっているだけで。
そう考えれば、彼にとって王位は重荷以外の何物でもないのだろう、と思わずにはいられない。
(でも、だからといって、僕がユエ兄上の代わりになれるとも思ってはいなくて…)
ステラに「王位に就く」と宣言した。それは心からの言葉だ。けれど、ユエに向かって正面から宣言できる程の覚悟はなかったらしい。
それは余りにも中途半端な覚悟だった、とユエの目を見て思った。どうしても、ユエを前にする度に言い表し様のない何かがあるのを感じて。人を射竦めるような、その目の根源は果たして何なのか。
ユエとの経験の差は埋められない。しかし、今後のことは分からない。
けれど、あの異母兄が抱いているものは、一体何なのだろうか。
「……姉上は、幸せですか?」
「いいえ」
ステラは嫣然と微笑んだまま、きっぱりと否定した。その余りの潔さに、ヴァイスは自分で問い掛けながらも開いた口が塞がらなかった。
「随分と、はっきり言いますね」
「聞いておいて不満そうね……それともヴァイスは幸せ?」
「えぇ、幸せですよ……まだ誰も零れ落ちていないから」
そう、まだ誰も。誰も、この城から失くした者はない。
簡単には会えないけれど、遠くに見ることしかできないけれど。
この城で、家族が欠けることなく揃っていることがヴァイスにとって何よりの幸せだ。聞こえる声だけでも、遠くから見かける姿だけでも、確かにそこにいるのだと感じられるから。
「何時か、別れの時は来るものよ」
「分かっています……姉上は何処かへ降嫁され、ユエ兄上が王となられ……クラウ兄上は騎士団にそのまま残られるにしても、きっと良家と縁組があるでしょう。きっと、城には残られない……僕や従兄妹達も同様でしょう。でも、ティア兄様だけは分からない」
そのまま存在を忘れられるように。
何時、この王宮から姿を消しても悟られないように、その姿を見せないのが第三王子スカイティアの常だった。
「そうね、スカイティアは一番不明確な立場にあるわ。何時、部屋を、王宮を出ても分からない程、私達とは隔てられた場所にいるもの」
「姉上は、それで宜しいのですか?」
異母姉は聡明だ。彼女ならば、不明確な立場にいる『黒髪』の異母兄を救い出せるだろう。
あの会食の時には珍しく〈冷静で聡明な王女〉の仮面を取っていたが、それは彼女なりの牽制なのだろう。『黒髪』の第三王子には『金髪』の第一王女が付いている、と。
それまでに何が遭ったかは知らないが、もしかしたら、スカイティアに何かあったのかもしれない。政に関わっていないヴァイスには詳しいことは分からないが、第三王子を忌避する勢力は健在だ。
──だから、あの日あの時、大切な弟を守る為にも、スカイティアに公の場で話しかけたのではないか。
兄弟仲も不仲と言う訳ではない。寧ろ過剰なまでの兄妹愛を抱いている彼女なら、不透明な第三王子の将来を案じて、今までも様々な行動を取っているのかもしれない。……それを、ヴァイスが知らないだけで。
「──貴方は何を望んでいるの?」
それなのに、返ってきたのは冷たい目だった。深い深い海のような、冴え冴えと輝く星を包む夜空ような青に、ヴァイスは呑み込まれるような錯覚に陥った。
「え…?」
戸惑うヴァイスに、ステラは更に問いかけた。
「貴方の望みは、私に縋れば叶うことなの?」
「僕は、そうだと思っています」
「…そう」
ステラの瞳は何かを思案するように目を閉じた。
「貴方に、覚悟はある?」
「え…?」
それは、どんな覚悟だろうか。
確りとヴァイスを見据える何処までも深い青い双眸に、ぞくり、と背筋を這うような何かを覚える。それはまるでユエに感じた畏怖と似たもので、やはりこの兄と姉は良く似ていると思う。
「私が描く未来を叶えるのは簡単ではないわ。貴方が私に望むなら、貴方が背負うべき覚悟が必要よ?」
また、覚悟か。ヴァイスは無意識に拳を握る。
彼女が描く未来は果たして、明るいものだろうか。現実主義の王女は夢物語を語らない。彼女が手にした力は全て彼女の理想を叶える為のものだ。
「……姉上は、どのような未来を描いておいでですか?」
「そうね、例えば──」
ざわ、と風が吹く。木々が揺れて、木の葉が舞う。
天使のような美しい顔で、己が描く未来を叶える為の計画を語る異母姉は、正に王族なのだと……そして、同時にあの異母兄と血の繋がった兄妹なのだと思った。
◆◇◆◇◆
王城の一角、ヴァイスが渡り廊下に差し掛かったところで複数の声と馬の嘶きが聞こえた。
「──スカイティア様!待って下さいっ!」
「ヒカル、見て見て!乗れた!兄上、どうです!?」
風に紛れて、無邪気な声が聞こえる。目を凝らせば、馬上にある青年の姿とそれに近づく小さな少年、それから後を追う青年の姿が見えた。馬場に二人の異母兄と、彼らに仕える彼がいるのだと分かった。当然、異母兄の側近もそこにいるのだろう。
そうは思っても、声はかけられない。今のヴァイスには彼らを守る力は愚か、自分自身を守る力もない。不要な接触を控えることが、自分は勿論、彼らを守ることになっているのだから。
──それでも、この状況に甘んじていることは逃げていることと同じだと思わない訳じゃないから。
「──王になる、覚悟か」
ヴァイスはポツリ、と呟いた。
それはとても重くて、一度明確化したならば今のヴァイスには想像もつかない過酷な道のりとなるだろう。何の功績もない状況から、第一王子ユエルディーネを押し退けて王位に就くことは不可能だ。
第一王子との対立を明確にすることは、王城での勢力図の書き換えも覚悟しなくてはならない。水面下で勝手に対立している勢力は表面化し、第一王子派と第四王子派は大きな溝を作るだろう。
仮に、ヴァイスが王になったとしても最初の仕事は勢力間の溝の修復、その統制だ。ユエ以上のカリスマ性と功績を得なければ、ヴァイスがこのルゼノの王として認められることはない。どう見ても過酷な道だ。楽をしたいなら絶対に選ばないし、大人しく政略結婚の駒になった方がこの王宮に無駄な火種を持ち込まずに済む。……勿論、王宮内の燻る火種の元とならないと言うだけだで、燻る火種は無数にあるけれど。
「でも、姉上が描く未来には僕の覚悟が不可欠なんですよねぇ」
あの完璧な王子であるユエルディーネを超えて、第四王子ヴァイスルナハルトが王位に就く。
そんな未来を、あの王女が描いているとしたら。
「ユエ兄上達も、喜んでくれるのでしょうか…?」
まだ、あの異母兄の背負う重荷を引き継ぐには足りない覚悟。
それでも、前を見つめて進んでいくことはできる。
木漏れ日に包まれた回廊の先のように、どうか明るい未来に繋がるように。
そう願い祈りながらも、まずは自分の足でその先へと辿り着けるように、目の前を見据える事に専念しよう。
いつか自分の意志で、その先へと進む覚悟ができたなら。
きっと、その時こそ彼らとともにいることができる筈だから。




