ルゼノ王の〈耳〉
本日の空模様、雲五割、青空五割。一般的な天候の『晴れ』からすると、少し雲行きは怪しいでしょうか。……まぁ、天候など洗濯物が乾けばいいのです。穏やかですが、風もあって十分でしょう。
ですがね、〈春〉、或いは〈晴れ〉という気候を体現化したような人物は、洗濯事情などには不要でしょう?
……とは言えないけどさ。遠くに見える白い布はシーツだろうか、と現実と逃避するくらいはいいよね?
陽光を紡いだような金の髪。若草のようなペリドットの瞳。
不本意ながら、本日の空模様などのくだらない──一部の人にとっては重要かもしれないが、彼とする話ではないだろうと思う──話をするくらいには、第四王子ヴァイスルナハルトと会うのがお馴染みになっている。
色々とおかしくないか?大丈夫か、この王宮?とは思いつつ、そういう変わった状況に救われているのが事実であったが。
「亡くなった王妃様と、王弟妃殿下について?」
「はい、何かご存知ですか?」
すっかりと、第三王子の宮付近にやって来るのが普通になった──いや、これいいのか?と思わなくもないが、条件付きで許可が降りたらしい──ヴァイスに捕まったヒカルは、先日の一件について尋ねてみた。
「王弟妃は兎も角、王妃は僕が生まれる前に亡くなったって聞いたからね。王妃様がレイビス公爵家の長女で、陛下が幼少の頃からの婚約者だったことくらいかな。あとは…かなりの情報通だって、シュナイザー伯爵から聞いたことはあるよ……彼女自身が陛下の〈耳〉と呼ばれるほどに伝手を駆使して最新情報を齎すって!」
陛下の〈耳〉。それは情報網が発達した王妃だったということか。
女傑であった王妃は周囲から表向きは称賛されていたようだが、王妃に権力を削がれていた家は面白くないだろう。
ルゼノ王と王妃は、今のユエ様とステラ様と同じ状況ということかな。ユエ様は勿論、ステラ様も各国に伝手を持つ女傑だって聞くし……あぁ、でもステラ様は立場的に第一王子の〈耳〉では済まないか。王子の右腕って感じ?
やはり、王妃は意図的に排除されたのだろうか。王妃は病死とされているが、それは王家の発表だ。都合の悪い事実は揉み消すことも可能だろう。『勢力争いで王妃が暗殺されました』等と王国民は勿論、諸外国にも公表できないだろうし、まだ幼い子供だった王子にも事実は伝えられないだろう。……その後のことは知らないが、ユエ様なら調べられそうな気もするけど。
「では、王弟妃殿下については?」
「少なくともシュナイザー伯爵には快く思われていないかなぁ?僕も、関わりを持つ機会が余りないからね。でも、王弟と似た者夫婦だと思う」
ユエ様も、外面は良いから王弟妃が亡き王妃の仕事を代行することに問題はないようなことを仰っていたけど、シュナイザー伯爵にも余りよく思われてないのか。確かに含みのありそうな王弟と似た者夫婦なら、一緒くたにして嫌われそう。
ヴァイスは首を傾げつつ記憶を遡っているようだが、王弟や王弟妃と不仲になるようなきっかけは心当たりないらしい。つまり、彼が物心つくよりも前ってことかな。
シュナイザー伯爵はルゼノ王と懇意にされているらしいし、それもあってかな。王弟を王位に就けようと画策する勢力と仲良くする訳ないよね。……というか、色々と謎だなぁ、シュナイザー伯爵もルゼノ王陛下も。
「でも、如何したの?いきなり、王妃様と王弟妃殿下の話なんて」
「いえ、先日、ヴァイス殿下のご生母様にお目に掛かりまして」
例えるならばヴァイスのご生母であるファニエル妃は小動物だろうか、と思案する。
(ファニエル妃は少々臆病だが、好奇心もあるような……ま、それで身を滅ぼすのが弱肉強食の自然界だけど)
王妃の選定基準は厳しい様だが、側妃はそうでもないのかもしれない。以前聞いた話では、権力の傾きの是正の為に多くの家から王の妃を輩出しているそうだ。その中で王妃は、妃の頂点に君臨する立場である以上、妃を纏める求心力、そして統率力が必要なのだろう。
──自分が王妃になれない理由が分かっていない。
シュナイザー伯爵の言葉を思い返すと、ファニエル妃は確かに第四王子殿下の母親と謂えど、王妃には向かないだろう。自分にその能力がないことを理解していないと言うのが、何より致命的だ。あの性格では外交は向かないだろう。
「あぁ、そんな話をしていたね……すまない、母上が無理を言ったみたいで」
「いえ、そこは如何でもいいのですが、それで王妃の座が空位であることに改めて疑問と言うか、不思議に思いまして」
「あはは、バッサリ言うね」
何故だか──もしかしたら、自分の母親が王妃の器でないということをヴァイスも分かっているのかもしれないが──頭を抱えるヴァイスに、ヒカルは首を横に振った。
実際は如何でもよくはない──シュナイザー伯爵には、もう二度と茶に誘わないで欲しいと思う──が、それは話題になったきっかけに過ぎない。論点として重要なのは、王妃の位が長らく空いていることだ。
「まぁ、確かに勢力争いが拮抗している中、王弟派が存在するのも事実だしね。王妃の位を改めて考えてみると、こうしてバランスを取っているのは奇跡じゃないかな」
先の第四王子誘拐事件は、結局の所はただの脅迫事件ということで終わっていた。
首謀者はシュナイザー伯爵への脅迫も行っていたようで、実行犯諸共監禁場所にいたことで一斉に捕縛され、既に投獄されている。その中には王弟派の者達もいたらしいが、旗頭の王弟が実際に誘拐に関わった証拠はなかった。
勿論、派閥の暴走ならばその最高位に責任追及と行くところだが、目的が王弟を王位に就けると言うものでない以上、王弟が責任を取るように求められるようなものではないし、誘拐犯には王弟派だけでなく別の派閥の人間も関わっているらしい。これでは王弟一人の責を問うのが難しくなる。
…あの頃合を見計らったように出て来た時点で怪しさ満載なんだけど、腐っても王族。明確な証拠がなければ捕縛に至れないということだ。歯痒い。
しかし、それでも王弟派と呼ばれる者達の力を削げただけでも収穫なのだろう。ただ頭を潰せなければ、同じことが何度でも起こるだろうと言う不安はある。
だからこそ自由に見えても、こうして遊びに来ているヴァイスの周囲には護衛騎士の姿が見える。条件が幾つ出されたかは知らないが、この護衛騎士はヴァイスが必ず連れ歩かなくてはいけない存在なのだろう。
そこまで考えて、ヒカルはふと視線をヴァイスの方へと向けた。
「ヴァイス様は、王位に興味はないのですか?」
ユエは、ヴァイスが己の意志で王位に就くことを望むならば、成長を待ってその座を任せたいと言う話だったのだが、当のヴァイスはどう思っているのか。
王位に就くこととは、国の頂点にいるということ。特別ではあるが、その分、責任は大きくて重い。身の回りにはこうして護衛の騎士の存在があり、自由にいられることは殆どなくなるだろう。
今、こうして無邪気な顔をしたヴァイスには、もっと自由に生きられなくなる道を選ぶ心算があるのだろうか。
「……君、自ら問題に突っ込んでいく趣味でもあるの?」
何処かで聞いたぞ、その台詞。
思わずフリーズしたが、そういうのは大体、彼の一番上の異母兄の台詞だ。
「……ご兄弟揃って、何故に同じことを仰いますかね?」
「だって、聞く限りでもそうとしか思えないし」
ヴァイスに鼻で笑われた。そんな心算はないのだが、好奇心旺盛なのは反省しよう。
「……失礼致しました、やっぱり結構です」
というか、俺には他に話題がないんですよ、ヴァイス様。
奴隷上がりの小姓モドキに何を求めておいでで?
ヒカルの心境などいざ知らず、ヴァイスは髪を掻き上げて空を見上げた。……天候は相変わらず晴れておりますが。
「……気になるのも当然だと思うけど。正直、僕もよく分からない」
「え?」
ぽつりと呟かれた言葉を聞き返すと、ヴァイスはヒカルを振り返った。緑色の瞳がヒカルを映す。
「僕が、ユエ兄上に勝てると思う?」
黄金色の髪から覗く、宝石のような瞳。その鮮やかな色は王族らしく、その凛とした眼差しは王子らしい。
何に、と聞かなくても分かる。王位継承について、だ。
「(現時点では)無理ですね」
「……はっきり言うね」
ぼそりと呟いた部分には気づかずに、ヴァイスはエメラルドを彷彿とさせる緑色の瞳を眇めて、失笑する。
……いえ、将来的には可能かもしれませんけど、現段階で何とも言えないのですよ。ただでさえ、ヴァイス様はまだ成人すらしておりませんし、その間にユエ様はご活躍なさるでしょうし。差が埋まるかどうか、というのもありますしね。
「確かに、ちゃんと考えないとね。幾ら僕が王位を望もうと、実力がなければ賛同も得られない。現段階ではユエ兄上の対抗馬として担がれてはいるけど、それが『三大公爵家の血を引くユエ兄上が気にいらない』ってだけ理由のじゃ、この国の行く末は真っ暗だ」
「ヴァイス殿下…」
ちゃんと考えられているのですね!国の行く末なんて言葉が出て来るとは、全く思ってもみませんでした!……って、あれ?
ヴァイスが拳を握って決意を改めたかと思えば、何故だかヒカルの内心を悟ったらしい。じとーっと、物凄く何かを言いたそうに見られた。
「……君、その目でものを語るの、止めた方が良いよ?」
「語っている心算はないのですが」
マジで、心の声が駄々漏れのようですね。……鼻で笑われました。
「シュナイザー伯爵も言っていたけど、目は口ほどにものを言うって、結構相手の神経を逆撫でするからね?」
「それは失礼致しました」
でも、それは貴方もだと思います!第四王子殿下ヴァイスルナハルト様!
まずはその二重人格としか思えない素の性格と、外面用の気怠そうな印象の落差、何とかしません?下手すると、別人認定されませんか?
◆◇◆◇◆
窓に浮かぶのは、闇色の空。その空に浮かぶ星の光は弱く、月もその姿を見せない。
代わりに聞こえるのは、森から微かに聞こえる葉の掠れ音。
場所は、ルゼノ王の居住の一角。簡素な造りの室内には必要な調度品だけを持ち込んだ。そんな部屋に、ルゼノ王は今一人でいた。
「──陛下、お久しゅうございます」
ひっそりとした室内に落ちた、凛然とした声。ルゼノ王しかいない筈の部屋に響いた声を辿れば、闇に溶ける色の外套を纏った細身の人物がそこにいた。
王のいる灯の元へ、外套を剥ぎながら近づいたのは、金の髪を結い上げた女性だった。深青色の双眸が印象的な美麗な顔は灯の色にほんのりと染まっている。
「ロレーユ、何かあったか?」
王は顔色を変えずに問いかける。手に持った杯はそのままに、青い瞳が部屋に現れた女性を映し出す。
「何もなければ参りません、私は陛下の〈耳〉ですよ?」
「お前はただの〈耳〉ではないだろう。私はお前の友人でもある心算なのだがな」
何処か不満そうな王に、ロレーユは微かに笑みを浮かべた。
「私が何も手土産なく、陛下とともにあることはこの先もないでしょう」
「……それで?」
仕方ないとばかりに、ルゼノ王はロレーユに用件を尋ねた。
「『丑寅』に動きあり、です。首尾は如何なさいましょうか?」
「……始まるか。ロレーユ、そのまま続けろ。此処が、お前がいなくなった時のまま止まっていると思うなよ」
報告を受けると溜息まじりに指示を出し、顔を上げた王はロレーユに向かって挑発的に笑う。
「あら、頼もしい!」
「……馬鹿にしているのか?」
落ち着いた印象とは裏腹に愉快そうな声を上げたロレーユを、ルゼノ王は胡乱げに見遣る。その表情は何処か子供じみて、ロレーユは困ったように表情を一瞬だけ歪めると、声を上げて笑った。
「まさか!流石、血も涙もない国王陛下と呼ばれただけありますね!と思いまして」
ニコニコと笑みを浮かべるロレーユに、ルゼノ王はまた溜息を一つ落とす。王の手に持った杯の中の水が音もなく揺れ、王の顔を映すのを止めた。
「……最大の敵はまだ狩れていないしな」
「……それは、私の力不足にございます。申し訳ございません、陛下。この件が終わりましたら、私にも処罰を」
まるで懺悔するかのようにロレーユは一礼すると、ルゼノ王に背を向けて濃紺色の外套を被り直す。軈て、音もなく闇に姿を消した。
無音と化した室内は、彼女が現れる前と何一つ変わらないのに、何処か寂寞として。
「……既に受けた罰では足りないと言うのか」
ポツリと溢した王の声は、誰に拾われることなく消える。金と赤に燃える灯の炎に、ルゼノ王の青い瞳が妖しく揺れた。




