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元・奴隷の少年は王宮を駆け回る  作者: 水月
白夜と月
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正妃の条件

「──ヴァイス殿下も貴方のようにもう少し落ち着かれたら…と思わずにいられませんよ」


 深々と溜息を吐く初老の紳士は紅茶に手を伸ばす。陶磁に淡い模様が浮かんだカップは美しく、そこから香る茶葉の匂いが鼻孔を擽った。


「私が落ち着いているかはさて置き、お年頃になれば自然と落ち着かれるのでは?」

「そうだといいのですが…他のご兄弟は十歳を超える頃には落ち着かれていたのですけどねぇ」


 随分とお疲れな様子のシュナイザー伯爵の、真正面に席を設けられた第三王子付の小姓モドキ、ヒカルは表情を繕いつつも内心で失笑していた。


 おかしくない?この状況。おかしいよね?

 おかしいって言って下さいよ、控えている侍従殿。あ、今、目を逸らしたでしょう。それはこの状況から?それとも『黒髪』の子供(俺)から?……まぁ、どちらでも変わらないけどさ。


「……あの、伯爵?本日はどのようなご用向きで?」


 ヒカルはつい先日、第一王子ユエルディーネ殿下からシュナイザー伯爵に連行されるであろうことを断言されたのだが、ヒカルと伯爵の関係は『第三王子の小姓』と『第四王子の後見人』という間柄だ。ユエの不穏なお告げを受けて「万が一にも拉致誘拐はないだろう…?」と恐々としていたところにシュナイザー伯爵直々に襲来された時は本当に心臓に悪かった。


 今日外に出ていなかったら回避できたかなって、振り返って嘆いたところで意味ないけど。

 しかも、今のところ話の内容は第四王子の愚痴なんだよ。ユエ様の予想ドンピシャだけど、それでいいのか、伯爵。仮にも後見をしている王子の愚痴って、部外者の俺に言っていい話なの?


 第四王子の愚痴に付き合うのは構わないのだが、シュナイザー伯爵の目的がそれだけとは思えない。愚痴が一段落したところで問いかけてみれば、シュナイザー伯爵は若草色の双眸を眇めて、くすりと笑う。


「私の話はつまらないですか?まぁ、王子の愚痴は聞いていても得る物はないでしょうが」

「得る物があるのは私ではなく、伯爵閣下の方では?」

「……ほう?」


 面白そうに、伯爵の口角が吊り上がる。


「伯爵がどのような心算で言葉を溢されていたのか分かりませんが、私は第四王子殿下の王位継承権の高さや、その王子という身分に阿る心算はありません。そもそも私は奴隷以上小姓未満の存在ですから、仮に私が周囲に溢したところで、その言葉を気に留める方などいませんでしょう。しかし、伯爵が溢した愚痴を、本気にする方もいらっしゃるのでは?貴方が第四王子殿下に期待していない様に見せるのは、王子殿下を守る為ですか?」

「……聞いた通り、聡明ですね」


 溜息混じりに零れた言葉に、ヒカルは自分の考察を肯定されたと判断する。


「貴方が、何も考えず此処での言葉を第三王子や他の方々に溢すことも期待したのですが、やはりよく考えられている」

「……スカイティア様には『伯爵が第四王子殿下に期待されていない旨の発言をされていた』と有りのままをお伝えしましょうか?私は正直、王宮争いには無縁というか、関われる訳でもないので、伯(・)爵(・)の(・)意(・)見(・)が(・)採(・)用(・)さ(・)れ(・)る(・)か(・)否(・)か(・)の最終的な判断はユエ様次第になると思いますが」

「貴方の主人は第三王子殿下でしょう?」

「えぇ、ですが、私が報告する場に第一王子殿下や王女殿下、また第二王子殿下がいらっしゃらないとは限らない」


 神出鬼没だからな、あの人達。


「私が話したことなど、第一王子殿下は既にご存知です。国王陛下も、ね。王太子が擁立されないのは、第一王子派と第四王子派の勢力が拮抗しているからと言われますが、実質的に王太子であるのは第一王子です。伯爵位の妃から生まれた第四王子が王太子に擁立されるなど、余程のことがない限り有り得ない」

「……私が話そうと話すまいと、関係なさそうですね」


 その余程のことって、ユエ様が王位に就かないって宣言することかな?……まぁ、ユエ様は玉座も似合いそうだけど、ご本人としては各国を回って交渉する外交官を好んでる感じだよね。


「えぇ、正直どちらでもいいのですよ。今更ですから」


 じゃあ、何で俺を呼んだ?これで話したかっただけとか言われたら、脱力するよ?

 ユエ様も話題を躱す所があるけど、突き詰めると割と問題にぶち当たるし。まぁ、それがユエ様に「自ら問題に突っ込む趣味があるの?」って言われたことに繋がるんだけど。巻き込まれは望んではないけど、蚊帳の外なのも嫌なのです。


「では、本日は何用で?」

「えぇ、先日の誘拐事件に於ける貴方の活躍を聞いて、是非お礼を言いたいと言う方がいらっしゃいまして」

「……はい?」


 お礼って何?なんで態々?お礼を言われるようなことは何もしていないし、辞退します……って、できる雰囲気じゃないし。


「此方へ、どうぞ。ファニエル妃」


 シュナイザー伯爵が視線を向けた先から侍女を伴ってやって来たのは、着飾った妙齢の女性だった。見るからに高貴な身分だが、見たことは無い。怪訝に思いつつも席を立ち、頭を垂れる。しかし、ヒカルを捉えた時の侍女の顔を顰めるような渋い表情をヒカルは見逃さなかった。


 む、侍女殿、せめて表情を繕った方が良いですよ。俺だってできるからね、それくらい。この間の使用人に絡まれて以来、またもや平穏で忘れていましたけど、やっぱり『黒髪』への嫌悪は根強いですね。

 というか、シュナイザー伯爵?今……ファニエル妃(・)って言いました?


「あの、お初にお目に掛ります、ヒカル、殿」

「……お目に掛れて光栄でございます」


 顔を上げるように言われ、素直に顔を上げる。正面に立つ、おっとりしたというよりオドオドした印象の妃に、ヒカルは眉を寄せかけて思い止まった。この部屋にシュナイザー伯爵が連れて来た時点で彼女の正体は予想が付くのだが、と伯爵を伺う。


 もしかしなくても、王の側妃の一人で、シュナイザー伯爵の娘……つまり、ヴァイス様のご生母ですよね?いや、何で此処にいるの?


「紹介するまでもないでしょうが…私の娘であり、側妃の一人であるファニエル妃。ヴァイスルナハルト殿下の母君です」


 はい、ドンピシャです。

 ですが、お聞きしたいのはそうではなくて、ですね?


「あの、ヴァイスがお世話になりました…お礼を一言申し上げたくて、無理を言って連れて来て頂いたのです。ご迷惑ではなかったでしょうか?」

「いえ、お会いできて光栄です」


 迷惑だって言える訳がないでしょうが……これで終わり?終わりでいいよね?

 第四王子の母だと言うのに、頼りない印象が拭えない。……あれだな、女傑の王女殿下を見ていたせいかな?あの王女様、何でも自分で実行されるし。


「……あの、ヴァイスはどうでしょうか?」

「どう、とは?」

「あの子、とても元気でしょう?だから、その……少し王子としてどうかという話を聞いてしまって…」


 おっと、シュナイザー伯爵、眉間に皺が寄りましたよ?この話題は予定外ということですか?


 たどたどしく紡がれる言葉に眉間の皺を深めるシュナイザー伯爵だが、一応身分的には王の側妃になった娘が上だから会話を切れずにいると言うことだろうか。


「……それは、私が言葉にするのも烏滸がましい領域でございます。一介の使用人以下である私の言葉など、鳥の囀りの様なものです」


 意訳:俺が何か言える訳ないでしょ。身分が違うし、王子のことで意見するなんて自殺行為なの……ってくらいの意味なんだけど伝わるかな、このお妃様に。


 ファニエル妃とシュナイザー伯爵の空気に、それすら心配になる。


 あの~、失礼ながら、シュナイザー伯爵?正直、このお妃様を貴方が育てたとは思えないんですけど?

 あれですか、お仕事で忙しくしていたら、奥方や周囲が可愛がり過ぎて、伯爵が描かれる妃像がダメになったとかですか?それとも娘に対しては貴方も盲目的愛を注ぐ典型的な親馬鹿……ってことはなさそうですね。


「…そう、ね。そうよね……ごめんなさい、お時間を頂きましたわ」


 シュナイザー伯爵の威圧を漸く悟ったらしい妃は部屋を出て行った。妃付の侍女が去り際にヒカルを睨み付ける様な視線を寄越したが、それ以上は何もなかった。


 まぁ、態々曰く付の『黒髪』の子供と関わりたくないだろうけど。藪を突く気はないけど、あの侍女って『金髪至上主義』だよね。あと、部屋に立っている侍従殿。……それをどうこう言う心算…というか権利もないけどさ。


「すみません、ヒカル殿。本当に礼を言いたい、と言われただけだったのですが」

「……いえ、心中お察し致します」


 やっぱり予想外ですか。そのご様子だと、最初に言い包めておいたようですが。


「此処に来るまでに誰かに吹き込まれたのかもしれません。本当に、自分が正妃になれない理由など、分かっていないのでしょうね」


 深々と溜息を吐く伯爵に、ヒカルは表情を引き攣らせた。


 そういうの、堂々と俺の前で言うのは止めて下さい。そんなの知りませんよ。俺も、あのお妃様が正妃様になるって感じの印象じゃないけど。


「今日は有難うございました。後で、第三王子殿下にもお礼を申し上げに参りますが」

「えぇ、お伝えしておきます」


 取り敢えず、何事もなかった。

 第三王子殿下の宮に戻ってシュナイザー伯爵からの伝言を伝え、一息吐いた。……因みに、物凄く心配されました。何もありませんでしたって。ファニエル妃に会ったこと以外は。


「──シュナイザー伯爵って、不思議ですね」


 ヴァイス殿下やファニエル妃に関しては辛辣だし、『金髪至上主義』の強硬派らしい面が見えないし。あれが仮面の表だというならば別だが、そこまでして接触する必要はないだろうし。


「『黒髪』への対応のこと?」


 やはり、シュナイザー伯爵と言えばそれか。


「それもありますが……正妃の条件って、あるんですか?」

「ん?どうして?」


 ヒカルの問いに、スカイティアは首を傾げた。


「正妃様……ユエ様のお母様がお亡くなりになって久しいのでしょう?それなのに、未だにどなたもその地位には就かれていない」


 ファニエル妃はその印象からしても、『正妃』という立場に据えるには少々不安だ。しかし、娘を後宮に入れた以上、シュナイザー伯爵にも政治的野心はあったとみられる。それなのに『正妃にはできない、務まらない』とばかりの呆れた様子は、外祖父の立場を狙っているとは思えない。

 その気があれば──正妃になる為の条件がある・他の有力候補がいるならば兎も角──、娘を正妃にする為に画策してそうなものを、誰もそのような流れに持っていっていないようだ。


(まぁ、水面下の争いなら知ったこっちゃないけど)


 スカイティアに何もなければいい。そもそもスカイティアの母親が妃でない以上、巻き込まれるのは正妃を擁立した後の話だ。


「あぁ…もう十年以上も前なのに、不思議と言えば不思議だ。確か、ユエ兄上が王太子に擁立される前に病死されたって聞いたけど…」


 第一王子ユエルディーネが正妃の第一子でありながら王太子でないのは、擁立される前に正(・)妃(・)の(・)第(・)一(・)子(・)であるという強力な後ろ盾が無くなったからだという。その時から正妃の座には誰も即位せず、空位のまま何年も経っていることで現状を維持している。


「まぁ、新たに正妃を決めるにも、色々と問題があるからだろうね」

「問題、ですか」


 条件がある、ということか。それならシュナイザー伯爵が動かないことも納得だが。


「俺も、側妃の序列を詳しく知っている訳じゃないけど…今は必要がないって言うのが大きいんじゃないかな?」

「正妃様のお仕事は分担制ですか?」


 王族同士の交流会等に於ける、他国の女性王族の相手は基本的に正妃の役目だ。しかし、ルゼノではその接待役がいないことになる。仮に分担制だとしたら、その場で話題も問題だろうから、あのファニエル妃は無理だろう。或いは補佐を立てた上で名目上の役目を果たすか。……正妃である必要がなさそうだな。


「以前はそうだったかもしれないけど、今は大体のことをステラ姉上が代行できるからってことかな」

「正妃様のお仕事まで代行しているのですか?」

「幅広いよねぇ」


 幅が広いって言うレベルですか?ステラ様は確かに他国に嫁いでいれば、その役目を負うのでしょうけど多方面でのご活躍ではお疲れではないですか?


「俺も正妃の仕事はよく分かっていないから、何とも言えないけど。多分、このまま側妃の中から正妃が即位することは無いだろうね」


 スカイティアの予測は強ち間違っていないのだろう。レーウィスも肯定している。

 第一王女アルトステラの生母にしてミストリア公爵の令嬢であったエトワリス妃は有力候補だったが、生んだのが王女であり、王に黙って王女の婚姻を隣国に持ちかけたと言う、王家に反する思考を持っているので論外。

 第二王子クラウディアの生母にしてシーザス公爵家の令嬢であったカトリーナ妃は髪色を理由に、後ろ盾は在っても『金髪優遇』の伝統故に候補外だった上に、実家が王子誘拐未遂の首輪付だ。

 次に上げられるとすれば、第四王子ヴァイスルナハルトの生母、シュナイザー伯爵家の令嬢であったファニエル妃だが、彼女は比較的若い上に性格に難あり、だろう。

 他の妃達も性格や爵位の優劣の問題があって、彼女達の中から公爵家出身の妃を押しのけて正妃になる素質のある者はいないと判断されているらしい。


 いや、それってどうなの?正妃だったユエ様のお母上が別格にしても、他の側妃達からは誰も正妃になれないって。


「それでステラ様のお仕事が増えていたらって思うと、心配なんですけど」

「そうだね……またお招きして、お茶会でもできるといいだけど」


 改めて第一王女の働きに恐れ戦きつつ、まだうら若い王女への負荷の重さに不安が募った。


 スカイティア様の心配が杞憂に終わりますように。……この国、マジで色々と危なくないか?

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