ルゼノの王妃
「ユエ様のご生母って本当に凄い方だったんですねぇ」
「え?僕の母上?」
ぽつり、と呟いたヒカルに、丁度本を借りに来た──というか、異母弟の部屋を書庫代わりにしているらしい第一王子ユエルディーネは首を傾げた。
「えぇ、先程まで長年の間、正妃の座は空位だという話をしていまして…」
「あぁ、そういうこと…」
「ユエ様は、余り記憶がないと言う感じでしょうか?」
正妃が亡くなったのは、十数年も前の話だ。ユエとしても余りに思い出したくない話だろうか。スカイティアを基準にするのもどうかと思うが、余り母親に対する印象が良い王子や王女はいないようだ。
第一王子ユエルディーネの母親である、亡き正妃レノンは彼が王太子に擁立される前に病死した。
第一王女アルトステラの母親である、側妃エトワリスは実家の権力増大の為に娘を他国の政略結婚の駒へと差し出そうとした。
第二王子クラウディアの母親である、側妃カトリーナは己の髪色を棚に上げて『赤髪』に生まれた息子を侮蔑し冷遇するような性格だ。
第三王子スカイティアの母親はその名も、彼女自身も所在不明である。生死すらも不明の謎の女性だ。
第四王子ヴァイスルナハルトの母親である、側妃ファニエルは性格が幼いというか、オドオドした面はあるものの、まだ真面だろうか。
……ユエ様とヴァイス様はまだマシか?いや、ユエ様のお母上は故人になってるし、マシとは言えないよね。
「……そうだねぇ、正直、正妃は正妃だったとしか言いようがないと言うか。あぁ、でも、正妃としてはとても有能だよ?王家を軽んじる傾向にある貴族の対抗勢力だったし。陛下との関係も、戦友のような感じだったみたいだよ」
にこやかに当時の状況を語るユエに、ヒカルは表情を引き攣らせた。
せ、戦友って……いえ、政略結婚をする階級ですから、恋情や愛情などの感情で左右されることは無いのでしょうけどね?それでも、戦友ですか?
いや、その感情で国を乱す訳にはいかないから、正妃にはそういう女性を選んだとすれば、きっと国の将来を考える上で重要だったんだろうな、とは思うけど。
……だって、どこぞの屋敷じゃ愛人を囲った家の正妻が刃傷沙汰起こしたし、王が側妃に夢中になるって話も珍しくない。それで正妃がお冠になって、更には国が崩壊とか笑えない。
「ですが、レイビス公爵家は王家に拮抗する力を持とうとする三大公爵家の一角ですよね?」
「そう、だから彼女はレイビス公爵家では裏切り者扱いだったんだよね」
「「え!?」」
さらっととんでもないことを言うな!この王子は!!
目を瞠ったヒカルとスカイティアに、ユエはくすくすと笑う。
「あぁ、それでも娘が正妃と言う立場は物凄く有効だから、レイビス公爵家も勘当する訳にはいかなかっただろうね」
「……そういうものなんですか」
「だって下手に勘当なんてしちゃったら、それこそ醜聞だろう。それに勘当されたところで、あの女性なら、それを好機とばかりに自分と陛下の伝手を駆使して、他国の王か公爵家の養女になるだろう。後ろ盾なんて幾らでも用意できたよ、あの王妃殿下なら」
強かな正妃様だね、ユエ様そっくり。いや、そういう正妃様の気質を受け継いだのが、ユエ様なのか。似た者親子ですね、納得。
「それくらい有能でないと、正妃は務まりませんか?」
「うーん、補佐がいれば何とかなるだろうけど……正妃は、王と並ぶ国の顔だからね。補佐に頼り切りの正妃なんて、カモにされるだろう」
……あ、だめだ。ヴァイス殿下のご生母は正妃に向かないわ。
あのオドオドした印象のファニエル妃を思い出し、ヒカルは改めて亡き正妃に並ぶ人材がいないという現実に失笑する。……大丈夫か、この国。
「だから、ステラ様がご活躍中ということですか?」
「あぁ、そうだね。あとは、王弟妃殿下が代行することもあるし。あの方も正妃の妹だし、元々の地位と頭は悪くないんだよね…外面は良いし」
「……え?王弟妃ってことは、陛下の弟殿下と正妃様の妹が婚姻を?」
それって、レイビス公爵家に権力が偏っていませんか?
というか、王弟妃に対して辛辣ですね?ユエ様。王弟妃殿下は外面が良いって、普段は宜しくないってことですか?
二人の娘が正妃と、王弟妃として嫁いだとすれば、レイビス公爵家の独り勝ちだ。三大公爵家が拮抗していた中で、それが可能だったのか。
「んー、当時のことは分からないけど。表向き、王弟と王弟妃は恋愛結婚と言い張っているよ?」
「……はぁ?」
ヒカルは思わず目を据わらせた。……王族貴族階級で恋愛結婚?いえ、それは自由ですよね。
「ヒカル、理解できないって顔してるけど」
「…いえ、失礼致しました」
だって、この階級の婚姻って家と家の結びつきですよね?
恋愛感情があろうとなかろうと自由ですけど、仮にも王家と公爵家ですよね?
身分的に問題はないとはいえ、他の家の横槍はなかったんですかね?
「……ヒカル、君はこの階級における婚姻を理解し過ぎではないかな?」
ヒカルの表情から色々と読み取ったらしいユエは苦笑を浮かべた。
にこにこと微笑ましそうなレーウィス殿、その微笑みはどの様な意味ですか?
スカイティア様は純粋に驚いておいでですね。クラウディア様より現実的な思考でしたし、王族の婚姻が恋愛による結び付きである事に驚いているんですよね?
「それは今までの日々で学びましたので」
「そう……まぁ、確かに恋愛感情だろうと関係ないんだけどね。その立場に見合った行動ができるなら、別にいいんだ……とはいえ、レイビス公爵としては王弟に王になって欲しいんじゃないかな?」
「「はぁ?」」
ユエの発言に、スカイティアとヒカルは愕然と声を上げた。レーウィスは予想していたのか、驚いた様子もなく空になったカップに紅茶を注ぐ。
「ん?知らなかった?」
「寧ろ如何いった経緯で、そんな予測に辿り着くんですか?」
可笑しそうに首を傾げるユエに、スカイティアが眉を顰めて尋ねる。
今日だけで、どれだけ爆弾発言するんですか、ユエ様。
いえ、貴方が第一王子殿下である以上、必要な情報は持っているのでしょうけど?
「まぁ、先程の話の延長だけど。正妃は亡くなるまで、レイビス公爵家を含めた王家に拮抗しようとする勢力の力を削ぐように働かれていたから。王と、娘とはいえ正妃は邪魔だっただろうね」
「……それで、まさか今も陛下を?」
「積極的に暗殺しようとはしていないだろうけど、好意的ではないよ。まぁ、だからといって暗殺の危険性がない訳でもないのに……陛下は僕達にご自分の配下を回すんだから、ご自分の身はご自身で守るお心算だろうね」
「え…?」
思わぬ情報に、ヒカルは言葉を詰まらせる。
陛下の配下がルゼノ王の命令で、王子達を守る為にいた。
(あぁ、そうか…それもそうだよね)
ヒカルは漸く腑に落ちた。
継承権が低いとはいえ、ルゼノで忌避される存在である『黒髪』の王子スカイティア。
彼が、高位の後ろ盾も無く生き残れたのは、紛れもなく王の采配だ。今は周囲に畏れられる第一王子ユエルディーネだが、彼がどれだけ庇い盾しようと、ユエ自身がその力を得るまでにルゼノ王自身が守っていなければ、簡単にスカイティアは消されていた筈だ。
──そして、その事実を、スカイティアは既に知っている。
まぁ、完全防衛には足りていなかったのは事実だろうけど、とヒカルは口を尖らせた。
第四王子の誘拐事件や、その後に聞いた彼らの過去の話も、結果的には助かっているが、王子達の護衛としてはまるで力不足だろう。
(それだけ派閥争いが激しいんだろうけど…)
或いは、それが必要事項だった?と訝しむのは悪い癖だろうか、と今度は自分に対して失笑する。
だって、俺もユエ様やステラ様の言動には振り回されっ放しだし、寧ろ王子達を出汁にして不穏分子を処分しています?と訝しんでもおかしくないと思うんだ。
「……陛下ご自身は、大丈夫でしょうか?」
「まぁ、最低限の護衛は着けていると思うよ?陛下ご自身もお強いし」
ユエは必要な本を集め終わったのか、近くの椅子を引いて座った。
「そういうこともあって、僕らは陛下に守られてきたことが事実だよ、ヒカル」
「……左様ですか」
俺の中で、ルゼノ王に対する印象が悪かったのは、やはりご存知ですよね。
念を押す辺り、ユエ様は陛下のことをかなり尊敬しておいでですか。
肩を竦めるユエは、ヒカルの思考など読み取って肯定しているのだろう。
「俺は、本当に何も知らずに甘やかされていたのですね。クラウディア兄上のこともそうですし、姉上のことも…」
俯き溢れる言葉に、ユエは目を眇めた。
スカイティアの懺悔のような言葉の意味とは、クラウディアの元に何度も刺客が送られた挙句、毒殺の危機に晒されていたことか。ステラが国ではなく、実家の権力拡大の為に政略結婚の駒にされかけたことか。
(……まぁ、どちらもご自分達で阻止しているようですが)
女傑の王女様と騎士の王子様ですし、と過去の出来事を思い出したヒカルは乾いた笑みを浮かべ掛け噛み殺した。
「まぁ、知らなくていいこともあるからね。というか、知らない方がいいということも多いよ」
「ですが、何も知らずにいられることを幸せだとは思えません」
「……知ったが為に傷つくこともあるよ?」
スカイティアの断言に、ユエは思案したのか少々間を空けて返した。
「そうでしょうね。ですが、何を判断するにも、何も知らなくては間違ってしまいます。俺が、陛下や兄上を誤解していたように」
ユエの問いを肯定して、それでも守られていたのだと愛されていたのだと、それを知ることができたと何処か照れくさそうにはにかむスカイティアの顔は穏やかで温かい。
そんな表情を浮かべる異母弟をどう思ったのか、ユエは曖昧に微笑んだ。
「……そう、だね」
ユエにしては随分と歯切れの悪い言葉だったが、それでも異母弟の成長と取ったのか、スカイティアの頭を撫でて、ユエは大量の本を抱えて部屋を出て行った。……道中、大丈夫ですか?結構多いですけど。
◆◇◆◇◆
ルゼノ王宮、ユエが居城である第一王子の宮殿に戻る途中、回廊の向こうからやって来る人影に舌打ちを仕掛けて表情を取り繕う。
「まぁ、ユエルディーネ王太子殿下ではありませんか。御機嫌麗しゅうございます」
「王弟妃殿下、僕は王太子ではありませんよ」
高価な装飾品で着飾った女性──王弟妃カノンはまるで当然とばかりに、ユエを王太子と呼ぶ。
王弟の妻で、亡き正妃の妹で、ルゼノ最大の公爵家の一角の血を引く、高貴な女性。若い頃は美姫と呼ぶに相応しく、今も年の割には若く美しい容姿を兼ね備え、その巧みな話術は人を楽しませて人望も厚い。
(王弟妃カノンという女性は、周囲からはそんな認識だろうが)
ユエは微かに目を眇める。
正妃と並び、レイビスの花姫と言わしめたその容姿は、確かに正妃と王弟妃は実の姉妹ということもあって似ているのだろう。
(……少なくとも僕の目から見て彼女達が似ているとは思えないけれど)
「あら、謙遜されなくても、何れは殿下のものでしょう。皆、そう言っていますわ」
嫣然と微笑むその顔に、ユエの中で沸き立つ感情は何だろうか。
「それは陛下がお決めになることです。一貴族の言葉に耳を傾け、それを鵜呑みにするなど、聡明なる王妃の妹御がされることではありませんね」
きっぱりと、その言葉を否定する。その言葉の皮肉に気づいた、笑みを浮かべていた顔が唖然として、そして怒りや嫉妬に歪む程、ユエの気分は高揚する。
嗜虐趣味などない筈なのに、そんな場を傍から見ればいっそ嫌悪する筈なのに。
彼女や王弟、レイビス公爵に対しては虐げられる側でも構わないと思う程に、ユエは彼女達が嫌いだ。憎いとすら思っている。
ユエにそこまで思われている理由を、彼女達が知っているかどうかは知らないけれど。
「な…!」
現に戦慄く王弟妃の唇は、それでも言葉を紡ぐことはできない。称賛される巧みな話術も、ユエの前では形無しだ。
「僕のことを、二度と王太子と呼ばれないように。陛下の御耳に入れば、不敬とも取れますでしょうしね?」
──まだ、命は惜しいでしょう?
これ以上近づくな、と暗に言い捨てて、ユエは王弟妃に背を向けた。
王弟妃は此処まで言われて追いかけて来る程の豪胆な人間でもなければ、引き際が分からない程の無謀者でもない。それでも、また何食わぬ顔でやってくるのだろう。随分と都合のいい記憶力だ。
「……あぁ、だから遣り難いんだよ」
ぼやいた言葉は誰に聞かれるでもなく、夕闇に消えた。




